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国会は衆参両院で「ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議」を挙げました(衆院1日、参院2日=写真左。全文を後掲)。これに、政党としては「れいわ新選組」以外のすべての党が賛成しました。「れいわ」は衆参で反対。また参院では高良鉄美議員(無所属・沖縄選出、憲法学者、写真右)が棄権しました。
「れいわ」も高良議員も、ロシアの軍事侵攻を批判し、直ちに停戦を求める点では共通しています。ではなぜ賛成しなかったのか。
「れいわ」は「声明」(2月28日)で、「国会として強く政府に求める」べきこととして、「人道支援のさらなる拡大と継続」などとともに、次の点を挙げています。
「今回の惨事を生み出したのはロシアの暴走、という一点張りではなく、米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたことなどに目を向け、この戦争を終わらせるための真摯な外交的努力を行う(こと)」
高良議員も「声明」(3月3日)を発表し、こう述べています。
「決議案で述べているとおり、武力行使に抗議することは当然であり、その点に異論をはさむ余地はない。ウクライナ国民の生存権が危機に瀕していることを深く憂慮しているが、決議案で「ウクライナと共にある」という言い回しには違和感がある。今こそ平和憲法を持つ日本が、欧米とは違う立場で、独自にロシア、ウクライナに平和的解決を求める積極的な外交を行うべきである」
ウクライナ政府は武力による「徹底抗戦」を貫いており、各国に支援を求めています。NATOに対しても「制空権」を確保することで事実上参戦することを再三要求しています。NATO加盟国など米欧諸国はウクライナに武器を供与しています。
その「ウクライナと共にある」(「ウクライナ国民と共に」ではありません)とは、ウクライナ政府の戦闘行為を支持し、それを支援することに通じます。高良議員が「違和感がある」として賛成しなかったのはきわめて賢明です。
その高良議員の危惧が決して杞憂でなかったことは、参院決議の2日後の4日、岸田政権が「防衛装備移転三原則」を恣意的に解釈してウクライナに「防弾チョッキ」などの「防衛装備品」すなわち武器を送ることを決め、8日実行したことで証明されました(写真中は岸防衛相とウクライナの駐日大使)。
武器供与は戦争(たとえそれが「防衛戦」であっても)への加担であり、平和的解決とその後の平和的世界の創設に逆行することは明らかです。
高良議員は「今こそ平和憲法を持つ日本が、欧米とは違う立場で、独自にロシア、ウクライナに平和的解決を求める積極的な外交を行うべきである」と述べていますが、まったくその通りです。
高良議員が勇気をもって国会決議に賛成しなかったことは称賛に値します。
逆に、「れいわ」を除くすべての政党が決議案に賛成したことは、この国の議会がいかに思考停止の大政翼賛会状態に陥っているかを示しています。
憲法9条を持つ日本は、アメリカに追随するのでなく、あくまでも非戦を貫いて停戦・平和に力を尽くすべきです。
◇ロシアによるウクライナ侵略を非難する参議院決議(全文)(2022・3・2)
ウクライナをめぐる情勢については、昨年末以来、国境付近におけるロシア軍増強が続く中、我が国を含む国際社会が、緊張の緩和と事態の打開に向けて、懸命な外交努力を重ねてきた。
しかし、二月二十一日、プーチン・ロシア大統領は、ウクライナの一部である、自称「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の「独立」を承認する大統領令に署名し、同二十二日、ロシアは、両「共和国」との間での「友好協力相互支援協定」を批准した。そして、同二十四日、ロシアは、ウクライナへの侵攻、侵略を開始した。
このようなロシアの行動は、明らかにウクライナの主権及び領土の一体性を侵害し、ウクライナ国民が有する戦争による恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を侵害するものであり、武力の行使を禁ずる国際法の明確な違反であり、武力による威嚇及び武力の行使を禁ずる国連憲章の重大な違反である。
力による一方的な現状変更は断じて認められない。この事態は、欧州にとどまらず、日本が位置するアジアを含む国際社会の秩序の根幹を揺るがしかねない極めて深刻な事態である。
