あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

『 戰爭だ、戰爭だ 』

2019年03月29日 12時30分39秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

 
2 8 日、戦闘準備をする安藤部隊
前頁 
「 自決は最後の手段、今は未だ最後の時ではない 」  の続き

赤坂の料亭幸楽に陣どった安藤中隊は闘志もっとも旺盛だった。
幸楽には続々同志将校があつまって強硬派の牙城となった。
近く戦闘が予想せられる幸楽はあたかも決戦場のような様相を呈していた。
事件以来部外にあって愛国団体を動員するはずの澁川善助は前日から安藤部隊にもぐりこんでいた。
そこへ歩三の新井中尉が来て安藤に撤退をすすめた。
香田がいかって、
「 奉直命令がどうしたというんだ!そんなものはにせものだ、くだらんことをいうな!」
と叱りつけた。
澁川は、
「 幕僚が悪いんだ、彼らをやっつけてしまわねばダメだ 」
と怒号する。
そんな空気のところへ野中大尉が入ってきた。
野中はさきに部隊を代表して軍事参議官の最後の回答を求めに行ってきたのである。
野中は人々の興奮を尻目に、至極おちついていた。
「 一切を委せて帰ることにした 」
「 委せてかえる---それはどうしてですか 」
澁川が鋭く詰寄った。
「 兵隊がかわいそうだから 」
と野中の声は低かった。
澁川はなおも二言三言くってかかっていたが、
「なにもかも幕僚が悪いのだ!幕僚ファッショをやっつけてしまわねばダメだ 」
と再び怒号した。
・・・リンク→澁川善助 「 全国の農民が可哀想ではないんですか 」
この十数人の将校の集まった幸楽の応接間は激怒と悲憤のうずまきだった。

村中  はちょうどここに居合わせて、じっとこの様子を見ていた。
彼はこうなりゃ決裂だ、戦争だ戦争だと叫びながら部屋を飛び出して陸相官邸にかえった。
そして磯部に、
「 磯部やろう、安藤も坂井も絶対に退かんといっている。 安藤部隊の気勢はあがっている。団結は固い。
 幸楽付近は敵の攻撃をうけそうな気配だ、もう、こうなったら後へは引けん、やろう 」
磯部 は二つ返事で賛成した。
そして首相官邸に走った。
ここでは栗原も幸楽からかえっていて、お互いにやりましょうと闘志をはっきりした。
磯部はもう討死の覚悟だった。
田中部隊それに栗原から一小隊をかりてみずから閑院宮邸附近に進出して、この台地の一角をおさえた。
夜に入ると、磯部は常盤、鈴木両部隊とともに陸相官邸を守った。
坂井と清原の部隊が陸軍省と参謀本部附近、
栗原、中橋が首相官邸、

安藤が幸楽、丹生が山王ホテル、
野中と村中は予備隊として新議事堂にそれぞれ位置してすっかり戦闘準備を整えた。
・・・(二十九日朝 ? )



この日の夕方頃には幸楽、山王下付近は物見高い群衆も集まって雑とうをきわめていた。
栗原中尉が乗用車の上から大声で市民に演説していた。
「 諸君、
 私たちはわが國の現状を見るにしのびず止むなくたち上がったのであります。

この非常時局に元老、重臣、官僚、政党、財閥等のいわゆる特権階級が
私利私慾をほしいままにし、
国政をみだり国威を失墜している。
われわれは
真に一君万民たるべき皇国本然の姿を顕現せんがために特権階級の打倒に立ったのであります。

諸君、
わが國の軍隊は天皇陛下の軍隊であり、同時に国民の軍隊であります。

私たちは国防の第一線に立って笑って死にたいのであります。
それには何よりも後顧の憂いをとり除かなくてはなりません。
それがどうでしょう、農村漁村はいまや窮乏のどん底にあります。
こんなことで兵隊たちは安心して死んでいかれません。
われわれは立ち上がりました。
今こそわれわれは昭和維新を実現しなければなりません。
われわれはこれがための挺身隊であります 」
群衆は拍手を送る。
麻布三聯隊万歳、大日本帝国万歳のどよめきが群衆の中に湧き上がっていた。


・・・リンク ↓
・ 幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」
・ 下士官の演説 ・ 群集の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」 
中橋中尉 ・ 幸楽での演説 「 明朝決戦 やむなし ! 」 

