この方の本も初めてです。
大東亜戦争が「沖縄」からと言うことは、教えられていましたが、
こんなに「過酷」な戦いとは知りませんでした。
この本を読んで、びっくりしました。75年以上昔のことですが。
私は「学童疎開」で、神戸の家が焼かれた空襲を知りません。
(アメリカの飛行機が飛来して,焼夷弾を投下する)
ただ、疎開先からも、神戸方面の空が「真っ赤」だったのは
覚えております。
「学童疎開」 が私たちの学年から始まりました。
親戚を頼っての疎開は「縁故疎開」と言いました。
「小学」、いえいえ「国民学校」と言っていました。3年生でした。
田舎に親戚がない子を学校が先生を付けて、
田舎に疎開さす制度でした。
私は3年生、疎開対象は3年から6年です。
二手に別れ、3年と5年は「加古川」に。4年と6年は「天満」でした。
「加古川」と言えば、今は神戸まで「通勤圏内」ですが、
交通の便がない、当時は「田舎」だったようです。
荷物は「行李」一つと決められていました。
その「行李は今でも我が家の押入れにあります。
「柳行李」と言ったと思いますから、「柳」で
出来ているのでしょうね。
本も1冊持っていきました、その本は、
「大東亜戦争」の始まりを、おもちゃ箱の人形で、表します。
「おもちゃ箱」といったと思いますが、戦争が激しくなって、
紙もなくなり、それぞれ、本をちぎって、お尻を拭きました。
私も、この本でお尻を拭きました。
寂しい、懐かしい思い出です。
疎開のお話は、一度書いたような気もしますが、
もう一度思い出して書きたいと思って居ます。