あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

齋藤瀏 『 おじさん、速やかに出馬して軍上層部に折衝し事態収拾に努力して下さい 』

2019年03月09日 18時50分19秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

「 私ども青年将校はいよいよ蹶起し、
 今払暁、岡田啓介、齋藤實、高橋是清、鈴木貫太郎、渡邊錠太郎を襲撃し、
岡田、齋藤、高橋、渡邊を斃し、鈴木に重傷を負わせました。」
「 西園寺公望、牧野伸顕は成否不明。」
「 おじさん、速やかに出馬して、軍上層部に折衝し事態収拾に努力して下さい 」
栗原の声ははずんでいたが、興奮しているようには聞こえなかった。
「 とうとうやったぞ 」
父の声に起き上がってきた史とて、眠れはしなかった。
「 クリコたちがやりましたか 」
と 言って一瞬立ちすくんだ。
・・・齋藤瀏少將 「 とうとうやったぞ 」 

午前八時頃になりますと、後ろの方がザワザワするので振向くと眞崎大将が入って来られました。
若い将校は一同不動の姿勢をとり久し振りで帰って来た慈父を迎へる様な態度を以て恭しく敬礼をしました。
附近に居られた齋藤瀏少将は
「 やあ よく来られた 」 と 云ふ声を掛けられると 、

眞崎大将は 左の大臣に一寸目礼をした儘 直に斎藤少将の方へ進まれました。
齋藤少将は例の大声で
「 今暁 青年将校が軍隊を率ひて、これこれしかじか の目標を襲撃した 」
とて大体の筋を話した上、
「 此の行ひ其のものは不軍紀でもあり、皇軍の私兵化でもあるが、
 僕は彼等の精神を酌し
又 斯の如き事件が起るのは国内其のものに重大なる欠陥があるからだと考へ、
此際 青年将校の方をどうこうすると云ふよりも、
もっともっと大切の事は国内をどうするかと云ふ事だと云ふ事で、

今大臣に進言して居る所です。
斯の如き事態を処置するのに閣議だの会議だの平時に於ける下らぬ手続きをとって居っては間に合はぬ。
非常時は非常時らしく大英断を以てドシドシ定めなければならぬと思ひます 」
と 云ふ様な意見を陳べられました。
其の間 眞崎大将亦大きな声で、
「 そうだそうだ、成程行ひ其のものは悪い、然し社会の方は尚悪い、
起った事は仕方がない、我々老人にも罪があったのだから、之から大に働かなければならぬ、
又 非常時らしく、ドシドシやらねばならぬ事にも同感だ 」
と 云様に大変青年将校に同情のある同意の仕方をされました。
・・・山口一太郎
・ 川島義之陸軍大臣参内 「 軍当局は、吾々の行動を認めたのですか 」 


  