本院は、ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する。そして、ロシアに対し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める。また、プーチン大統領が核使用を前提とするかのような発言をしているのは言語道断であり、唯一の被爆国として非難する。
本院は、改めてウクライナ及びウクライナ国民と共にあることを表明する。
政府においては、本院の意を体し、ウクライナに在住する邦人の安全確保に全力を尽くすとともに、国際社会とも連携し、速やかな平和の実現のため、ロシアに対する制裁、ウクライナに対する人道支援を含め、事態に迅速かつ厳格な対応を行うことを強く要請する。
右決議する。
(衆院の決議はほぼ同じ内容で、核の問題に触れている分だけ参院の方が長くなっています)。
政治改革において「野党共闘」が必要であることは言うまでもありません。それだけに、今回の総選挙で行われた立憲民主、日本共産党、れいわ、社民党4党の「野党共闘」(以下、共闘)をどう総括するかは極めて重要な問題です。
共産党は11月27日の第4回中央員会総会でその総括を行いましたが、多くの点で疑問を禁じ得ません。志位和夫委員長の幹部会報告(11月29日付しんぶん赤旗)および関連の記者会見などに基づいて問題提起します。
第1に、「共通政策」の評価について。
4野党と市民連合が合意した20項目の「共通政策」について志位氏は、「大義もあれば魅力もあるもの」「国民への公約」だとし、今後も「誠実に順守」するとしています。
ところが、市民連合の代表で今回の共闘の立役者の1人である山口二郎法政大教授は、総選挙を振りかえり、「国民は変化を望んでいないことが明らかになった」と驚くべきことを言った上で、こう述べています。
「もちろん、野党側が魅力的で信頼に足る政策構想を打ち出せなかったことが原因だろう」(11月28日付ハンギョレ新聞日本語電子版)。
これは志位氏(党幹部会)の評価とは明らかに相違しています。この食い違いは何なのか。これを放置したまま今後も「誠実に順守」することは不可能ではないでしょうか。
第2に、「共通政策」の内容について。それは果たして政治変革を求める市民にとって「魅力あるもの」だったのか。
20項目が重要な課題であることは明らかです。しかし、そこには当然含まれるべき重要な内容が抜け落ちています。
例えば、重要な柱である戦争法(安保法制)についても、立憲民主に合わせて「違憲部分を廃止」としているだけで、法律全体の廃止は主張していません。何が「違憲部分」かも明らかではありません。また、膨張する軍事費(「防衛費」)、改めて大きな問題になっている日米地位協定、さらに現代の治安維持法とも言うべき「土地規制法」については、その文言すらありません(10月2日のブログ参照)。
「共通政策」は政権構想とは異なる当面の課題ですが、それがこの内容でいいのか。見直して充実させる必要があるのではないでしょうか。
第3に、「政権協力」と共産党の独自政策、とりわけ日米安保廃棄との関係について。
志位氏は「日本共産党が日米安保廃棄、自衛隊違憲などの主張をしていることをとりあげて、「安保・外交政策が違う政党が組むのは野合」といった攻撃が吹き荒れました」と総括しました。
自民党などの反共攻撃とは別に、有権者・市民の中からも「安保・外交政策が違う政党が組む」ことへの疑問がわくのは当然ではないでしょうか。今回の共闘は「当面の緊急課題」によるそれではなく、「政権協力」だったのですからなおさらです。それを「攻撃」と一蹴するのはきわめて不誠実と言わねばなりません。
問われるべきは、共産党が「日米安保廃棄、自衛隊違憲」などの党の独自政策と、「政権協力」の関係を明確に説明してこなかったことです。
そればかりか、共産党は独自ビラに明記した「日米安保条約を廃棄」の文言を、選挙公報では削除するなど、選挙戦の中で「日米安保廃棄、自衛隊違憲」を前面に出しませんでした。これは党の独自政策と「共闘」「政権協力」の関係が明確に理論化されていないからではないでしょうか。
共産党が「日本の歴史でも初めて、日本共産党が協力する政権」(志位氏)を目指すなら、この問題は避けて通れません。共産党に求められているは、「日米安保廃棄、自衛隊違憲」の独自政策と「政権協力」の関係の理論化、政策化することです。
第4に、連合との関係について。
「対等平等」「相互尊重」の共闘にとって、反共組織・連合が大きな障害になっていることは言うまでもありません。
