激昂した磯部 の電話
その宵である。
軍人会館地下室の記者だまりで、
各社の記者が不安と深刻さのいりまじった暗い顔でたむろしているとき、
叛軍側ではない歩三の新井中尉が部下の一箇中隊をひきい、
戦列を離脱して靖国神社に集結との情報が入った。
戒厳司令部の叛軍に対する処置を不満として、
一箇中隊をもって司令部を襲撃するためだといううわさが飛んだ。
事実司令部の中にも一層の混雑を呈してきた。
記者団は色めいた。
そして一人去り、二人去り やがてだれもいなくなった。
見まわすと 朝日の藤井虎雄記者と私のたった二人だけだった。
藤井記者はこれも変わり種で 士官学校三十六期生本科で、ある事情のため中途退校し、
一高から東大を経て朝日に入った男である。
村中 、安藤らとは仙台幼年学校の先輩で、野中四郎大尉の同期生であった。
私と思いは同じであったのだろう。
二人はむしろ新井中隊の司令部襲撃で自らも死んでしまいたいような気持で、黙然とすわりこんでいた。
そこへ私に社から電話がかかって来た。
受話器をとると上田碩三重役で、
「 いま磯部君 ( 浅一 ) から君を捜して社に電話がかかって来た。
しばらくは農林大臣官邸にいるから至急電話をくれとのことだ。特種をとってくれ給え 」
との せきこんだ電話だった。
・
磯部!
磯部が電話をかけて来たのか、
村中か安藤から私のことを聞いたのだろう。
貴様に会いたい!
オレも話があるんだ!
私は血相を変えて立ち上がった。
だが、私のは特種をとるためではない。
どこから彼に電話しようか?
なるべく司令部から遠い方がよい。
こう考えると私は夢中でいそいで神田猿楽町まで出かけ、
見も知らぬ人のいそうもない炭屋に駆けこんだ。
さいわい耳の遠そうなじいさんが一人いるきりである。
電話の借用を申し込むと、私は わななく手で農林大臣官邸を呼び出した。
兵隊が出てすぐ磯部に代わった。
受話器の中には悲壮な軍歌が聞こえて来る。
「 磯部!宇多だ 」
あれもいおう、これもいおう と思いながら不覚にも、私はまた涙声になってしまった。
磯部の太い男らしい声が応じた。
「 宇多! きさまどうする? 」
簡単な一語だが、意味はすぐわかった。
私に来るか、来ないかというのである。
来いといったって行けるはずがないじゃないか。
蹶起の趣旨は十分にも百分にもわかるが、オレはこの直接行動には賛成じゃないんだ。
声にならぬ声を押しつぶすようにして私は、
「 勅命が下ったんだ。すでに討伐行動は開始されている。
貴様死んでくれ、断じて撃つな! 皇軍相撃を避けてくれ、死んでくれ!」
と必死の思いを一気に告げた。
磯部は、
「 オレの方からは撃たん、だが、撃って来たら撃つぞ! 貴様も防長男児だろう。
防長征伐の歴史は知っちょるじゃろうが?」
きりこむような声で怒鳴り返して来た。
そして奉勅命令は自分らにはまだ示されていない。
お上の聖明をおおい奉った幕僚どもの策動だ、
と私に一語をさしはさむ余地も与えずに防長征伐の歴史をとうとうと説き出した。
ずいぶん長い時間に感ぜられた。
やがて磯部は声を落として、いく分冷静な口調になり、
「 貴様のいうことはわかった。 ところでオレの方から頼みがある。
オレの隷下にはいま七個中隊いる。勝っても負けても今晩が最後だ。
どうせ金は陸軍省が払うんだ。
この七個中隊に今晩最後の四斗だるを一本あてやりたいんだ。
きさま輜重兵じゃないか、持って来てくれ・・・・」
と いやおういわさぬ調子で申し込んで来た。
そのころ私は、もう不思議に冷静な気持になっていた。
頭の中をしきりに、『 小節の信義 』 という勅諭のくだりが往来する。
・・・・おぼろげなることを、かりそめにうべないで由なき関係を結び・・・・
というあの一章である。
理性はハッキリ磯部の申し込みを断われと命ずるのである。
だが、私の頭脳感情は反対に働いた。
いそがしく財布の中を調べてみた。
ある、四斗だる七本くらいの金は、香港から帰ったばかりでまだ持っている。
「 よし、持って行こう 」
私は成敗を度外視して持って行く決心をきめた。
そして官邸で磯部に会い、もう一度皇軍相撃を諌止しよう。
オレも死ぬんだと思い定めた。
磯部は私の返事をきくと、
「 ありがたいぞ、然し今となってはダメかも知れんナ・・・・宇多、きさまと握手がしたいのう・・・・」
と 涙声になって電話を切った。
・
後はもう書きたくはない。
私は挙動不審で憲兵に捉えられ、ついに磯部の依頼を果たし得なかった。
二月二十九日のあけがたのことである。
磯部、安藤!
