もう7年になるだろうか。
トシヤが2歳半から通っていた横浜・綱島のシュタイナー芸術療法の教室を断腸の思いでやめざるを得なくなったのは、思春期が始まって間もない中学生の頃だった。
トシヤの背丈が私を追い抜いたあたりから、毎日のものすごいパニックと私に対する絶え間ない暴力が始まった。
毎朝路線バスで養護学校まで送って行ってたのだけど、暴れてバスに乗れなくてタクシーで連れていく車内でも私に掴みかかって、私の耳が切れて血だらけになったこともあった。
道を歩くにも、怒りはじめると私を車道へ突き飛ばしたり、押し倒したりするので命の危険を感じるほどになった。
そういう精神的にも肉体的にもギリギリの生活の中、とてもとても電車に乗ってどこかへ出かけられるような余裕なんかなくなってしまったのだ。
私は事実上、たった独りでトシヤと向き合う日々を送っていた。
母というのがどんなに強いといっても、自分の限界を思い知らされるのも、そう時間は掛からなかった。
私は40度の高熱に何度もみまわれ、ついにダウン。
電車の中で気を失ってしまった。
そんな中で出会ったのが、今の若葉養護学校だった。
遠い北関東の学校の寮に入ることになり、週末に迎えに行き日曜に送って行く生活を続けて早5年、シュタイナーの音楽と水彩の教室へは通えなくなってしまったが、トシヤは自然に囲まれた親元から離れる暮らしの中で徐々に落ち着きを取り戻し、私は私の人生を取り戻す時間を得ることができた。
私がギリギリまで向き合って出した答えは間違いではなかったと、確信を持って言える。
そして今日、私は7年ぶりに綱島の新しい場所に開かれたアウディオペーデ研修センター(シュタイナーの理念に基づく芸術教育・療法を目的とした活動および、講座養成・研修の場)を訪れ、トシヤの人生最初の恩師、竹田喜代子先生にお会いすることができた。
竹田先生のもとで、かつてあるいは今も、わが子がお世話になっているお母さんの有志が集まり、将来学校を出た後の子どもたちの集う場を考えていこうという動きを始めることになり、その最初の茶話会が開かれたのだった。
綱島の駅から、昔トシヤの手を引いて毎週通い慣れた道を歩くと、当時の様々な思いが万華鏡のように蘇る。
7年ぶりに再会した先生は相変わらずお元気で、いまだに精力的に活動されている。今更ながらすごい方なのだと思う。
懐かしい顔、初めてお目に掛かる顔、初めてトシヤを連れて先生のところに通った日から本当に長い月日が経ったのだと感慨深かった。
自己紹介も含めていろんな話をする中で、私はトシヤの将来のために動くことも含めて、自分がやってきたことすべて、今やろうとしていることについて「何のためのチャレンジなのか」ということを、今更ながら深く考えることになった。
続きます