あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

徳川義親侯爵 『 身分一際ヲ捨テ強行參内をシヨウト思フ 』

2019年03月08日 15時04分28秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

  
  齋藤瀏                        栗原安秀
二十六、七日ノ兩日ノ状況ヨリシテ、軍上層部ノ人達ハ私ノ真意ヲ解スルコトナク、
予備ノ齋藤ガ生意氣ナト言フ空気ガ見ヘ、
且 軍ノ有力ナ人カラ面前デ言ハレタノデ、冷靜ニ考ヘルト、
国家ノ爲ダトカ、軍ノ爲ダトカ騒イデ居ルコトノ無意味事ヲ感ジ、
同日以後ハ自宅デ謹慎シテ居ました。
・・・第二回公判

 徳川義親侯
二十八日夜、決別の電話が来ました。
彼等の心情のあわれさに動こうとした人もございました。
同日、夜半過ぎ、徳川義親侯からの電話でした。
内容の重なところは
「---身分一際を捨てて強行参内をしようと思う。
決起将校の代表一名を同行したい。
代表者もまた自決の覚悟をねがう。
至急私の所へよこされたい---」
しばらくの後、栗原に話が通じ、さらに協議ののちに来た答を、
父が電話の前でくり返すのを聞きました。
あるいは父の書いたものよりは、彼の口調に近いかも知れません。
「 状勢は刻々に非です。お心は一同涙の出るほど有難く思いますが、
もはや事茲に至っては、如何とも出来ないと思います。
これ以上は多くの方に御迷惑をかけたくないので、
おじさんから、よろしく御ことわりをして下さい。御厚意を感謝します 」
・・・齋藤史の二 ・二六事件 2 「 二 ・二六事件 」

時間ハ判然致シマセンガ、
石原ガ徳川侯爵ト大川周明ガ某所デ會ツテ、
徳川侯爵ハ場合ニ依ツテハ蹶起将校ヲ引率シテ爵位奉還ノ決心ヲ持ツテ宮中ニ参内スルトノ事デアルカラ、
青年將校ノ決心ヲ聞イテ呉レル様ニト申出ガアツタノデ、電話ヲカケテ栗原ニ其ノ事ヲ話スト、
御厚意ハ有難イガ、其ノ必要ハナイト思フ、其ノ御厚意デ宮中工作ヲシテ欲シテトノ事デアリマシタカラ、
其ノ旨ヲ電話デ傳ヘマシタ。・・・齋藤瀏
其ノ事ハ栗原ヨリ西田税に聯絡シアリ、西田ノ指令ニ依リ斷ツタノデアル ・・法務官
・・・第二回公判 ( 11年12月9 日 )

二十八日夕頃、栗原中尉ヨリ電話ニテ、
齋藤少將ノ言トシテ徳川侯ガ青年將校ヲ同道 宮中ニ參内スルトノ事ヲ西田ニ問合セタルニ、
西田ヨリ不可能ナル事ヲ傳達シ、現在ノ地點ヲ確保スベシト申シタル事アリヤ ・・法務官

徳川侯ガ青年將校ヲ同道參内ストノ電話ガ、栗原ヨリアリマシタノデ、
自分ハ外部ノ人々ニ依頼スルコトヨリ陸軍部内ノ意見一致ヲ以テ進ムガ良好ト考ヘ、
断ル様申シマシタ。 ・・・西田税 ・・第十回公判状況


最後の二九日、齋藤は自宅にいた
事件鎮定の最後のラジオを、涙のうちに聞いた
皇宮相撃の悲劇を見なかったことが、せめてもの救いであった
よかりきと言には出でぬ頽れて
傍の椅子に 身は重く落つ

