あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

2019年03月31日 16時28分39秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸


蹶起趣意書

川島は、決起部隊から 「 軟弱だ 」 と 詰め寄られ、
彼らの目的を支持すると、約束していたのだ。
「これは随分重要な発言だと思います。
決起直後に大臣が、直接決起部隊の幹部に対して、
“昭和維新の斷行を約す”
と、約束している。
・・・
 「 昭和維新は大御心に副はず 」 

この事件は肅軍の企圖をもっていました。
わたしたちの蹶起したことの目的はいろいろありましたが、
眞の狙いは 非維新派たる現中央部を粛正することにあったのです。
軍を維新に誘導することは、わたし達の第一の目標でした。

・・・
磯部浅一
上部工作 「 蹶起すれば軍を引摺り得る 」


首脳部

陸軍大臣官邸
目次
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・ 
香田淸貞大尉 「 國家の一大事でありますゾ ! 」 
・ 川島義之陸軍大臣への要望書 
・ 
「 只今から我々の要望事項を申上げます 」 
・ 
内田メモ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」
・ 
齋藤瀏少將 「 とうとうやったぞ 」 
・ 
齋藤瀏 『 おじさん、速やかに出馬して軍上層部に折衝し事態収拾に努力して下さい 』 
・ 川島義之陸軍大臣 二月二十六日 
・ 陸相官邸 二月二十六日 
・ 「ブッタ斬るゾ !!」 
・ 
「 エイッこの野郎、まだグズグズ文句を言うか 」 
・ 川島義之陸軍大臣參内 「 軍當局は、吾々の行動を認めたのですか 」 
・ 香田淸貞大尉 「 陸相官邸の部隊にも給与して下さい 」 
・ 軍事參議官との會見 『 軍は自體の粛正をすると共に維新に進入するを要する 』 
・ 帝國ホテルの會合 
・ 戒嚴令 『 麹町地區警備隊 ・ 二十六日朝來出動セル部隊 』 
軍事參議官との會談 1 『 國家人無し 勇將眞崎あり、正義軍速やかに一任せよ 』 
・ 
軍事參議官との會談 2 『 事態の収拾を眞崎大將に御願します 』 
・ 
西田税、村中孝次 『 村中孝次、 二十七日夜 北一輝邸ニ現ル 』 
自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
・ 「自決は最後の手段、今は未だ最後の時ではない 」
 『 戰爭だ、戰爭だ 』 
・ 
徳川義親侯爵 『 身分一際ヲ捨テ強行參内をシヨウト思フ 』

西田税、蹶起将校 ・ 電話連絡 『 君達ハ官軍ノ様ダネ 』

西田に電話を掛けさせて青年将校の誰かを電話口に出て貰ふ事にしました。
確か栗原中尉と思ひます、電話口に出ましたので私は次の様に話しました。
「 やあ暫らく、愈々やりましたね、
就いては君等は昨日臺灣の柳川を總理に希望してゐると云ふ事を軍事參議官の方々に申したさうだが、
東京と臺灣では餘り話しが遠すぎるではないか、
何事も第一善を求めると云ふ事はかういふ場合に考ふ可きではありません、
眞崎でよいではないか、眞崎に時局を収拾して貰ふ事に先づ君等靑年將校全部の意見を一致させなさい。
さうして君等の意見一致として軍事參議官の方々も、
亦軍事參議官全部の意見一致として眞崎を推薦する事にすれば、即ち陸軍上下一致と云ふ事になる。
君等は軍事參議官の意見一致と同時に眞崎に一任して一切の要求は致さない事にしなさい。
そして呉れ呉も大權私議にならない様に軍事參議官に御願ひする様にしなさい 」
更に私は念を押して、
「 良く私の云ふ意味が判りますか、意味を間違へない様に他の諸君と相談して意見を一致させなさい 」
電話の要旨し以上の通りで、午前十時過ぎと思ひます。
尚 西田と村中との電話で話して居るのを機會に私が電話に出まして
村中に向っても、栗原に申したと同一の言葉を以つて靑年將校の意見一致を急速にする様に説き勧めました。
此時、栗原も、村中も
「 皆と相談して直ちに其様に致します」
と 云ふ返事でありました。
・・・
北一輝 2 「 仕舞った 」 

・ 蹶起部隊本部から行動部隊下士官兵に配布した檄文 

・ 磯部淺一 「 宇多! きさまどうする?」 
・ 「 あの温厚な村中が起ったのだ 」 
・ 丹生中尉 「 手錠までかけなくても良いではないか 」
「 お前たちの精神は、この山下が必ず実現して見せる 」

・ 
山下奉文の四日間 

同志将校は 各々下士官兵と劇的な訣別を終わり、陸相官邸に集合する。
余が村中、田中 と 共に官邸に向ひたる時は、
永田町台上一体は既に包囲軍隊が進入し、勝ち誇ったかの如く、喧騒極めている。
陸相官邸は憲兵、歩哨、参謀将校等が飛ぶ如くに往来している。
余等は広間に入り、
此処でピストルその他の装具を取り上げられ、軍刀だけの携帯を許される。
山下少将、岡村寧次少将が立会って居た。
彼我共に黙して語らず。
余等三人は林立せる警戒憲兵の間を僅かに通過して小室にカン禁さる。
同志との打合せ、連絡等すべて不可能、余はまさかこんな事にされるとは予想しなかった。
少なくも軍首脳部の士が、
吾等一同を集めて最後の意見なり、希望を陳べさして呉れると考へてゐた。
然るに血も涙も一滴だになく、自決せよと言はぬばかりの態度だ。
山下少将が入り来て 「 覺悟は 」 と 問ふ。
村中 「 天裁を受けます 」 と 簡単に答へる。
連日連夜の疲労がどっと押し寄せて性気を失ひて眠る。
夕景迫る頃、
憲兵大尉 岡村通弘 ( 同期生 ) の指揮にて、数名の下士官が捕縄をかける。
刑務所に送られる途中、
青山のあたりで 昭和十一年二月二十九日の日はトップリと暮れてしまふ。
・・・
行動記 ・ 第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」

「 畢生の至純を傾け盡して御國のご維新のために陳述す 」