このオレを嗤 わらってくれ。
目撃者が語る昭和史 第4巻 2.26事件
新人物往来者昭和31(1956年)年1月
第五章 記者たちの見た二・二六事件
「二・二六反乱将校と涙の決別」 当時電通記者 宇多武次 著
昭和32年(1957年)1月
西田税
蹶起將校ト電話聯絡
26日
赤澤ガ私ノ自宅ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
「 今栗原カラ電話ガアツテ、西田ハ捕ツタカト問合セテ來タカラ、
西田ハ北方ニ行ツテ居ルト答ヘタ処、
栗原ハ、自分ハ首相官邸ニ居ルト言ツテ 大笑ヒシテ居ツタ 」
トノ事デアリマシタ。
私ハ事前ニ栗原ト喧嘩別レヲシタガ、
其ノ際私ガ、君等ガ蹶起スレバ自分ハ捕マルダラウト話シタ事ヲ覺ヘテ居テクレテ、
安否ヲ氣遣ヒ、尋ネテクレタト思フトイヂラシイ氣持ニナリマシタシ、
當時寒クテ兵モ可愛サウダガ、彼等ハ兵ヲ何ノ様ニシテ居ルノダラウト思ツタリシマシタノデ、
先方カラ電話ヲ掛ケテ寄越ス位ダカラ、此方ヨリ掛ケラレナイ事モナカラウ、
一ツ聯絡ヲシテ見ヤウト思ヒ、
首相官邸ノ栗原ニ電話ヲ掛ケマシタ。
「 ドシドシ雪ハ降ツテ居ルシ、兵達ハ寒イデナイカ、兵ノ飯ハ何ウシテ居ルカ 」
「 糧食ハ聯隊カラ持ツテ來テクレルシ、防寒具モ持ツテ來テ居ルノデ心配ナイ 」
「 君達ハ官軍ノ様ダネ 」
「 官邸ヲ占據シタカラニハモウ動カヌ 」
「 何ウシテ居ルノカ 」
「 何モシテ居ラヌ 」
「 岡田首相ハ殺害ノ目的ヲ達シタガ、非常ニ苦戰デアツタ。
兎ニ角一度様子ヲ見ニ來ナイカ。來ルナラ、溜池迄案内ヲ出シテ置ク 」
ト申シ、大變元氣ナ様子デアリマシタ。
栗原ハ其ノ時、一度狀況ヲ見ニ來ル様ニ勧メマシタガ、
私ハ行キ度クナイト言ツテ電話ヲ切リマシタ。 ・・・リンク → 西田税 2 「 僕は行き度くない 」
・・・・
二十六日ノ午後四時頃、
薩摩カラ尊皇討奸ト云フ旗を樹テテ居ルト云フ話デアリマシタカラ、私ハ尊皇義軍ダト申シマシタ。
そして栗原ニ電話ヲ掛ケテ尋ネテ見マスト、
栗原が調ベテ見テ、
「 旗ハ兩方トモ窓カラ出シテ居ル。警視廳ノ兵ハ庭ニ集合シテ居ル 」
ト云フ事ヲ聞キマシタノデ、コノ話ヲ北ヤ薩摩ニ致シマシタ。
或ハコレハ二十七日ダツタカモ知レマセン。
・・・・
其夜、北ノ処カラ私ガ栗原ノ所ヘ電話ヲカケマシタ処、
蹶起將校等ハ柳川中將ヲ内閣ノ首班トシテ要求シタト云フ事ヲ聞イテ驚キマシタ。
栗原安秀
27日
二月二十七日午前中ニ、
首相官邸ニ居ル栗原安秀ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
栗原ヨリ、
一、牧野襲撃ニ行ツタ者ハ、箱根山ニ逃込ンダトカ死ンダ者ガアル等ノ噂ガアルガ、
事實デアルカ否カ確メタ処、運転手ガ歸ツテノ話デハ牧野殺害ノ目的ヲ達シタ様デアルガ、
少人數ノ爲相當苦戰デアツタラシク、其ノ爲ニ同志ニ負傷者ヲ出シタガ、別館ニ放火シタトノコト、
一、蹶起部隊ハ戒嚴令下ニ編入サレ、其ノ儘原位置ニ居ツテモイイ様ニ諒解ガ出來タコト、
食料モ聯隊カラ運ンデ居ルコト、
一、蹶起軍ノ行動ヲ認メタ趣旨ノ大臣告示ガ出タコト、
一、襲撃目標岡田、高橋、齋藤、渡邊ハ完全ニ殺害ノ目的ヲ達シタコト、
一、二月二十六日夜軍事參議官全部ト蹶起部隊將校等ト會見シ、希望ヲ出シタガ、
陸軍上層部ノ人々ハ話ガヨク判ラナイ様デアルト云フコト、
栗原ハ右會見ニハ出席シナカツタガ、
事態ノ収拾ヲ柳川中将ニ一任スルコトヲ自分ガ主張シタノデ、
