ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

宝島

2020年05月08日 | 読みました

 

この方の本も初めてです。

大東亜戦争が「沖縄」からと言うことは、教えられていましたが、

こんなに「過酷」な戦いとは知りませんでした。

この本を読んで、びっくりしました。75年以上昔のことですが。

 

私は「学童疎開」で、神戸の家が焼かれた空襲を知りません。

(アメリカの飛行機が飛来して,焼夷弾を投下する)

ただ、疎開先からも、神戸方面の空が「真っ赤」だったのは

覚えております。

 

「学童疎開」 が私たちの学年から始まりました。

親戚を頼っての疎開は「縁故疎開」と言いました。

「小学」、いえいえ「国民学校」と言っていました。3年生でした。

田舎に親戚がない子を学校が先生を付けて、

田舎に疎開さす制度でした。

私は3年生、疎開対象は3年から6年です。

二手に別れ、3年と5年は「加古川」に。4年と6年は「天満」でした。

 

「加古川」と言えば、今は神戸まで「通勤圏内」ですが、

交通の便がない、当時は「田舎」だったようです。

 

荷物は「行李」一つと決められていました。

その「行李は今でも我が家の押入れにあります。

「柳行李」と言ったと思いますから、「柳」で

出来ているのでしょうね。

 

本も1冊持っていきました、その本は、

「大東亜戦争」の始まりを、おもちゃ箱の人形で、表します。

「おもちゃ箱」といったと思いますが、戦争が激しくなって、

紙もなくなり、それぞれ、本をちぎって、お尻を拭きました。

私も、この本でお尻を拭きました。

 

寂しい、懐かしい思い出です。

疎開のお話は、一度書いたような気もしますが、

もう一度思い出して書きたいと思って居ます。

 

コメント
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