・・・齋藤瀏少將 「 とうとうやったぞ 」 


齋藤瀏少將 「 とうとうやったぞ 」

2019年03月08日 05時26分04秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

二月二十五日
昭和維新のための蹶起の時間が二十六日未明と決まってから、
栗原たちの行動は分刻みで忙しさを増した。
二十五日午前中に
週番指令室で打ち合わせを終えた村中から 栗原が報告を受けたのが正午ころだった。
その直後、
栗原は東京駅の食堂へ齋藤を呼び出して昼食を共にしている。
「 急に呼び出してすいません。」
「 おじさん、今まで苦心して捜索していた牧野伸顕の所在が天佑あって判明しました。」
「彼は湯河原の旅館に居るのです。これは確実な情報です。」
「 これですべての準備が揃いました。」
「 明日の早暁、電話のベルが鳴ったらやったと思ってください。そして、大体成功だと 」
栗原は感極まっていた。
本当に嬉しそうに涙を耐えるようにそこまで言うと齋藤にもうひと事付け加えた。
「 もしベルが鳴らなかったら、いや、必ず鳴るようにしますが・・・・」
「 しかしこれからはもう、しみじみお話しする機会もなくなるだろうと思います。」
「 これが最後のお別れになるかも知れません・・・・。」
「 おじさんのお蔭で蹶起資金ができたんです、ほんとうに感謝しています。」
齋藤と栗原は人目を避けるようにして隅のテーブルに座ると、
静かにビールを注ぎ合ってコップを掲げた。
そして、押し殺した声に深い思いを込めて齋藤が言った。
「 成功を祈る 」
「おじさんのことは、同志のみんなが感謝しています。」
「 いろいろご教示いただきありがとうございました。忙しいかにこれで・・・・
と 栗原は席を立ちながらもうひと言、齋藤の耳もとで付け加えた。」
「 明日、陸軍省などの歩哨線を通過するときには、
ポケットの蓋か軍服の襟裏などに使用済みの郵便切手を貼り付けておいて、
それを歩哨に見せれば通過できます。」
その夜、齋藤はなかなか眠りにつけなかった。
牧野伯爵の居所が分ったと喜ぶ栗原の顔が浮かんだ。
いつだったか、
彼が語った四十七士の吉良邸討ち入りの苦心談や、
彼らが齋藤實邸、高橋是清邸に討ち入るための偵察、
そして部下を率いて夜間訓練の想定を設けて実行の予習をやった話、
牧野邸を予想して裏山に機関銃を設置する位置の訓練のことなど
こと細かに相談に乗っては一緒に夜を明かしたことどもが齋藤の頭の中を駆け巡っていた。
そして、因果なことだと齋藤は思った。
非合法な行動に命を懸け、それに賛成し、送り出した自分の言葉を噛みしめていた。

雪でよかった
夜来の雪は朝がたになってその量を増したようだった。
齋藤瀏は浅いまどろみのなかで雪の降る光景を見たような気がしていた。
輾転反側、五時ごろには起き上がった。
まだ電話は鳴らないな、と思いながら廊下の雨戸を開ければ思ったとおり一面の雪景色だった。
雪の嵩はどのくらいだろうか、栗原たちが歩くには支障はあるまいと齋藤は思った。
「 史、雪だよ。雪。ああ、ほんとうに雪でよかった。」
ぼたん雪が笹の葉から辷り落ちて、音をたてた。
齋藤は心の中で叫んでみた。
「 もっと降れ。屋根の高さまで降ってみろ。
ああ、それにしても雨でもなく晴れでもなく、雪でよかった。」
栗原も坂井も雪なんかにへこたれる奴ではない。
少年時代を旭川で過ごした彼らは雪には強い。
雪なら勝てるぞ と 齋藤が思ったとき、
電話のベルがけたたましく鳴った。
時計は六時半を回ったところだった。

「 私ども青年将校はいよいよ蹶起し、
 今払暁、岡田啓介、齋藤實、高橋是清、鈴木貫太郎、渡邊錠太郎を襲撃し、
岡田、齋藤、高橋、渡邊を斃し、鈴木に重傷を負わせました。」
「 西園寺公望、牧野伸顕は成否不明。」
「 おじさん、速やかに出馬して、軍上層部に折衝し事態収拾に努力して下さい 」
栗原の声ははずんでいたが、興奮しているようには聞こえなかった。
「 とうとうやったぞ 」
父の声に起き上がってきた史とて、眠れはしなかった。
「 クリコたちがやりましたか 」
と 言って一瞬立ちすくんだ。
やがて庇に積もり始めた雪を見やり、
やっと膨らみかけた腹部をさすって安堵の表情を 瀏に向けた。