  齋藤瀏                        栗原安秀

・・・國家ノ改造ハ一ニ國體観念ニ透徹セル軍隊ノ力ニ俟タザルベカラズトノ信念ヲ有スルニ至リ、
偶々今次叛乱將校栗原安秀、坂井直等 被告宅ニ出入スルニ及ビテハ、之ガ指導ヲ爲シタル他、
栗原安秀ニ對シテハ昭和八年九月頃豫テ同志的關係ニアリタル石原広一郎ニ紹介シ、
同人ヨリ前後數回ニ亘リ金一万二千圓ヲ支給セシメ、専ラ蹶起将校ノ行動ヲ容易ナラシメタリ。
而シテ、昭和十一年二月二十日
前記栗原安秀ヨリ銀座裏料理店ニ於テ近ク實力行動ヲ決行スル旨ノ話ヲ聽キ、
電話ヲ以テ近一千圓ノ支給方ヲ石原広一郎ニ要請シ蹶起資金タラシメタルソト、
二月二十六日早朝栗原安秀ヨリ蹶起ノ電話報告ヲ受クルヤ直チニ自動車ヲ以テ首相官邸ニ驅ケ附ケ、
蹶起部隊ニ糧食ハアルカ、外套ハアルカ、金ハアルカ等ノ言葉ヲ以テ激励シ、
同所ヨリ蹶起部隊ノ自動車ヲ以テ栗原ト同乗陸相官邸ニ赴キ、
陸軍大臣、同次官ニ對シ蹶起部隊ハ忠臣ナルヤ、奸賊ナルヤ、
或ハ蹶起將校ノ趣旨ヲ生カス爲決死ノ覺悟ヲ以テ直チニ參内上奏セラレ度シ等ノ進言ヲ爲シ、
或ハ蹶起將校ヨリ新議事堂附近ヲ 警備區域トシテ戒嚴部隊ニ編入セラルル様盡力セラレ度シ
トノ請託ヲ受ケ此ヲ戒嚴司令官ニ申言シタル如キ・・・
・・・公訴事実
陸相官邸ニ行ツテ如何ナル事ヲナシタルヤ ・・・法務官
「 陸軍大臣ガ蹶起將校ニ取巻カレテ何カ要求サレテ困ツテ居ラレルヤウナ風デシタ。
其処ニ私ガ入ツテ行キマシタノデ、大臣ノ許可ヲ得テ、
今回ノ蹶起ハ國體カラ言ツテ斷ジテ許サレナイ行動デアルト言フ事ヲ明言シ、
陸相ニハ忠臣デアルカ、奸賊デアルカ明ニスレバ其ノ処置ガ明瞭ニナル旨ヲ暗ニ進言致シマシタ。
私ヲシテ言ハシムルナラバ、今回ノ事件ハ軍首脳部ニ明ナル腹ガナク、策ガ無カツタ結果、
事件ヲ是迄擴大シ、即チ有爲ノ軍事參議官多數ヲ現役ヨリ退カシメ、多數將校ヲ犠牲ニシ、
剰サヘ殆ド關係ノ無イト思ハルル者迄法廷ニ引出シ裁カレテ居ル。
而モ私ノ場合、事件當時ハ軍首脳部ヨリ感謝サレテ居タニモ拘ラズ、
事件後ノ今日 殊ニ豫審ニ於テハ私ノ有利ニナルコトハ一切記錄セズ、
不利ニナル事ノミヲ綴ツタ調書ニ依ツテ、當公判ヲ開ヒテ居ル。
此ハ大御心ニ反シタル取扱ト言ハネバナラヌ。
若シ、當時軍首脳部ガ、私ノ一切ヲ捨テ、アノ事態ヲ収拾セバ、極メテ容易ニ片附イタ事ト思フ。
其戰術ニ於テハ戒嚴司令官ニ話シタ通リデアル。」
ト述ベ、軍首脳部ノ態度ヲ論難シ、
公判ノ神聖ニ對シ、今回ノ審判ハ一方的ニシテ、疑心暗鬼ナラザルヲ得ズトノ言辭を弄ろうセリ。
・・・事実審理
・・・第一回公判 ( 昭和11年12月7日 )

二十七日自宅ニ於テ起床シマシタガ、何ダカ昨日カラノ事ヲ心配ニナリマシタノデ、
午前九時頃自宅を出發、戒嚴司令部ニ行ク途中首相官邸ニ立寄リマスト、
栗原他數名ノ將校ガ車座ニナツテ何カ非常ナ議論ヲシテ居マシタガ、
私ガ入リマスト、栗原ガ私ノ方ニ來マシタノデ、無言デ金百圓ヲ渡シマシタ。
此ノ金ヲ、昨日ノ公訴事實ニ依ルト、私ガ叛乱將校ヲ幇助スル目的デ渡シタコトニナツテ居リマスガ、
此ハ全ク私ノ心持ト相反スルコトデ、當時ノ私ノ心境ハ、昨日カラノ狀況ヲ判斷スルト、
蹶起部隊ノ結果ガ既ニ推定出來ルノデ、寧ロ香奠ノ様ナ心持デ与ヘタノデアリマス。