其ノ會見ノ際ニ他ノ者カラ右ノ意見具申ヲシタコト、
等ヲ聞キマシタ。
私ハ栗原ニ對シ、
一、内閣ハ總辭職ヲシ、後藤内相ガ臨時總理大臣代理ニナツタコト、
一、事態収拾ノ爲柳川中將ヲ持出スノモイイガ、此際速ニ収拾スル爲ニハ、
眞崎大將邊リニ上下共ニ萬事ヲ一任スル様ニ一同相談シテハ何ウカト云フコト、
一、ヨク新聞デモ見テ、同志ハ互ニ聯絡ヲ保ツテ、意見ノ喰違ヒヲ來サナイ様注意スルコト、
等ヲ申シテ置キマシタ。・・・豫審訊問調書
・・・・
最初ハ二月二十七日午前十時頃
栗原カラ電話ガ掛ツテ來タ様ニ思ヒマスガ、或ハ私ノ方カラ掛ケタカモ知レマセヌ。
其ノ點ハ判然記憶シマセヌガ、
兎ニ角栗原ハ、
「 襲撃目標ノ岡田、高橋、齋藤、渡邊ハ完全ニ殺害ノ目的ヲ達シタ。
又牧野襲撃ハ相當苦戰デアツテ、同志中ニ負傷者ヲ出シタ 」
ト話シタ上、
「 蹶起部隊ハ戒嚴令下ニ編入サレ、又蹶起軍ノ行動ヲ是認シタ趣旨ノ大臣告示ヲ貰ツタ 」
ト言ツテ大臣告示五ケ條ヲ電話口デ讀上ゲ、
「 尚、昨夜 ( 二月二十六日夜 ) 軍事參議官全部ト蹶起將校等ト會見シタ。
自分ハ其ノ會見ニハ立會ハナカツタガ、事態ノ収拾ヲ柳川中將ニ一任スル意見ヲ主張シテ置イタノデ、
會見ノ時他ノ者カラ意見具申ヲシタ様ダ。
尚、其ノ際蹶起將校ヨリ要望事項ヲ出シタガ、參議官ノ多クハ御互ニ肚ノ探合ヒノ様デハツキリシナイガ、
眞崎ニハ我々ノ氣持ガヨク判ツテクレテ居ルト見ヘ、態度ガ一番ヨカツタトノ事デアツタ 」
ト申シマシタノデ、
私ハ彼等ハ襲撃 占據デ止マルモノト思ツテ居タノニ、
村中 磯部等ノ肅軍ノ交渉ダケデナク、
埒ヲ越ヘ政治的意味ヲモ含ム全面的解決ヲ要望シタト云フ事ニ、
善惡ハ別トシテ事ノ意外ニ驚キマシタノデ、
「 其ノ様ナ事ヲシタノカ 」
トダケ申シテカラ、
「 君等ハ何ウシテ其処ニ居ルノカ 」
ト尋ネマスト、
栗原ハ
「 蹶起部隊ハ、其の儘原位置ニ居ツテモイイ事ニ諒解ガ出來テ居ル。
糧食モ、依然聯隊カラ運ムデクレテ居ル 」
ト申シ、事前ニ色々心配サレタガ何ムナモノカト云フ様ナ、
鼻高々トシタ意氣 デ喜ムデ居ル風デアリマシタカラ、私モ
「 夫レデハ全ク官軍デハナイカ。
人ヲ斬つた者ガ戒嚴部隊ニ編入サレタリ、大臣ノ告示ガ出タリ、
軍事參議官一同ヨリ感狀ヲ頂イタ様ナモノデナイカ。
事態収拾ニ柳川中將ヲ持出シタノモヨイガ、
速ニ収拾シテ貰フ爲ニハ、眞崎大將ニ一任スル様ニ一同デ相談シテハ何ウカ 」
ト申シマシタ処、栗原ハ
「 外部ノ狀況ハ何ウカ 」
ト聞キマスカラ私ハ、
「 内閣ハ總辭職シ、後藤内相ガ臨時總理大臣代理ニナツタ様ダ 」
ト申シテ新聞記事ノ二、三ヲ讀聞カセマシタ処、
「 後藤首相代理ハ何処ニ居リマスカ 」
「 官邸ヲ君等ニ占據セラレ、行ク処ガナイノダカラ、何処ニ居ルカ判ラナイ 」
最後ニ栗原ハ、
「 私ハ最後迄此処ヲ動キマセヌ 」
「 サウカ、兎ニ角、同志ハ互ニ聯絡ヲ保ツテ、喰違ヒヲ來サナイ様ニセネバナラヌ 」
ト注意シテ電話ヲ切リマシタ。
北モ、豫テ早ク時局ヲ収拾シタイモノト考ヘテ居リマシタカラ、私ハ北ニ
「 蹶起將校ハ柳川ニ時局収拾ヲシテ貰度イト云フコトヲ、軍事參議官ニ要望シタトノコトデアリマス 」
ト告ゲテ置キマシタ。
其ノ後警視廳ニ居ツタ蹶起部隊ガ居ナクナツタトカ、其ノタ色々ノ噂ガアルノデ、
眞否ヲ聞カウト思ツテ首相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタガ、
栗原ハ陸相官邸ニ行ツタトノコトデアリマシタノデ、