こうして、彼らはこの一戦に討死を期して敵の攻撃を待った。
だが、この間、なお説得がつづけられていた。
一触即発の険悪な情勢の中に、冬の夜は更けていった。

大谷敬二郎著  二 ・二六事件 『 抗戦の拠点幸楽 』 から

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磯部浅一は
その著書 『 行動記 』 で上記の事を次の如く物語っている。
全文転載
第二十二 「 断乎 決戦の覺悟をする 」 
全同志を陸相官邸に集合させようとして聯絡をとったが、なかなか集合しない。
安藤、坂井は鞏硬論をとって動じない。
村中は安藤に聯絡のため幸楽へ走る。
暫くすると村中が飛び込んで來て、
「 オイ磯部やらふかッ、安藤は引かぬと云ふ、幸楽附近は今にも攻撃を受けそうな情況だ 」
と 斬込む様な口調で云ふ。
余は一語、
「 ヤロウッ 」 と 答へ、走って官邸を出る。
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陸相官邸で自決論が起きたのを耳にした清原が、
アワテテ安藤に之を聯絡した所が、安藤は非情に憤ったのだ。
今更自決なんて言ふ理屈はない。
一體首脳部 ( 同志の ) は何をしているのだ、と云ふ感じを持った。
そこへ村中が聯絡に行ったわけだ。
余は奉勅命令を下達もしない前から既に攻撃をとってゐることに關し、
非常な憤激をおぼえ、斷乎決戰する覺悟をした。
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時は既に午後二時頃、
死戰の覺悟を定めて、
田中部隊と栗原部隊の一小隊を以て、閑院宮邸附近に位置す。
夜に入り 常盤、鈴木兩部隊行動を共にす。
坂井及び清原部隊が陸軍省、參謀本部附近の地區、余が官邸附近。
栗原、中橋、首相官邸。安藤、丹生、山王ホテル幸楽附近。
野中部隊は豫備隊として新議事堂に、各位置する。
夕刻來、台上一帯の住民は立退きを始める。
赤坂見附、半蔵門、警視廳等各方面戰車の轟音頻り、
交通、通信 ( 電話 ) を斷たれ、外部との聯絡不可能となる。
兵士の給養をせばならぬのだが、如何ともする術がない。
止むを得ず自動車でパン、菓子等を徴発し、清酒一樽を求めてうえをしのぐ程度の処置をする。
山下大尉
夜、近歩四、山下大尉が訪ねて來たので情況をきくと、
奉勅命令も攻撃命令も出ておらぬと云ふ。
何が何だか、サッパリわけがわからなくなる。
しかも包囲各部隊の將校は射ち合ひする事は嫌だと云ってゐて、
むしろ同志將校に同情する態度であるとの由。

 桜井少佐
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此の日は、各部隊共ヒンパンに撤退勧告を受けた。
安藤の所へは
村上啓作大佐が維新大詔の草案をもって來て後退をすすめ、
聯隊長も亦奉勅命令を持參して後退をすすめ、
第一師團參謀、桜井少佐も來たらしい。
但し 聯隊長持參のものはインチキなものである事が公判廷でわかった。
桜井少佐のは本物であったらしいが、
激こうせる兵等に阻止されて、安藤と會う事が出來なかった。
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山王ホテル、首相官邸、幸楽からは
万歳の叫喚と軍歌の怒濤が全部をゆるがす如く、引きりなく起きる。
赤坂の所々には街頭演説が始り、
山なす群衆に向って蹶起の主意、維新の要を絶叫する。
群衆は激励の辭を浴せかける。
市中各所に暴動が起こるとの風説頻々、菅波、大岸大尉上京するとの報、
歩三の殘留部隊が義軍に投じたりとの報、同志の志氣は益々高まる。
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一、野中大尉のもとへ
      歩三の某大尉が來て、
      チチブの宮殿下の御言葉として、靑年將校は最後をキレイにせねばならん、
      蹶起部隊に部外者が參加せることは遺憾だ等、
      數ヶ条のことを傳へたのは夜 (二十八日) の出來事であった。
二、安藤への所へは
      歩三出身の某將校が來て
      「今、歩三で會議があって、
      安藤はチチブの宮殿下の御言葉もキカナイから殺さう、
      然し他の將校團のものに殺させてはならぬから、
      歩三の將校で殺すことにしようと云ふ事がきまった」 と 傳へて呉れる。
三、安藤、栗原部隊の下士、兵の志気はスバラシイ。
      一歩も引きません。
      吾等に刃向ふものは大將でも中將でも容赦しません、
      昭和維新萬歳、尊皇討奸萬歳等々と
      口々に絶叫してアタルベカラザルモノデアル。


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