アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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違憲の旧優生保護法・国会はなぜ謝罪決議しないのか

2024年07月16日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 不妊手術を強制した旧優生保護法(1948年成立)を憲法違反と断じた最高裁判決(3日、写真左)から2週間。岸田首相はようやく17日に原告側に会って「直接謝罪」するとしています。

 ところが、肝心の国会が謝罪しようとしていません。国会こそ真っ先に謝罪すべきです。なぜなら旧優生保護法は全会一致による議員立法だからです。

 最高裁判決を受け、超党派の議員連盟は9日総会を開き、今後の賠償問題を協議しました(写真右=朝日新聞デジタルより)。賠償問題はもちろん重要です。しかし、それと同時に、いやその前にまず謝罪しなければなりません。

 議員連盟の事務局長である社民党の福島瑞穂氏(写真右の中央)は、判決翌日の4日、「国会は謝罪を決議すべきだ」「国会で立法し、政府や自治体が実行した。国会が発生源であり、責任がある」と述べました(5日付京都新聞=共同)。

 当然の主張です。しかし、他党はこれに賛同せず、国会はいまだに沈黙を決め込んでいます。

 優生保護法は1948年の第2回国会に超党派の議員で提案され、全会一致で成立しました(公布は48年7月13日)。
 中心になったのは谷口弥三郎参院議員(自民党前身の民主党、のち日本医師会会長)で、加藤シズエ衆院議員(社会党)はじめ、社会党、民主党、国民協同党、民主自由党、参議院緑風会などが共同提案しました。

 第1条の「目的」では、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と明記していました。

 翌49年5月、中絶理由に「経済的理由」を加える「改正」が行われましたが、違憲の本質はなんら変わりませんでした。このとき日本共産党も優生保護法を支持し、「改正」に賛成しました。

 96年、優生保護法は障害者差別に該当する条文を削除して母体保護法に変わりました。しかし、国会も政府も旧優生保護法に対する責任を明らかにすることはありませんでした。

 2018年1月、宮城県の女性が国家賠償を求めて仙台地裁に提訴。これによって事態は大きく変わりました。
 翌19年4月、再び超党派の議員立法で、1人当たり一律320万円を支給する「一時金支給法」が成立しました。国会が暗に自らの責任を認めたものと言えます。
(以上の経過は藤野豊著『強制不妊と優生保護法 “公益”に奪われたいのち』岩波ブックレット2020年を参照)

 優生保護法が全会一致で成立した1948年は言うまでもなく現行憲法の施行(47年5月3日)後です。基本的人権の尊重を柱にした憲法が施行された直後に、なぜこのような違憲立法が行われたのか。そして48年間も存在し続けたのか。

 藤野豊氏(敬和学園大教員)はこう指摘します。

「優生保護法を成立させ、50年近くも維持した戦後日本の民主主義の論理…その論理こそ“公益”による人権侵害の正当化だったと考えます。そして、その論理は過去だけではなく、現在、そして将来の日本の民主主義を危うくする論理だとも考えています」「優生保護法による強制不妊手術の問題は、まさに、安倍内閣と自民党が改憲により目指す国家像を視野に入れて議論されるべきであると考えます」(藤野氏前掲書)

 国会が「謝罪決議」をあることは、被害者に対する最低限の責任であると同時に、「戦後民主主義」を検証して今後に生かすためにも絶対に必要です。



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