更ニ陸相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
電話口ニ村中ガ出マシタノデ、
偶然ナガラ村中ト話ノ出來ルノヲ喜ビマシタ。
私ハ外部ノ狀況ヤ注意等、栗原ニ話シタト大體同様ノコトヲ告ゲ、
警視廳引上ノ噂ニ附尋ネマシタ処、村中ハ
「 蹶起部隊ハ、大部分今迄居タ処ヲ引上集結シテ居ル。
戒嚴部隊ニ編入セラレ、
警備參謀長ニ會ツテ現在ノ処ニ居テモヨイト云フ様ナ承諾ヲ得テ居ルノデアルガ、
今朝カラ陸軍省、參謀本部ヲ占據聯ル部隊ヲ引上ゲ明渡スト云フコトニ附 硬軟二派ニ分レ、
磯部、安藤ナドノ強行派ハ、
我々ノ前途ヲ妨グル不純ノ幕僚ヲ襲擊スル爲に集結シテ居ルノダト言ヒ、
私等ノ軟派ハ、
國際關係ヨリ観テモ國内關係ヨリスルモ、其ノ様ナ事ヲスルノハ宜クナイト言ツテ、
強行派ヲ抑ヘルノニ骨ヲ折ツテ居ル。
自分等ガ集結シタ意味ハ、之ト違フ。
ソシテ議事堂附近ニ終結シテモ場所ガ惡イノデ、何処ガヨイカト偵察シテ居ルガ、
蔵相官邸ハ埃ちりガ積ツテ居ルナド宿舎ニ適當ナ候補地ガ無イノデ困ツテ居ル 」
ト申シマシタノデ、私ハ
「 何処ニ居テモヨイノナラ、今迄通リ分散シテ居ツテハ何ウカ。又イイ場所ニ居レバヨイデハナイカ 」
ト申シテ置キマシタ。
一方デハ戒嚴部隊ニ編入セラレ、
聯隊ヨリ糧食ヲ運搬シ、
現地に居テモ差支ナシト告ゲラレ、
之ヲ裏書スル大臣告示マデ出テ居ルノデ、
大勢ハ順調ニ進ムデ居ルト思ヒタルニ、彼等ハ次第ニ深入シ、
政治的交渉ヲ始メルノミナラズ、一方デ幕僚襲撃ナドト騒イデハ、却ツテ今迄ノ好轉ヲ惡化セサルノデナイカ、
之モ彼等同志ノ間ニ聯絡ガ事由デナイノト、外部ノ情勢ガ不明ナル処ヨリ來テ居ルコトダラウガ、
内部ガ二派ニ分レテ居テハ大變ダ、從來或程度ノ交渉ガアツタノダカラ、
之レ以上惡化セシメナイ爲ニ、内部ヲ統一スルノガ急務ダト思ヒマシタ。
・・・・
其ノ後村中孝次ニ電話ヲ掛ケ、
栗原ニ申シタト同様ナ事ヲ話シマシタ処、村中ハ、
一、蹶起將校ハ、内部ガ硬軟二派ニ分レテ意見ガ纏ラナイト云フコト、
一、部隊ハ、今迄居ツタ所ヲ大部引上ゲテ終結シテ居ルコト、
一、硬派ノ者等ハ、陸軍省、參謀本部ノ幕僚ヲ襲擊スルト主張シテ居ルノデ、之ヲ押ヘルノニ骨ヲ折ツテ居ルコト、
一、強硬ナ意見ヲ持ツテ居ルノハ、安藤、磯部等デアルコト、
一、兵ヲ給養サセル爲ニ宿營地ヲ捜シテ居ルガ、適當ナ候補地ガ無イノデ困ツテ居ルコト、
等ノコトヲ申シマシタノデ、其ノ後更ニ磯部淺一ニ電話ヲ掛ケマシタ処、同人ハ、
「 我々ハ尊皇義軍デアル。最初カラ反亂軍タルコトハ覺悟ノ上デ蹶起シタノデアルカラ、
今更奉勅命令ガ出ルトカ出ナイトカ云ツテ脅カサレテモ、引込ム譯ニ行カナイ。
最後迄頑張ル心意デアル 」
ト非常ニ強硬ナ意見ヲ述ベマシタノデ、
「 ヨク考ヘテヤレ 」 ト申シテ置キマシタ。
・・・・・
二月二十七日朝
北ノ靈感ニ、
『 國家人無シ、勇將眞崎アリ、國家正義軍ノ爲ニ號令シ、正義軍速ニ一任セヨ 』
ト現ハレタトノ事デ、
北ハ私ニ對シ、
早ク彼等ニ知ラシテ眞崎ニ一任スル様ニ注意シテ遣レト申シマシタノデ、
同日栗原、磯部、村中ニ夫々電話ヲ掛ケタ際、
「 君等ガ二月二十六日軍事參議官ト會見シタ際、臺灣ノ柳川中將ヲ以テ次ノ内閣ノ首班トシ、
時局収拾ヲ一任シタイト要求シタトノコトデアルガ、
十日モ二十日も要スル遠イ人ノ事ヲ考ヘズニ、此際眞崎ニ總テヲ一任スル様ニシタラ何ウカ。
夫レニハ、軍事參議官ノ方々モ一致シテ眞崎ヲ擁立テテ行ク様ニ、御願ヒシテ見タラ何ウカ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ忠告シテ遣リマシタ処、
