今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
シーチング(無地)を三本配するデザインを、冬場のうちに出来るだけ編んでおきたいと思っています。バリエーションとして楽しいのはもちろんですが、毎日同じデザインだと私のほうも煮詰まってきますからね。繰り返しの日常作業にも、少しは新鮮さが大事と思うわけです。
大阪市からお越しのご夫婦旅。トイレの神様ミニ草履を気に入ってくださり、他家に暮らす娘さんたちの分も合わせ5個のお買い上げでした。私の作る大人用土踏まず付きが一度に5足はとても稀ですが、カミさんの作るミニ草履は特に珍しくないんですね。帰宅後お買い上げの様子をカミさんに教えると、ちょっと鼻が高くなるのが可笑しいです。
こちらのご主人が草履を見てしみじみおっしゃるのは、『こういう日本古来が復活するのは楽しいですよね。お国訛りなんかも今はあんまり直したりしないでしょ!?』。
確かにそうかもしれません。私が子ども時代、「標準語を話しましょう」みたいな教育があったように記憶しています。四つ下のカミさんも小学校でそう教えられたそうです。秋田弁しか話せなければ、やがて中央に出た際に困るという当時の配慮だったんでしょう。
今の世の中これだけ情報が氾濫すれば、「標準語を話しましょう」自体がまったく滑稽です。むしろ「秋田弁を学びましょう」のほうがピンと来るくらい、今の若者たちは方言を使いませんからね。
今では死語となってしまった言葉がいくつもある中で、その代表に選びたいのが『あっぱー』です。ボクシングのアッパーカットや、気分がノリノリのアッパーとはまったく異なります。これは子ども社会のみで使われた『バイバイ(さようなら)』なんですね。
友達と遊んでいてそろそろ帰らなければならない時刻になると、『したらな、あっぱー!』と言って別れるわけです。昭和四十年代まではどの子も使っていたのに、平成生まれのわが家の娘たちは聞いたことさえないと言います。どの年代まで使っていたのか、はたまたどの地域まで使っていたのか。私は「重要無形文化財」に値する言葉と思うんですがねぇ。
今度同期生や同年代との飲み会でおひらきとなったとき、『あっぱー』を使ってみましょうか。繰り返しの日常がちょっと新鮮に感じる気がします。