齋藤の車が首相官邸に近づくと、
街路に機銃を据え、銃手が雪の上に伏せたまま哨戒線を張っている情景が見える。
車は歩哨に止められ、
銃剣を持ったままの兵が寄ってきて窓から覗き込みながら誰何した。
「 誰だ 」
銃を構えて、刺突の姿勢をとった歩哨に向かって、言った。
「 予備役陸軍少将、齋藤瀏だ 」
そう言ってから、
ポケットの蓋を帰すと貼付してある郵便切手を見せた。
「 お通りください 」
歩哨の敬礼に、
「 ご苦労 」
と 返した齋藤は首相官邸の門柱を通過した。

車おりてその押しつけし銃尖に
わが名のりつつ雪の上に立つ

 
思いつめ一つの道に死なむとする
この若人と わが行かんかな

首相官邸の齋藤瀏
時計が午前七時をまわったころ、
齋藤瀏は首相官邸の中に入って行った。
やがて栗原中尉が軍装凛々しく出て来て、私に挙手の礼をした、
態度も動作も落ち着いて居た。
然し顔の色は稍青ざめて居たやうに思った。
ここで栗原は今迄の経過を私に語った。
「 後はどうなって居る 」
「 まだその儘です 」
「 首相は 」
「 泥にまみれて、中庭に斃れて居ますが、今元の寝床へ運ぶやうに兵に命じました 」
「 一国の総理だ、無礼の無いやうに。下士以下など室へ入れぬ方がよい 」
「 処置してあります、御覧になりますか 」
「 うむ一寸 」
私は栗原の案内で、首相の寝室に入ってその屍に合掌した。
「 首相でせうか 」
聞かれても私は今迄岡田首相は写真で見た丈けである。
それに此の官邸に首相以外の人の居る事を知らぬ。
従ってうなづく外はない。
「 寝床は此処だけか 」
「 邸内は隈なく調べましたが此の室内に一つしかありません 」
「 吉良上野介は、炭部屋だったかな 」
私の口からこんな言葉が出た。なぜだか私にもわからぬ

それから暫くこの官邸で、栗原と語った後 
陸軍大臣に会うべく、陸軍省に行くことにした。
「 自動車!」
と 栗原が呼んだ。
そしてこの準備それた自動車に乗ると、
栗原も同行すると言って私の傍に腰をかけた。
・・二・二六   齋藤瀏から
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齋藤と栗原が揃って陸相官邸に到着したのは、午前七時二十分くらいである。
永田町と三宅坂だから五分とかからない。
ところが栗原は車中で齋藤から
「通信網に対してはどんな処置をとったのか」
と 問われ
はっとした。
齋藤はさらに
「外国、特に米英ソ等に対して下らぬ通信をさせぬよう気をつけねばだめだ。
放送局はどうした・・・・」
とも 迫った。
陸相官邸で降りた栗原は
あわてて中橋中尉、池田、中島少尉らを連れ、
有楽町の朝日新聞社 その他の襲撃に急遽向かう。
下士官総勢六十名である。

工藤美代子著  昭和維新の朝 から

 

齋藤は案内されて栗原の所に通った
以後、陸相官邸にあって蹶起将校の介添役として、軍事参議官の大将連の軍首脳部との会見、
折衝に立会って積極的に動いた
さらに翌日には、
事態収拾のために明倫会田中総裁を帯同して戒厳司令部を訪れ、
進言するなどの努力を傾けた
しかし、三日間にわたる経過は周知のように、散々に集結をもって終った
最後の二九日、齋藤は自宅にいた
事件鎮定の最後のラジオを、涙のうちに聞いた
皇宮相撃の悲劇を見なかったことが、せめてもの救いであった

よかりきと言には出でぬ頽れて
傍の椅子に 身は重く落つ

死刑執行の近づいたある日、
予審中の齋藤瀏の官房に小さな紙屑(カミクズ)が投げこまれた
「 おじさん 世話になりました。ほがらかに行きます 」
坂井からのものであった
「 おわかれです。おじさん最期のお別れ申します。
史さん、おばさんによろしく    クリコ  」

七月一二日の朝、
安藤大尉ら一五名の銃殺刑の銃声を獄中で聞いた

銃声彷彿とたつ幻あり
謹みて合掌す  南無阿弥陀仏

ひそやかに 訣別の言の 伝わりし頃は ラフフの人ならざりし
いのち断たる おのれは言はず ことづては 虹よりも 彩にやさしかりき
ひきがねを 引かるるまでの 時の間は 音ぞ絶えたる その時の間や
額の真中に 弾丸を うけたるおもかげの 立居に憑きて 頁のおどろや
・・・齋藤史