孰レモ、夫レデハ同志一同協議ノ上、其ノ方針デ進ム様ニスルト申シテ居リマシタ。
・・・・・
北ハ靑年將校等ガ柳川中將ヲ持出シタコトヲ心配シテ居ツタ様デアリマシタガ、
朝カラ御經ヲ讀ムデ居ラレマシタガ、
間モナク、
「 國家人無シ、勇將眞崎在リ、國家正義軍ノ爲ニ號令シ、正義軍速ニ一任セヨ 」
トノ靈感ガ現レタトテ、夫レヲ示サレ、
早ク彼等ニ知ラシテ眞崎ニ一任スル様ニ注意シテヤレト申サレマスシ、
私モ無論早ク彼等ニ知ラシタイト思ヒマシタノデ、其ノ事ヲ村中、磯部等ニ知ラシマシタ。
其ノ要旨ハ、
「 實ハ北ノ御經ニ此様に出タノダガ 」
ト申シテ右ノ靈感ヲ告ゲ、
「 此中ニ國家正義軍トアルノハ君等ノコトニ當ツテ居ルノダガ、
君等ハ二月二十六日軍事參議官ト會見シタ際、柳川中將ニ時局収拾ヲ一任シタイト要求シタトノコトデアルガ、
遠方ニ居ル柳川ヲ呼ブヨリ、此際眞崎ニ一任スル様ニシテハ何ウカ。
全員一致ノ意見トシテ、無条件ニテ時局収拾ヲ皆ノ者トヨク相談セヨ。
ソシテ軍事參議官ノ方々モ亦意見一致シテ眞崎ニ時局収拾ヲ一任セラル様ニ、御願ヒシタラ宜カラウ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマスト、
村中、磯部等ハ
「 判リマシタ。我々ハ尊皇義軍ト言ツテ居ルノダガ、眞崎デ進ムコトニ皆ト一緒ニ相談シマセウ 」
ト申シマシタ。
尚、其ノ際北ノ靈告ヲ筆記シタ筈デアリマス。
・・・・
次デ正午頃陸相官邸ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
村中ハ居ラズ、磯部ガ電話口ニ出マシテ、
「 自分ハ誠ニ殘念デ堪ラナイ。片倉少佐ヲ撃損ジタ。
片倉ハ自分ト出會頭ニ文句ヲ言ツタカラ、何ヲ言フカト申シテ拳銃デ射擊シタ 」
ト申シマシタ。
私ハ相澤中佐ガ公判廷ニ於テ、
憲兵隊ニ聯行サレル途中担架ニ乗セラレテ行ク永田少將ノ姿ヲ見テ、
殺シ損ネタカト殘念ニ思ヒタルモ、直ニ殺シ得レモノモ殺シ得ナイノモ、皆神ノ御思召ダト思返シ、
殘念ダトノ氣持ガ去ツタト陳述シタコトヲ不圖思出シタノデ、磯部ニ對シ
「 夫レナラ夫レデイイデナイカ。
長イ間苦シメラレ、感慨深イ因縁ノアル片倉少佐ニ、
陸相官邸ノ門前デ偶然出會ツタノヲ奇縁ト思ヘバ、會ツタダケデヨイデハナイカ。
夫レモ皆神ノ御思召ダラウ 」
ト申シマスト、磯部ハ
「 我々ハ、最初カラ反亂軍タルコトヲ覺悟ノ上デ蹶起シタノデアルカラ、
今更奉勅命令トカ何トカ云ツテ脅カサレテモ、此処迄來タラ一歩モ退カヌ。
癪ニ障ル幕僚等ヲヤツツケ様ト云フノハ當然ノ事ダガ、中ニハ弱イ者モ居ル 」
ト言ヒ、大シタ勢デアリマシタカラ、
「 夫レハサウダ、サウダ 」
ト申シテ言葉ヲ合シテ置キマシタ。
・・・・
其ノ後世間デハ、一方ニ軍隊ガ万平ホテル、山王ホテル方面ニ居ルトカ、華族會館ニ居ルトカ、
首相官邸ニハ旗ガ立ツテ居ルナドノ噂ガアレカト思ヘバ、
一方デハ蹶起部隊ヲ彈壓スルノダト云フ噂モアルノデ、
私ハ彈壓スルナラ最初カラ彈壓スレバ宜イノデ、
戒嚴部隊ニ入レテ置キナガラ今更彈壓スルトカ云フノハ、譯ガ判ラヌト思ヒマシタ。
・・・・
其ノ後同日(二十七日)午後四時頃、
更ニ私ハ首相官邸ノ栗原安秀ニ對シ電話ヲ掛ケ、
一、海軍軍令部總長宮殿下ガ參内セラレタコト、
一、陸軍首脳部ガ集ツテ相談シテ居ル様デアルガ、小田原評定ノ様デアルコト、
一、君達ハ戒嚴部隊ニ編入セラレ行動シイ居ル形ニナツテ居ルノデアルカラ、
此上二重三重ニ君達ヲ脅カス様ナ奉勅命令ガ出ル筈ハナイカラ、此上共シツカリヤレト云フコト、
一、或新聞記者カラ聞ク所ニ依ルト、全國各地カラ目下澤山ノ激励電報ガ來テ居ル様デアルガ、
皆戒嚴司令部ニ押収サレテ居ルラシイコト、
等ヲ話シテ遣リマシタ処、栗原ハ大變喜ンデ、最後ノ一兵迄モ戰フト申シテ居リマシタ。
尚、其ノ時栗原ハ、
一、華族會館ヲ占據ニ行ツタ処二十名位ノ華族ガ居ツタノデ、
之等ニ對シ蹶起ノ趣旨ヲ説明シ、質問ハナイカト言ツタラ、
其ノ内ノ一名ガ内閣ノ首班ハ誰ガイイカト尋ネタノデ、
我々ハ大權ヲ私議スル譯デハナイガ、
此事態ヲ収拾スルニハ眞崎大将邊リガ適任デアルト思フト答ヘテ遣ツタコト、
一、赤坂溜池附近デ、民衆ニ對シテ蹶起ノ趣旨ヲ演説シタコト、
一、眞崎、阿部、西三大將ト蹶起將校ト會見シ、事態ノ収拾ヲ眞崎大將ニ一任スル旨申上ゲタ処、
眞崎大將ハ、俺ハ何トモ言ヘナイガ、オ前達ハ早ク引上ゲテクレナイカト云フ話デアリ、
阿部、西兩大將ハ、蹶起將校ノ意見ガ一致スレバ、自分達ハ極力努力スルト言ハレタト云フコト、
一、田中國重大將、江藤源九郎少將等ガ來テ、激励シテ行カレタト云フコト、
一、四天王中將ガ戒嚴司令官ト會ヒ、蹶起軍ヲ決シテ討伐シナイ意思ヲ確カメ、其ノ事ヲ知ラセテクレタコト、
等ノコトヲ話シマシタノデ、私ハ、
一、民衆ニ對シテ、蹶起ノ趣旨ダケヲ説明スル程度ナラバ無難デアルガ、
煽動的ナルト却テ世間カラハ君等ノ純情ヲ疑ハレテ、結果ハ面白クナイカラ、其ノ邊ハ十分注意ガ必要デアルト云フコト、
一、早ク蹶起將校一同ノ意見ヲ取纏メ、又軍事參議官一同ガ眞崎大將ヲ推立テテ進ンデ行ク様ニスル必要ガアルコト、
等ヲ申シテ矢理リマシタ。
・・・・
同日(二十七日)午後五時頃栗原ヨリ電話ガアリ、
華族會館ニ行ツテ其処ニ居合セタ二荒伯等二十名位ノ華族ニ蹶起趣旨ヲ説明シテ質問ハナイカト言ツタ処、
其ノ内ノ一人ガ後繼内閣ノ首相ニハ誰ガ宜イカト尋ネマスカラ、
我々ハ大權ハ私議シナイガ、
後繼内閣首班トナリ時局ヲ収拾スルニハ、眞崎大將ガ適任ト希望スルト答ヘテヤツタコト、
田中國重大將、江藤源九郎少將、齋藤瀏少將等ガ來テ激励シテ行カレタトカ、
赤坂溜池附近デ民衆ニ對シテ演説シタコトナドヲ話サレマシタカラ、私ハ
「 夫レハヨイガ、民衆ニ對シテハ蹶起ノ趣旨ヲ説明スル程度ニ止メル方ガ無難デ、
煽動的ニナルト却テ世間ヨリ純情ヲ疑ハレテ面白クナイ結果ニナルカラ、其ノ邊ハ注意シテ居ラネバナラヌ 」
ト注意シタル上、
「 軍事參議官ト話シタカ 」
ト聞キマシタ処、
「 軍事參議官ハ、阿部、西、眞崎 三大將ガ來テ蹶起将將ト會見シ、
蹶起將校ヨリ時局収拾ヲ眞崎大將ニ一任スル旨申上ゲタ処、
眞崎大將ハ、俺ハ何トモ言ヘヌガ、先ヅオ前達ノ方デ軍隊ヲ引上ゲテクレヌカト言ヒ、
西大將ハ、皆ガサウ希望スルナラサウヤラウ、自分ハ同意ダト言フト、
阿部大將モ、俺モ同意ダト言ハレタトノコトダガ、自分ハ其ノ會見ニ出席シナカツタ 」
ト言ヒマシタノデ、私ハ柳川説ヲ持出シタト云フノハ何ウシタノダラウト云フ様ナ感ジガシマシタ。
首相官邸 ・・・林八郎少尉 『 尊皇維新軍と大書した幟 』
夫レカラ私ハ栗原ニ、
「 首相官邸ニ旗ガ立ツテ居ルカ、君達ヲ彈壓スルトノ噂ガアルガ何ウカ 」
ト聞キマシタ処、栗原ハ
「 首相官邸ニハ尊皇討奸ト書イタ旗ヲ立テテアル。
又、彈壓サレルト云フ様ナコトハ聞イテ居ラヌ。
實ハ四天王中將カラ、同中將ガ戒嚴司令官ニ會ツテ確メタ処、
戒嚴司令官ハ皇軍相撃ナドハ絶對ニシナイ、
