齋藤瀏 栗原安秀
二十六、七日ノ兩日ノ状況ヨリシテ、軍上層部ノ人達ハ私ノ真意ヲ解スルコトナク、
予備ノ齋藤ガ生意氣ナト言フ空気ガ見ヘ、
且 軍ノ有力ナ人カラ面前デ言ハレタノデ、冷靜ニ考ヘルト、
国家ノ爲ダトカ、軍ノ爲ダトカ騒イデ居ルコトノ無意味事ヲ感ジ、
同日以後ハ自宅デ謹慎シテ居ました。
・・・第二回公判
徳川義親侯
二十八日夜、決別の電話が来ました。
彼等の心情のあわれさに動こうとした人もございました。
同日、夜半過ぎ、徳川義親侯からの電話でした。
内容の重なところは
「---身分一際を捨てて強行参内をしようと思う。
決起将校の代表一名を同行したい。
代表者もまた自決の覚悟をねがう。
至急私の所へよこされたい---」
しばらくの後、栗原に話が通じ、さらに協議ののちに来た答を、
父が電話の前でくり返すのを聞きました。
あるいは父の書いたものよりは、彼の口調に近いかも知れません。
「 状勢は刻々に非です。お心は一同涙の出るほど有難く思いますが、
もはや事茲に至っては、如何とも出来ないと思います。
これ以上は多くの方に御迷惑をかけたくないので、
おじさんから、よろしく御ことわりをして下さい。御厚意を感謝します 」
・・・齋藤史の二 ・二六事件 2 「 二 ・二六事件 」
時間ハ判然致シマセンガ、
石原ガ徳川侯爵ト大川周明ガ某所デ會ツテ、
徳川侯爵ハ場合ニ依ツテハ蹶起将校ヲ引率シテ爵位奉還ノ決心ヲ持ツテ宮中ニ参内スルトノ事デアルカラ、
青年將校ノ決心ヲ聞イテ呉レル様ニト申出ガアツタノデ、電話ヲカケテ栗原ニ其ノ事ヲ話スト、
御厚意ハ有難イガ、其ノ必要ハナイト思フ、其ノ御厚意デ宮中工作ヲシテ欲シテトノ事デアリマシタカラ、
其ノ旨ヲ電話デ傳ヘマシタ。・・・齋藤瀏
其ノ事ハ栗原ヨリ西田税に聯絡シアリ、西田ノ指令ニ依リ斷ツタノデアル ・・法務官
・・・第二回公判 ( 11年12月9 日 )
二十八日夕頃、栗原中尉ヨリ電話ニテ、
齋藤少將ノ言トシテ徳川侯ガ青年將校ヲ同道 宮中ニ參内スルトノ事ヲ西田ニ問合セタルニ、
西田ヨリ不可能ナル事ヲ傳達シ、現在ノ地點ヲ確保スベシト申シタル事アリヤ ・・法務官
徳川侯ガ青年將校ヲ同道參内ストノ電話ガ、栗原ヨリアリマシタノデ、
自分ハ外部ノ人々ニ依頼スルコトヨリ陸軍部内ノ意見一致ヲ以テ進ムガ良好ト考ヘ、
断ル様申シマシタ。 ・・・西田税 ・・第十回公判状況
最後の二九日、齋藤は自宅にいた
事件鎮定の最後のラジオを、涙のうちに聞いた
皇宮相撃の悲劇を見なかったことが、せめてもの救いであった
よかりきと言には出でぬ頽れて
傍の椅子に 身は重く落つ
・・・齋藤瀏少將 「 とうとうやったぞ 」