角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

先人からの恩恵。

2014年02月21日 | 地域の話




今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き[四阡六百円]
茶の唐草に紫の和柄という組み合わせは、これまでたくさん編んだ配色ではありません。かといって奇をてらったような印象でもないのは、案外合っている組み合わせかもしれませんね。華やかで美しい配色も角館草履なら、こうしたシブ目の落ち着いた配色もまた角館草履と思います。

二十四歳になる知人の娘さんが、先ごろFacebookに投稿した記事です。

なんだか伝えたいこと、長いけど気が向いたら読んで見てください。

今日は家族のいる秋田からオーストラリアに帰る前に妹の宇都宮に帰ってきました~!
のんびり実家はおばあちゃんとお母さんと〇〇とやっぱりいいきもち♥
あっという間に過ぎてしまいました!
他にも友達にも会いたかったけどバタバタしちゃって~、、、次の機会に!
って事で宇都宮で my sister と永遠の0見てきた!
見たかったんだ~
見てない人のために内容はあまり言わないけど!

映画で「あと10年で戦争を知ってる年代もいなくなってしまう」って言ってたけど、
そういえば実家に帰ったときふとおばあちゃんと話してたことを思い出したんだ!

あの頃はみんなが貧乏だからどんな服を着ててもどんな所に住んでても決して恥ずかしい事では無かったことや、
初めは父母妹を東京に置いて秋田まで一人で疎開してきたことを聞いたことが頭にうかんだ。

映画みててすっごくいろんな運命の偶然で生命って繋がってるけど私の家族もみんな同じなんだな~
戦後を乗りきった人たちのおかげでこんな日本があるわで、、、

なんてありきたりな感じの話しになってしまうけど。。。。

おばあちゃんがよく私をこうやって誉めてくれる。
「1人で海外にいって暮らして一人で全部やっててすごいね~」って

でも、そんなことよりも電話も携帯もテレビも新幹線もない時代に一人で疎開してきたおばあちゃんのほうがもっとすごい!!
誇りのおばあちゃんだなぁって思った。

うまく話しがまとまりませんが、
〇〇や〇〇がこうやっているのは、

1年遅く生まれたせいで戦争に行けなかった(いかないでくれた)おじいちゃん、一人で小学生で秋田まで勇気をもって来てくれたおばあちゃんのおかげでお母さんがいるおかげなのね。そんな偶然でこんな素敵な故郷が私にもできて。
本当に本当にありがとう。

24歳になってこうやっておばあちゃんやお母さんとたくさんの時間を過ごせてよかった。

この恩返しは1年半後に帰ってきて今までお世話になった分徐々に、私が誇れる孫だったり娘になるようになって倍返しだぜ!!←(日本に久々に帰国して覚えたので使って見たかった流行語)
そんなわけでいつまでも体に気をつけて元気でね。
マミー&グランマ&シスター&みんな♥


〇〇の部分は個人名なので一応伏せました。この投稿文を一読して、51歳のおっさんもいろんなことを考えたわけですよ。まず「永遠の0」はかねがね観たいと思っていた映画です。単純な戦争映画ではないという点に魅かれていましたし、主演の岡田准一さんは大河ドラマを観てなかなかの役者さんと思っていました。まだ観ていない映画ですから、私が書きたい趣旨と映画の内容は必ずしも合致しません。

私の実父は昭和3年生まれ、昭和56年に満52歳で他界しています。親父は16歳で海軍に志願し横須賀へ渡りました。一年ほどで終戦を迎え、戦地に赴くことなく角館へ戻っています。親父は酒を飲むと軍歌ばかり歌う人でした。いつだったか親父の誕生日に軍歌のLPレコードをプレゼントし、それはそれは喜んでくれたのを憶えています。私はまだ小学校高学年か中学生でしたが、親父と一緒にレコードを聴いていたのですべて歌えたものでした。

女性の投稿文にもある通り、親父がもう少し年長だったら、あるいは戦争がもっと長引いていたなら、私はこの世に生まれていない可能性がありますよ。さらに歴史を遡れば、父方母方のどちらかの先人がひとりでも欠けていたなら、やはり生まれていないのかもしれません。この世で生きているときは、たくさんの人々に支えられながら暮らしているのを実感できても、今は亡き先人の存在に想いを巡らすことはなかなかないでしょう。

人は皆「使命」を持ってこの世に生まれると信じています。今こうして日々草履を編んで暮らしているのも、やはり与えられた使命と思うわけです。NHK連ドラ「ごちそうさん」で、め以子の次男が海軍へ志願したいと言い出します。兵隊さんのために少しでも美味しい食事を作りたいと言うんですね。『ボクのこの手は、そのために付いていると思う…』の台詞は、そのまま実感として分かりますよ。

投稿文の中の「戦後を乗りきった人たちのおかげでこんな日本がある…」も、一定の年齢に達した日本人であれば少なからず感じているんじゃないでしょうか。私が二十代半ばでしたから、もう二十数年前になりますか。福島県にある窯元のご主人と酒を酌み交わす機会がありました。ご主人は当時六十歳代と思いますが、特攻隊に志願した兵隊さんなんですね。帰りの燃料を持たない特攻兵は、飛び立った日が命日です。運命の日は前日に言い渡されるといいます。その晩は一人部屋を与えられ、酒とわずかなご馳走が振る舞われると聞きました。

飛び立った特攻兵の部屋を片づけに行くと、枕の重さに気付いたといいます。それは一晩中泣きとおした涙なんですね。国を思い、故郷を思い、家族を思い、仲間を思い泣きとおした涙。ご主人は何度かその経験をし、自分も泣かずにいられなかったと言っていました。そして自分が飛び立つ日を待っていたのでしょう。

戦争は人類最大の悲劇です。繰り返すなどは論外、今世界で起きている紛争も早くやめたほうがいいに決まっています。けれどもときの運命によって、国のため、故郷のため、家族のために散って行った御霊に、私たちは手を合わせる必要があるとは思うんですね。家庭内で毎朝仏壇に手を合わせ、お盆や彼岸には墓参りをする。それと同じように英霊へ手を合わせるのは、ごく当たり前と思うわけです。

今の家族があるのはご先祖あってこそ、今の社会があるのは先人のご労苦あってこそ。二十四歳の投稿でそんな当たり前のことをあらためて教えられた次第です。
それにしても、知人は良い子に育てましたよ。
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2 コメント

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Unknown (さんさん)
2014-02-22 11:23:05
また、これを見てうるうるしました。
エピソードをこれほどのブログにしてくれて、感激です。
草履を作るのもひとつだけど、その文才は、ブログ以外の何かに活かせないものかしらね~
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いい子 (草履職人)
2014-02-22 17:32:20
あらっ、知人が誰かバレちゃいましたね~(笑)。

私の文才はどうか分かりませんが、三女が
読書感想文コンクールで「市長賞」に選ばれたそうです。
今度会ったら、『いい子に育ったね~』と誉めてやって
ください(笑)。
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