蹶起軍ヲ討伐スル様ナコトハシナイト言ツテ居ラレタト知ラシテクレタ程ダ 」
ト申シマシタカラ、私ハ
「 今外部ノ一般情勢ハ、漸次蹶起部隊ノ爲有利ニ進展シツツアル。
殊ニ海軍側ハ一致シテ支援シ居リ、海軍軍令部總長宮殿下ガ參内アラセラレタ。
又、陸軍首脳部ハ集ツテ相談シテ居ルガ、小田原評定ノ様デアルガ、
新聞記者ヨリ聞クト、全國各地方カラ澤山ノ激励電報ガ來タガ、戒嚴司令部デ押収サレテ居ルラシイ。
君達ハ戒嚴部隊ニ入ツテ行動シテ居ルノダカラ、
今更二重、三重ニ君達ヲ脅カス様ナ奉勅命令ノ出ル筈ハナイト思フカラ、
此上共飽ク迄目的ヲ貫徹スル様、シツカリヤレ 」
ト激励シテ置キマシタ。
・・・・
リンク
・ 軍事參議官との會見 『 軍は自體の粛正をすると共に維新に進入するを要する 』
・ 軍事參議官との會談 1 『 國家人無し 勇將眞崎あり、正義軍速やかに一任せよ 』
・ 軍事參議官との會談 2 『 事態の収拾を眞崎大將に御願します 』
28日
私ハ前日迄ノ情勢ヲ顧ミテ、
事態ノ収拾ハ容易ニ出來ナイ模様デハアルガ、
蹶起部隊ハ戒嚴部隊ノ隷下ニ入リ、原位置ニ停ツテ居ル事ヲ承認セラレ、
更ニ夫々會見シテ相談ガ進メラレテ居ル事、
尚眞崎大將ニ一任スルト云フ意見モ申出テ居ルノデアルカラ、
事態ハ惡化スル事ナク此儘ノ空氣ノ間ニ早ク纏ツテ貰ヒタイモノダト念願シテ居リマシタ処、
同日(二十八日)正午前栗原中尉ヨリ電話デ、
「 山下少將、鈴木大佐等カラ自決セヨト勧めメラレ、其ノ決心ヲシテ別レノ最中デアル 」
ト知ラシテ 電話ガ切レテ了ヒマシタ。
私ハ事ノ意外ニ驚イテ 更ニ電話ヲ掛ケ、
漸ク栗原ト話ス事ガ出來テ其ノ事情ヲ尋ネ、夫レハ皆ノ意見カト聞イテ見マシタガ、
「 自分等二、三人ノ若イ者ダケノ意見デアル 」 ・・・ 自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
トノ事デアリマシタノデ、私ハ
「 何事モ早マツテハナラヌ。 ヨク皆ト相談ノ上爲サレル事ガ大切デアル。
上下ヨク一致シテ、生キルモ死ヌモ一緒ニシタラ宜カラウ 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ忠告シテ遣リマシタ処、
北モ私ノ後同様ノ趣旨ヲ忠告シテ居ツタ様デアリマシタ。 ・・・ 「自決は最後の手段、今は未だ最後の時ではない 」
同日午後ニナツテ、戒嚴部隊ガ蹶起部隊ヲ愈々討伐スルト云フ噂ガ出マシタ。
又、奉勅命令ヲ以テ斷乎トシテ彈壓ノ処置ヲトルト云フ噂モ聞キマシタノデ、
其ノ事情ヲ確メタイト考ヘ、電話デ色々聯絡ヲトツタ結果、
同日(二十八日)午後四時カ五時頃ニ漸ク栗原ニ聯絡ガツキマシタノデ、
其ノ眞否ヲ確メマシタ処、栗原ハ
「 左様ナ事ハ聞イテ居ラヌ。何モ變ツタ事ハナイ。自分達ハ今迄通リノ態度デ居ル 」
トノ事デアリマシタ。私ハ、
「 陸軍ノ首脳部ハ弱腰デ何ウモ態度ガ判然決マラナイ様デアルガ、
新聞ヲ見ルト今朝軍令部總長宮様モ御參内セラレ、皇族方ノ御會議モアル様ダシ、
一方海軍側ハ相當シッカリ纏ツテ來テ陸軍側ヲ支援スル事ニナツテ居ル様デアリ、
情勢ハ今一息ト云フ所デアルカラ、萬事將校諸君ガ御互ニヨク聯絡ヲ取リ、
意思ノ疎通スル様ニシツカリ意見ヲ纒メ、
上層部ニ對シ早ク話ヲ決メルヨウニシテクレト交渉スル事ガ必要デアル 」
トノ趣旨ノ事ヲ申シテ遣リマシタ処、栗原ハ
「 自分達ノ決心ハ堅ク纏ツテ居ルカラ、心配ハ要ラナイ。
萬一奉勅命令デ討伐スル様ニ事ニナレバ、最後ノ一人ニナル迄決戰ヲ覺悟シテ居ル 」