首相官邸ニ於テ栗原ヨリ戒厳司令官ニ何カ依頼されたることなきや ・・・法務官
私ガ首相官邸ニ入リマスト、一團ノ將
戒嚴司令部ノ直轄部隊ニ編入シテ貰ハナケレバ安心ガ出來ヌトカ、
他ノ策動ガ入ツタラ戒嚴司令部、偕行社を占據シナケレバナラヌトカ、
戒嚴部隊ノ場合ハ新議事堂附近一帯を警備區域ニ貰ハネバナラヌカト言フ話ヲシテ居リマシタ。
私ハ其処ヲ出テ戒嚴司令部ニ赴キ、香椎ニ會ツテ、私ノ見タ首相官邸ノ狀況ヲ話シマシタ。
又、同人ト私ハ士官學校以來同期生ダツタ關係、他ノ話モ種々シテ、
其ノ中ニハ國家皇軍ノ爲、役ニ立ツタコトモ多々アツタコトト思ヒマス。
要スルニ、此レモ公訴事實トハ素ノ精神ガ根本的ニ異ツテ居リ、
栗原カラ依頼ヲ受ケテ之ヲ傳ヘタト言フ事實ハ全クアリマセン。

其ノ後如何ニ爲シタルカ
戒嚴司令部ヲ出テ昼食ヲ採ル爲メ明倫會出入ノ食堂ニ行キマスト、
田中大將始メ多數明倫會員ガ集マツテ居リマシタ。
私ガ入ルト、同大將ヨリ何処カラ歸ツタカト尋ネラレマシタノデ、事情ヲ話スト、
自分モ狀況ヲ見テ事態収拾ニ働キ度イカラ案内ヲシテ呉レトノ事デ、
私ハ同大將ヲ案内シテ首相官邸ニ行キマスト、蹶起將校ハ無言ノ儘 威張ツタ様ナ態度デ居リ、
磯部ガ名刺ヲ出シ、
「 私ガ昨年剝官セラレタ磯部デアリマス 」 ト述べ、
大將ハ今回ノ蹶起ハ國體ト相容レナイ旨ヲ確言セラレ、
同處ヲ立出デ軍事參議官ニ會ヒ度イ旨申サレマシタノデ、偕行社ニ荒木大將ヲ尋ネ、
同大將ト話サレテ後、明倫會ニ歸リマシタ。

二十八日ハ如何ニサレタルヤ
二十六、七日ノ兩日ノ狀況ヨリシテ、軍上層部ノ人達ハ私ノ眞意ヲ解スルコトナク、
豫備ノ齋藤ガ生意氣ナト言フ空氣ガ見エ、且 軍ノ有力ナ人カラ面前デ言ハレタノデ、
冷靜ニ考ヘルト、國家ノ爲ダトカ、軍ノ爲ダトカ騒イデ居ルコトノ無意味事ヲ感ジ、
同日以後ハ自宅デ謹愼シテ居リマシタ。

石原広一郎カラ電話ノカカツタ前後ノ狀況ニ就テ述ベヨ
時間ハ判然致シマセンガ、
石原ガ徳川侯爵ト大川周明ガ某所デ會ツテ、
徳川侯爵ハ場合ニ依ツテハ蹶起將校ヲ引率シテ爵位奉還ノ決心ヲ持ツテ宮中ニ參内スルトノ事デアルカラ、
青年將校ノ決心ヲ聞イテ呉レル様ニト申出ガアツタノデ、電話ヲカケテ栗原ニ其ノ事ヲ話スト、
御厚意ハ有難イガ、其ノ必要ハナイト思フ、其ノ御厚意デ宮中工作ヲシテ欲シテトノ事デアリマシタカラ、
其ノ旨ヲ電話デ傳ヘマシタ。
其ノ事ハ栗原ヨリ西田税に聯絡シアリ、西田ノ指令ニ依リ斷ツタノデアル
・・・第ニ回公判 ( 昭和11年12月9 日 )