ところが志位氏は、11月28日の記者会見で、「連合の芳野友子会長が、共産との「野党共闘」に否定的な見解を繰り返していることについて、「私たちは協力を願っている」と秋波を送った」(11月28日の朝日新聞デジタル)のです。
これは驚くべきことです。そもそも労働組合の連合が特定政党支持を強制し、組合費で選挙・政治活動を行うことは、民主主義の重大な蹂躙です。共産党もかつて厳しく批判していました。それが、今は逆に連合に「秋波を送る」。いったいどうなっているのでしょうか。
「連合は野党共闘に介入すべきではない」ときっぱり主張すべきです。
第5に、選挙制度について。
志位氏は「いまの選挙制度のもとで政治を変える道は共闘しかありません」と述べています。「いまの選挙制度」とは小選挙区比例代表並立制ですが、その実態は小選挙区制です。小選挙区制は民主的選挙制度に逆行するばかりか、政党の多様性を奪い、「(保守)二大政党制」に導く元凶です(11月8日のブログ参照)。
しかし、志位氏は小選挙区制の問題には一言も触れていません。
「いまの選挙制度のもとでは…」と現状を固定化させて「政権交代」を図るのではなく、小選挙区制を廃止し、多様な世論が反映される民主的な選挙制度(完全比例代表制)への転換を図ることこそ、政治改革の道ではないでしょうか。それは共産党の「独自政策」でもあるはずです。
16日閉会した通常国会では、菅政権が提出した63法案のうち61法案(97%)が成立しました。過去5年間の通常国会で最大の成立率です。成立した法案の中には、民主主義の根幹にかかわる重大な悪法が少なくありません。
にもかかわらずそれらがスイスイ通ってしまうことは、国会がますます機能低下している、言い換えれば、政府・与党と対決すべき野党が政権へ接近し、国会の大政翼賛化が深化していることを示しています。
成立した重大法案の中で、野党が公然と賛成、あるいは成立に手を貸した悪法には以下のものがあります。
日本維新の会はもともと野党とは言えない存在ですが、立憲民主党と国民民主党が上記のように悪法成立に公然・隠然と手を貸した事実は見過ごせません。
とりわけ、国民投票法は改憲の一里塚であり、土地規制法は「ナチスの独裁を正当化した授権法と同類の悪法であり、憲法違反と言わざるをえない」(山口二郎法政大教授、17日付沖縄タイムス)ものです。これに国民民主が賛成したことは記憶される必要があります。
国民民主はこのほかにも、維新と共同で、自衛隊法・海上保安庁法「改正」案を衆院に提出しました(6月2日)。それは、尖閣諸島周辺での中国警備局船に対する「自衛隊による警戒監視活動の明記や…武器使用を認める」(3日付琉球新報)もので、政府・自民党が公然と言えないことを代わって提案したものといえます。
こうした国会の翼賛化と密接に関連しているのが、立憲民主を中心とする「野党連合」の動向です。立憲民主の枝野幸男代表は17日、最大の支援組織・連合の幹部会合に出席し、「共産党との連立政権は考えていない。理念で違う部分がある」(18日付琉球新報=共同)と表明しました。「連合内に「日米安全保障条約の廃棄」を主張する共産への拒否感が強いため」(同)です。
また、同党の岡田克也元副首相も、共産党に対し「政策が大枠で一致している状況になく、政権を共にすることはない」(7日付中国新聞=共同)とする一方、国民民主については、「かつての仲間だ」「大きな固まりで選挙を戦い、やがては一つの党になるよう執行部は頑張ってほしい」(同)と述べています。
枝野氏や岡田氏の発言から明らかなことは、立憲民主は選挙での共産党の票は欲しいものの、連立は念頭にないこと、一方、国民民主とは合併をめざすということです。その主な理由は政策の不一致、とりわけ日米安保条約(軍事同盟)に対する政策の違いが決定的だということです。
すなわち、立憲民主や国民民主が目指している「野党連合」は、日米安保条約=日米軍事同盟堅持という自民党政権の根幹政策と同じ基盤に立った二大政党制にほかなりません。
立憲民主が他の野党を排して自民党と国会運営について密室協議を続けている(写真右)問題については再三述べてきましたが(6月7日のブログなど)、こうした運営面とともに、重要政策面でも国会の翼賛化が進行しているのです。
重要なことは、こうした国会の翼賛化が、先のG7サミットでも明確になったように、「対中国包囲網」を旗印にした日米安保・軍事同盟の深化、「戦争する国」へのアクセルと無関係ではなく、同時併行的に進行していることです。
