角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

侍の家系。

2014年02月13日 | 実演日記




今日の草履は、彩シリーズ24cm土踏まず付き[四阡八百円]
青のうさぎプリントを使って紺系でまとめてみました。一見男性向けの配色ですから24cmにしましたが、女性でもこうした配色を好む方が少なからずいらっしゃいます。これまでの印象で比較的お若い女性に多い気もしますが、さてどなたがお選びくださるか楽しみに待ちましょう。

高知県からお越しのご夫婦旅。さすがに南国からでは寒いはずなんですが、なかなかお元気に散策を愉しんでおられました。ご主人がお話し好きのようで、ご先祖のことを聞かせてくれました。分家して九代目がご本人と言いますから、ご本家さんはたいそうな歴史がありそうです。それもそのはず、ご先祖はかつて土佐の国を治めた長宗我部氏の家臣でありました。

坂本竜馬で知られる土佐の国は、戦国時代まで長宗我部氏が治めていました。関ヶ原の戦いで西軍に味方したため徳川によって改易となり、その後の土佐は山内氏が治めます。山内氏の家臣を「上士」と呼び、旧長宗我部氏の家臣を血統に持つ侍を「下士」と呼びました。同じ位置に列することは時代が明治になるまでなかったと云います。

ご主人が私に言うのは、『武家屋敷通りにある家で、今も先祖伝来を守っているのは何軒もないんでしょ?』。
ご自身の家系がそうした由来のせいか、角館の歴史についてもいささか予習していらしたご様子です。確かに何軒もないんですね。そうした家柄と無縁の私にはなかなか理解できない世界とはいえ、藩政時代あるいは戦国時代からの「家」を守るというのは並大抵ではないと思います。

歴史が長くなればなるほど、その時代々々に栄華衰勢を繰り返すのでしょう。戦国時代に破竹の勢いで国を広げていった長宗我部氏も、徳川の時代には「下士」として辛酸を舐めたわけです。ご主人の家系も、そんな時代を乗り越えて今があるんですね。
現在の西宮家にも、その子孫は一人として参画していません。この事実を知ったときのご主人の顔が、少し寂しげに映りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする