鷹の爪(長井古種)
「鷹の爪」本当に鷹の爪のようですよね。これも「長井古種」です。私は昔ながらの楚々とした花型が好きなようです。「鷹の爪」は数少なく咲いていましたし、遠目だったので、枯れた後だと思いパスしたんです。友人が「鷹の爪撮った?」と聞きに来たんです。「枯れてるから撮らなかったよ」と答えました。「鷹の爪ね、今が満開の状態だって、係りの人に聞いてきたのよ」又二人で戻りました。良く見れば枯れてる感じでない「撮っといたら?」早速撮りました。
彼女が私に言ってきたのには裏があるんです。ご一緒して、その方がパソコンをしている方には、CDにして差し上げているんです。CDは一枚作ってしまえば、後何枚作っても手間はかかりませんし、喜んでいただければ嬉しいと思うからです。枚数の少ない時は添付メールで送信しますが、数が多いときは受け取り側のメモリーの大きさによっては迷惑だと聞いているからです。
彼女の頭の中には「きっとCDにするだろう、それならこの珍しい「鷹の爪」は是非入れておいて貰いたい」と言う考えがあったのだろうと、花を撮りながらニヤッと笑ってしまった私です。
先日、「川柳」にこんな句が載っておりました。
子の代へ残す庭木が気に掛かる
評:丹念に育てた庭木や鉢植えなど、子どもの代で枯れるのではと心配だ。大事にして、と願う心境か。
私も近年つくづく考えます。私が死んだらと言うより、もっと早い時期、体が不自由になって、庭仕事が出来なくなったら、この庭はどうなるのだろう・・・って。
芝の手入れは主人の仕事です。それ以外は、花は全て、私の好みです。主人も少しづつ、名前を覚えていくようですが、まだまだ一般的な「アジサイ」「百合」「アマリリス」「椿」くらいなものです。
私の集めた「可愛い花々」は知りません。花に愛情があるわけではありませんから、水遣りでも主人や息子に頼むと、葉にだけやって、肝心の根元はカラカラで枯らしてしまいます。だから水遣りの絶対必要な7・8月は家を空けられないのです。
男だからではありません、女性でも、花を買う事は好きでも、育てる事は嫌いと言う人もいます。時々大きなお庭に花の無い殺風景な風景を見る事もあります。きっとご家族全員が花を育てる事がお嫌いなんでしょう。サンサンと日の降り注ぐ花の無いお庭を見て『勿体無い!』と思ってしまいます。
花を育てる事、これも趣味ですから、庭はあるけど花は育てたくない場合もあるわけです。
花は育てたいけど育てられなくなった時の事も考えなければならない年齢に来た、を痛感するようになりました。
「城北公園」の帰り道、友人がこう言いました「この頃摘まないね?」って。ほしいと思い、差し芽が利くと思うと、一挿し頂くと言う、所謂「花盗人」だった私を知っているからです。勿論花の咲いているのを取ったりはしませんよ。花の咲いている枝は挿し芽に向かないと知っていますからね。
「私が庭仕事できなくなったら、即枯れるのだからと思ったら出来なくなったのよ」が私の答えです。
今はお花が一杯のお庭です。仏様にお供えする為にも必要なんです。切花として使えるもの、毎年芽を出す球根類に変えていっています。今は百合が一番多いでしょうか。種物は種から育てるのですが、双葉の出るのを待つのは本当に楽しいものです。