それは80年前(1940年10月12日「大政翼賛会」発足)の歴史の繰り返しであることを銘記する必要があります。
憲法が保障する基本的人権を様々に制約するコロナ特措法「改正」、感染者への差別・偏見を助長し感染対策にも逆行する感染症法「改正」。この重大な改悪案が、1日の衆院内閣委員会で審議入りし、2日後の3日には成立すると言われています。とんでもないことです。国会の形骸化も甚だしいと言わねばなりません。なぜこういうことになったのでしょうか。
今回の特措法・感染症法改悪で露わになった国会の形骸化には、2つの元凶があります。
1つは、自民党と立憲民主党の2党による密室協議(談合)です。
これまでも他の野党を排除し2党の国対委員長会談で国会運営を決めるという異常なやり方は常態化していましたが、今回は法案の「修正」、さらにそれをスピード成立させることまで2党間で決めてしまいました。
自民党の二階俊博幹事長と立憲民主党の福山哲郎幹事長が「修正」合意したあと(1月28日、写真中)、二階氏が「今後もスピーディーな国会運営に協力をお願いしたい」(29日付中国新聞=共同)と立民に秋波を送ったのは、2党の“蜜月”ぶりを示すものです。
立憲民主党のこうした姿勢はけっして一時的なものではありません。「政権批判一辺倒 立民が脱皮図る」(27日付中国新聞)と報じられているように、政府・自民党との妥協・協調路線は党の基本方針です。「野党を抱き込み早期に改正案を成立させたい政権側にとって、立民の新路線は好都合」(同)この上ありません。
もう1つの元凶は、政令と付帯決議の乱用です。
法律「改正」の重要なポイントを法律には明記せず、政府が勝手に決める「政令」に委ねたり、努力目標にすぎない「付帯決議」に回す。そして中身がスカスカの法案をスピード成立させる。
例えば、特措法で新設する「まん延防止措置」の「客観的基準」や「国会への速やかな報告」、感染症法「改正」の「過料を科す場合の判断基準」、罰則に対する「不服申し立ての権利」など、まさに法案の肝になる事柄は、ことごとく「付帯決議」にされています。
自民と立民が「修正合意」した翌日の新聞はこう報じています。
「「まん延防止等重点措置」の発令要件は不透明なままだ。西村康稔経済再生担当相は「法律に基準を書き込むと機動的に使えなくなる」と説明し、詳細を政令で定めるとした」(1月29日付中国新聞=共同)
驚くべき発言です。法律に必須の「基準」は書き込まない、なぜなら「機動的に使えない」すなわち政府の思い通りに使えないから、だというのです。これこそまさに立憲主義の蹂躙であり、独裁政権の言い分にほかなりません。それを平気で公言し、問題にもならず通ってしまう。この日本の現実に、今さらながら戦慄をおぼえます。
こうした独裁政治が、自民党と立憲民主党の「2大政党」による談合(癒着)で急速に進行しています。「国権の最高機関」である国会の機能は、いまや風前の灯です。私たちは「主権者」としてけっしてこれを座視することはできません。
立憲民主党は幹部のみならず所属しているすべての国会議員が、そして、立民との「野党連合」に執着しその暴走を許している日本共産党も、その政治責任が問われていることを銘記すべきです。
日本学術会議攻撃問題での菅義偉首相の答弁の混迷ぶりは目を覆うばかりです。菅首相の当事者能力を疑わざるをえません。
そもそも今回の「任命拒否」は、警察官僚出身の杉田和博官房副長官が黒幕で、その筋書きは菅氏が首相に就任する前から書かれていました。ではだれがそのシナリオを書いたのか。だれが杉田氏を動かしたのか。それができるのは杉田氏を一貫して重用してきた安倍晋三首相(当時)しかいないのではないでしょうか。
今回の「任命拒否」で表面化した学術会議攻撃は、安倍晋三氏が年来の思惑を実行に移したものと考えるのが妥当でしょう。
安倍氏は少なくとも「東京五輪」までは首相の座に居座りたかった。それが想定外の病気再発で辞任せざるをえなくなった。そこで安倍氏が事実上の領袖である最大派閥・細川派はじめ安倍政権を支えた自民党勢力は、急きょ菅氏を後任に据えた。それは菅氏が安倍路線を忠実に継承するだけでなく、いつでも首を挿げ替えられる人物だからではないでしょうか。
菅氏は急きょマウンドに立たされたリリーフ投手で、本命政権はそのあとにくる。それは安倍政権の3度目の復活―そんなシナリオがあるように思えてなりません。
そう思う根拠はいくつかあります。
第1に、安倍氏自身が意欲満々なことです。
