三日間のお休みは半分余りが消化し、免許証更新講習、26年分確定申告も終えました。免許証更新講習はゴールドに戻ったため、講習時間は30分です。まずあっという間でしたね。それでも交通安全というものをいっときであれ真剣に聴くのは、とても貴重な時間と思いました。新聞やテレビで日常に報じられる交通事故には、ある意味「慣れ」が生じるのでしょう。事故で愛娘を亡くした父親の手記など読むと、心に深く感じるものがあります。
昨日は更新講習以外をほとんど自宅で過ごしました。3月11日、忘れもしない東日本大震災があったその日は、新聞もテレビも「四年前から今日まで」の話題で終始しました。私は昨日休みで良かったと思います。ほぼ一日「震災を考える」のは、被災地にいない私にとって3月11日くらいのものになってしまいました。
現地から総じて伝えられるのは、復興の遅れです。鉄路や道路など目に見えて進んだ所もあれば、四年経った今も土盛りに追われる所もあります。昨年訪ねた石巻から気仙沼も、確かにそれを感じるものでした。
津波復興の一方で原発復興は、若干意味合いの異なる課題があります。新聞にも掲載され、テレビのワイドショーでも取り上げられていたのが、賠償金の格差なんですね。道路一本隔てただけで賠償金に格差が生じるのは、私だって理不尽を覚えます。放射線量ではなく単純な地理的区分けでは、地元民に仲違いが生まれて仕方ないんじゃないでしょうか。いったいどういう事情でそうなるのか、東電もずいぶん罪なことをするものです。
家屋の倒壊や津波で家族を亡くした方々の四年は、実感として「あっという間」だったと思います。その悲しみから立ち直った人はいないんじゃないでしょうか。生き延びた自分を今も責める人さえいました。「明日の命は誰も保障しない」というのは世間の俗説みたいなもので、健康に暮らしている家族との再会がある日突然絶たれる。これを前提に日々生きている人はまずいないでしょう。「よもや…」「まさか…」があの震災だったと思います。
過去のブログにも触れましたが、先月迎えた私の五十二歳は、親父がこの世を去った年齢です。私が高校を卒業し東京の建設会社へ就職して初めてのお盆、友人家族の車に乗せてもらい帰省すると、その半日前に親父はこの世を去っていました。ケータイなどないその時代、母親たちはこの事実をどうやって私に伝えようか苦悩していたそうです。十八歳の若者が初帰省で見たものは親父の遺体でした。「人生どんなことも起こりうる」と感じた初めての体験です。
かと言って、「明日死ぬかもしれない」と考えながら日々を送るのは楽しい話ではありません。ただ、明日死んでも大きな悔いが残らないように生きることは、決して不可能ではないと思っています。樺細工職人で生涯を終えた親父の遺作は、位牌と共に仏壇にあります。いつか私の草履にも遺作が生まれるでしょう。それがいつ訪れようと自信をもって編めるようになるまで、修行はまだまだ続きます。
昨日は更新講習以外をほとんど自宅で過ごしました。3月11日、忘れもしない東日本大震災があったその日は、新聞もテレビも「四年前から今日まで」の話題で終始しました。私は昨日休みで良かったと思います。ほぼ一日「震災を考える」のは、被災地にいない私にとって3月11日くらいのものになってしまいました。
現地から総じて伝えられるのは、復興の遅れです。鉄路や道路など目に見えて進んだ所もあれば、四年経った今も土盛りに追われる所もあります。昨年訪ねた石巻から気仙沼も、確かにそれを感じるものでした。
津波復興の一方で原発復興は、若干意味合いの異なる課題があります。新聞にも掲載され、テレビのワイドショーでも取り上げられていたのが、賠償金の格差なんですね。道路一本隔てただけで賠償金に格差が生じるのは、私だって理不尽を覚えます。放射線量ではなく単純な地理的区分けでは、地元民に仲違いが生まれて仕方ないんじゃないでしょうか。いったいどういう事情でそうなるのか、東電もずいぶん罪なことをするものです。
家屋の倒壊や津波で家族を亡くした方々の四年は、実感として「あっという間」だったと思います。その悲しみから立ち直った人はいないんじゃないでしょうか。生き延びた自分を今も責める人さえいました。「明日の命は誰も保障しない」というのは世間の俗説みたいなもので、健康に暮らしている家族との再会がある日突然絶たれる。これを前提に日々生きている人はまずいないでしょう。「よもや…」「まさか…」があの震災だったと思います。
過去のブログにも触れましたが、先月迎えた私の五十二歳は、親父がこの世を去った年齢です。私が高校を卒業し東京の建設会社へ就職して初めてのお盆、友人家族の車に乗せてもらい帰省すると、その半日前に親父はこの世を去っていました。ケータイなどないその時代、母親たちはこの事実をどうやって私に伝えようか苦悩していたそうです。十八歳の若者が初帰省で見たものは親父の遺体でした。「人生どんなことも起こりうる」と感じた初めての体験です。
かと言って、「明日死ぬかもしれない」と考えながら日々を送るのは楽しい話ではありません。ただ、明日死んでも大きな悔いが残らないように生きることは、決して不可能ではないと思っています。樺細工職人で生涯を終えた親父の遺作は、位牌と共に仏壇にあります。いつか私の草履にも遺作が生まれるでしょう。それがいつ訪れようと自信をもって編めるようになるまで、修行はまだまだ続きます。