論告求刑
1  昭和十一年二月二十日、被告ガ衆議院議員立候補者 石原広一郎ノ選擧應援ノ歸途、
  栗原中尉ハ東京駅ニ被告ヲ迎ヘ、銀座裏サロン はる前鳥料理店ニ於テ同人ト會合シ、
同中尉ヨリ直グ直接行動ヲ決行スル爲、資金入用ニ附、石原ヨリ金ヲ融通セラレ度キ旨ノ要請を受ケ、
之ヲ受諾シ、直ニ電話ヲ以テ石原ト交渉シ、
翌日東京九段坂同人邸ニ於テ書生ヨリ金一千圓ヲ受領、栗原中尉ニ手交セリ。
2  二月二十六日午前五時頃栗原中尉ヨリ事件ヲ決行シ首相、重臣ヲ殺碍シタル旨ノ電話ヲ聽キ、
  善處方ヲ依頼セラルルヤ、自動車ヲ以テ首相官邸ニ至リ、同人ト會見、
陸相官邸ニ赴ク途中、自動車内ニ於テ同中尉ヨリ川島陸相、古荘次官、香椎中將等ニ對スル上部工作ヲ依頼セラレ、
之ヲ受諾シ、
(1)  蹶起部隊ガ義軍ナルヤ、奸賊ナルヤヲ明ニセバ、爾後ノ處置ハ明ニナルコト、
(2)  皇軍相撃ハ絶對不可ナリ、
(3)  今回蹶起シタル將兵ハ何レモ貧困ナル家庭ノ出身ニシテ、近ク満洲ニ渡満セザルベカラザルヲ知リ、
  其依然ニ家庭ノ生活不安ヲ一掃セントノ決意ニ出タルモノニシテ、昭和維新の曙光ヲ見ル迄ハ原位置ヲ後退セザル旨、
  蹶起將校ノ言ヲ代弁シ、
(4)  川島大將、眞參大將ニ對シ、直ニ宮中ニ參内シ、陛下ノ御不安ヲ一掃申上グルト共ニ、
  蹶起將校ノ趣旨ヲ上奏シ奉リ、
 若シ陛下ノ御眞意ニ副ハザルトキハ闕下ニ自決ノ覺悟ヲ以テ參内セラレタシ、
等蹶起部隊ニ有利ナル言ヲ述ベ、
4  更ニ、二月二十七日首相官邸ニ至リ、栗原中尉ニ對シ金百圓ヲ与ヘ、之ヲ叛乱の用ニ供シタリ。
5  同日栗原ヨリ 新議事堂附近ニ部隊ヲ集結シ、
  此ノ區域ヲ警戒區域トシテ与ヘラルル様 戒嚴司令官トノ交渉ヲ依頼セラレ、
之ヲ受諾シ、同司令官ニ其旨進言シ、之ガ實施ニ努メタル外、
蹶起部隊ガ偕行社 或ハ戒厳司令部ヲ襲撃スルヤモ知レズトノ進言ヲナシ、
6  二月二十八日石原広一郎ヨリ、徳川義親侯爵ガ大川周明等ト圖リ、
  爵位奉還ノ決心ヲ以テ叛乱將校ヲ引率シ、宮中ニ參内スル決心ヲ以テ、
蹶起將校ノ決心ヲ確メラレタシトノ電話ヲ接受シ、之ニ賛成、直ニ栗原ニ之旨電話シタルモ、
同人等ヨリ其ノ厚意ハ多トスルモ其ニハ及バズ、
其ノ厚意ヲ以テ宮中方面 及 軍上層部ニ對シ努力セラレ度シトノ返電アリタリ。
以上ハ何レモ叛乱ヲ幇助シタル行爲ニシテ、被告モ之ヲ認メタリ。
・・・
・・・第三回公判 ( 昭和11年12月11 日 )
ニ ・二六事件秘録 ( 三 ) から
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・・・広間に山下、眞崎らが揃ったところで、磯部が齋藤に話しかけた。
「 齋藤閣下、問題は簡単です。
 我々のしたことが義軍の行為であるということを認めさせればいいのです。
 閣下からそのことを大臣、次官に充分に申し上げてください 」
「 そうだ、義軍だ、義軍の義挙なのだ。ヨシ、俺がやる 」 ・・・磯部淺一  行動記  ・ 第十五 「 お前達の心は ヨーわかっとる 」 
そう言うと齋藤は傍らの眞崎に向って次のように迫った。
「 眞崎閣下、かかる事態を惹起せしめた責任は、軍上層部になてとはいえません。
 何としても閣下はすみやかに参内し、ここにあ蹶起の趣意書を奏上し、
忠君愛国の至誠に基づくものたるがゆえに、御宸襟を安んじ給わるようにお取り計り願いたい。
しかし、もしもお咎めがあったならば、大将はご切腹のご覚悟ありたい 」
「 分かっておる。俺はこれから行くところがあるから 」
と言い残すと、川島陸相とひと言ささやいてあたふたと部屋を後にした。
二月二十六日の朝、時刻はやがて九時になろうとしていた。
・・・工藤美代子著  昭和維新の朝 から