安倍氏は9月16日に首相を辞任して以降、靖国神社を2回参拝(9月19日、10月19日)し歴史修正主義者の面目を躍如とする一方、自民保守系グループのパーティー・会合に3度出席しています。
今月1~3日には地元・山口県に入り、支援者に「薬が効き、非常に速いスピードで回復している」(4日付地方紙各紙=共同配信、写真中)と「回復」を誇示しました。
2日には山口県庁を訪れ、公務中にもかかわらず集めた約500人の職員を前にこう述べました。「今後は山口出身の国会議員として地方創生に全力で取り組む。憲法改正などやり残した仕事もしたい」(3日付中国新聞)
第2に、自民党内で安倍氏待望論が早くも出ていることです。
衆院議員会館の安倍事務所には、「助言を求める議員や旧知の官僚らが続々と訪れる」(4日付共同)状況です。
2日の後援会会合では、「参加者から首相への「再々登板」を望む意見が出たという。党内にも伊藤博文は4度、桂太郎は3度(いずれも長州藩出身―引用者)首相になったとして「可能性は十分ある」と見る向きもある」(同、共同)
第3に、安倍氏の後見役を自他とも認じる森喜朗元首相(東京五輪組織委会長)の言明です。
自民党政権の御用雑誌月刊「Hanada」(11月号)は安倍首相退陣直後に「ありがとう!安倍晋三総理」という特集を組みました。この中で、森氏はこう述べています。
「今回、余力をもって辞められたことは逆によかった、と私は思っています。安倍さんはまだ若いんだし。私は図々しく八十三歳まで生きて…安倍さんの方が私よりよほど長くやれますよ。三度目があってもぜんぜんおかしくない」(写真右も同誌より)
3度目の安倍政権。こんな悪夢はありません。それを文字通り幻に終わらせるためにも、来る総選挙で自民党を政権政党の場から引きずり下ろすことが必要です。
9月30日午前10時(日本時間)から行われた米大統領選のトランプ大統領(共和党)とバイデン前副大統領(民主党)の「討論会」を中継で見ました(写真左)。ルール無視の中傷合戦。あきれるばかりでした。
しかし、私たちにとって重要なのは、この大統領選をめぐる米政治の劣化・退化はけっして対岸の火事ではないことです。
トランプ氏とバイデン氏の「討論会」の醜態は、両氏とりわけトランプ氏の資質・人間性によるものだけでなく、構造的な問題です。たとえかみ合った討論が行われたとしても、そもそもこの選挙にアメリカ政治の根本的転換は期待できません。それは両氏、というより共和党と民主党の間に、政策上の根本的違いはないからです。
どちらが政権を執ろうと、アメリカの覇権主義・大国主義、核戦略は変わりません。日本との関係では、日米安保=軍事同盟強化による日本の軍事分担、基地負担(辺野古をはじめ)、米軍駐留経費(「おもいやり予算」)の負担要求、米国本位の貿易圧力などは変わりません。それはこれまでのオバマ(民主)、クリントン(民主)、レーガン(共和)、ニクソン(共和)の歴代大統領を振りかえるだけで明らかです。
その根源は、2大政党制(保守2大政党制)というアメリカの政治制度にあります。この制度の下では、少数政党は絶対に政権に参画できません。結果、民主と共和の間で政権たらい回しが繰り返されます。
重要なのは、こうしたアメリカの保守2大政党制に倣って、その道を突き進もうとしているのが日本だということです。
2大政党制をつくる選挙制度が小選挙区制です。すでにその軌道は敷かれています。次に行われようとしているのは、自民党(公明党はその補完物)という1極に「対抗する」という名目での野党の1本化(統合)です。それが「野党共闘」という名で進行していることです。
現在日本で行われている(さらに進行しようとしている)「野党共闘」とは、野党第1党(立憲民主党)への他の野党の糾合にほかなりません。菅義偉氏を選出した先の国会の首班指名で、日本共産党はじめほとんどの野党が枝野幸男氏に投票したのはその表れです。
もう1つ、知らない間に既成事実化されようとしている重大問題があります。それは国会運営をめぐる与野党協議が、自民党と立憲民主党の2党間協議になっていることです。これまではそうではありませんでした。各党の国対委員長が集まって協議していました。それがいつの間にか2党だけの協議(談合)で国会運営(開会・閉会日程はじめ)が決まるようになりました(写真中)。これは国会運営上不当であり、異常です。それが既成事実になろうとしている。これは日本版2大政党制の前兆にほかなりません。
政策二の次のこうした「野党共闘」(「野党統合」)、そしてその根源である小選挙区制。その陰の仕掛け人は、いずれも小沢一郎氏(写真右)です。共産党が小沢氏と接近するようになって同党の「野党共闘」路線も変質してきました。
問題は、こうした2大政党制に対抗し、別の道を主張する論調(学者・識者)がすっかり鳴りを潜めていることです。日本のメディアは程度の差はあれ、すべて小選挙区制賛美・2大政党制推進です。
かつて(特に1970~80年代)はそうではありませんでした。2大政党制に対抗する政治制度の主張がありました。それは多党制であり、それを保障する選挙制度が比例代表制です。少数でも多様な意見・思想・政策の政党が国会内で一定の勢力をしめ、それが国政に反映する。政党間共闘は政策の一致による共闘となり、少数政党の政策も生かされる。それが多党制であり、比例代表制です。故・岡野加保留氏(元明治大学長)らを中心に主張され、日本共産党の政策も基本的にそうでした。それがいまやすっかり姿を消しています。
このままでいいのか。アメリカ流の保守2大政党制でいいのか。原点に立ち戻って考える必要があります。米大統領選の醜態、アメリカの混迷が私たちに示しているのはそのことではないでしょうか。
市民がコロナ感染に戦々恐々とし、「休業要請」を指定された店舗関係者が廃業の危機に四苦八苦している中、安倍晋三首相が自宅でペットと戯れているツイッター(写真中)が批判を浴びています。本来、コロナ危機の先頭に立つべき者の、あまりにも無神経・無自覚な振る舞いです。
この醜態は安倍氏だけではありません。本来、コロナ対策の先頭に立つべき者たちが、「感染防止」の名の下にそろって“休業”しようとしているのです。それは国会議員たちです。
自民党の森山裕国対委員長と立憲民主党の安住淳国対委員長は13日会談し、「登院する国会議員を最低7割、極力8割削減する」(NHKニュース)として、開催する委員会を削減し、出席する議員も定足数ギリギリの人数に抑えることで合意しました(写真右)。国会審議の“自粛”であり、国会議員の“休業”です。
翼賛化している国会の委員会は開いても開かなくても変わらない、と自ら認めたブラックユーモアかもしれませんが、主権在民、議会制民主主義の立場から、けっして容認することはできません。
「外出自粛」も「不要不急の」という前提がつき、「休業要請」も業種が選別されているように、なんでも「自粛」「休業」していいものではありません。緊急時でも機能させなければならない仕事・職業があります。国会・国会議員はその筆頭ではないでしょうか。
なぜなら、本来、現場の状況をリアルタイムに掌握し、感染防止、医療崩壊防止、そして市民の生活と営業・仕事を守る先頭に立つべきなのが国会議員だからです。
また、緊急事態宣言を口実にした、安倍政権(国家)の権力乱用を監視するのも、本来国会の重要な役割です。
さらに、国会が審議すべき市民生活や国の重要問題が「コロナ対策」だけでないことは言うまでもありません。米軍や自衛隊の動向監視、原発・被災地対策などはその代表です。こうした重要問題はいま、エアポケット状態です。
国会議員の“休業”は、こうした本来の任務から逃避し、「国権の最高機関」(憲法第41条)としての国会の役割を自ら放棄することにほかなりません。
この委員会審議“自粛”、国会議員“休業”という愚挙が、自民党と立憲民主党の“二大政党”の協議(談合)で決められた重大性にも改めて警鐘を鳴らさねばなりません。
自民・立憲の談合国会運営の弊害については、これまで再三指摘してきました。コロナ対策の超党派協議会に、障がい者を代表して参加を希望した木村英子参院議員(れいわ)の申し入れを拒否し排除したのも、森山氏と安住氏です。
与野党「二大政党」の協議で国会運営を決めることが議会制民主主義に反していることは言うまでもありません。そもそも、一部の政党間協議で国会運営が決められるという国会ルールはどこにもありません。国会運営を決める正式な機関は議院運営委員会です。「二大政党」の談合で国会運営を決めるのは、憲法や国会法を無視した暴挙です。国会運営を私物化する自民、立憲民主の罪はきわめて重大です。
同時に、この2党の談合に唯々諾々と従う他の政党の責任もきわめて重いといわねばなりません。
かつて(70年代~80年代)、「共産党を除く」政党間協議で国会運営が決められていたころ、日本共産党は国会の機関でない政党間協議の結果を国会に押し付けるものだと厳しく批判してきました。正当な批判です。そうした声が共産党からまったく出なくなったのは、いったいどういうわけでしょうか。
緊急事態宣言下で進行する民主主義の後退・危機に対し、厳しい監視の目を怠ることはできません。