ト申シ、非常ニ強硬ナ態度デアリマシタ。
私ハ更ニ、
「 兎ニ角、ヨク皆ノ意見ノ一致ヲ計ル様ニセヨ 」
ト云フ意味ノ事ヲ申シマシタガ、栗原ハ私ノ云フ事ガ氣ニイラヌ風デアリマシタ。
・・・予審訊問調書
・・・・
二月二十八日正午頃栗原ヨリ電話ガ掛リ、
「 山下少將、鈴木大佐、外ニ三人ノ比較的我々ト親シイ關係ノアル將校ガ來テ
自決セヨト勧メルノデ自決スル事ニナツタ 」
ト言ヒマシタノデ大變驚キ、
更ニヨク事情ヲ聞カウト思ツテ居ル時電話ガ切レマシタ。
私ハ折角此処迄順調ニ運イデ來テ居ルノニ、
彼等ニ好意ヲ寄セルベキ先輩ガ、時局収拾ノ方ヲ其ノ儘ニシテ自決ヲ勧告スルノハ可怪シイト思ヒ、
今度ハ私ノ方カラ電話ヲ掛ケテ栗原ヲ呼出シ、
「 先程ノ電話ハ變デナイカ 」
ト聞キマスト、栗原ハ
「 今直グ自決スルト云フノデハナイ 」
と言ヒマスカラ、更ニ 「 多勢カ 」 シ聞キマスト、
「 自分等二、三人ノ意見ダ 」
ト申シマスカラ、私ハ
「 何事モ皆ト一致シタ行動ヲ採ルベキダ。 殊ニソンナ事ヲ早マツテハナラヌ。
萬事皆ノ者トヨク相談ノ上、皆ノ意見ヲ統一シタ上デ、生キルモ死ヌルモ事ヲ決シタラ宜カラウ 」
ト忠告シ、次デ
「 夫レハ夫レトシテ、當面ノ問題ハ眞崎ニ一任スル事ニナツテ居ルノダカラ、其ノ方ヲ急イデ完成シタ方ガ宜イデハナイカ 」
ト云フ趣旨ヲ申シテカラ、北ニ頼ムデ代ツテ貰ヒマスト、
北モ栗原ニ、
「 皆ノ者ノ意見ヲ一致シテ、落着イテヤレ。自決ハ最後ノ問題デ、ヤルベキ事ハ多クアル 」
ト云フ趣旨ヲ申聞カセマシタ。
・・・・
・・・挿入・・・
栗原中尉ト思ヒマス、
電話口ニ出マシタノデ私ハ次ノ様ニ話シマシタ。
「 ヤア暫ラク、愈々ヤリマシタネ、
就イテハ君等ハ昨日臺灣ノ柳川ヲ總理ニ希望シテイルト云フ事ヲ軍事參議官ノ方々ニ申シタサウダガ、
東京ト臺灣デハ餘リ話シガ遠スギルデハナイカ、
何事モ第一善ヲ求メルト云フ事ハカウイフ場合ニ考フ可キデハアリマセン、
眞崎デヨイデハナイカ、眞崎ニ時局ヲ収拾シテ貰フ事ニ先ヅ君等青年將校全部ノ意見ヲ一致サセナサイ。
サウシテ君等ノ意見一致トシテ軍事參議官ノ方々モ、
亦軍事參議官全部ノ意見一致トシテ眞崎ヲ推薦スル事ニスレバ、即チ陸軍上下一致ト云フ事ニナル。
君等ハ軍事參議官ノ意見一致ト同時ニ眞崎ニ一任シテ一切ノ要求ハ致サナイ事ニシナサイ。
ソシテ呉レ呉モ大權私議ニナラナイ様ニ軍事參議官ニ御願ヒスル様ニシナサイ 」
更ニ私ハ念ヲ押シテ、
「 良ク私ノ云フ意味ガ判リマスカ、
意味ヲ間違ヘナイ様ニ他ノ諸君ト相談シテ意見ヲ一致サセナサイ 」
電話ノ要旨シ以上ノ通リデ、午前十時過ギト思ヒマス。
・・・北一輝 (警調書2) 『 仕舞った 』
・・・・
彼等ハ七生報國ガモットーデ、
今生デウマク行カナケレバ、何度モ生レテ御奉公ヲスルト云フ意見デアリマス。
然シ、彼等一同ガ同ジ其ノ氣持デ居ツテクレレバ問題ハナイガ、
栗原ノ話デハ、今自決スルト云フ意見ノ者ハ二、三人ノ様ダ、
無暗ニ自決ヲ勧告シタリスルト、強硬派ハ却テ反發スル危險ガアル、
即チ、自決スル前ニ或程度ヲ解決シヤウト云フ意見デモ持ツテ居ル者ガアルト、
混亂ヲ誘致シ、社會ヲヨリ以上擾亂ニ導ク事ニナル、
最初カラ纏ツテ進ンデ來タ者ガ、今ニナツテ同志割ニナツテハ大變ダト思ヒ、
生キルモ死ヌルモ同志全員ノ意見デ 一致シタ上デヤラネバナラヌト思ヒマシタ。
又私ハ昨夜來中央部ノ意見ガ變ツテ來タトハ夢ニモ思ツテ居リマセヌデシタカラ、
山下少將 鈴木大佐等平生彼等ニ同情ヲ寄セテ居ル有力ナ人達ガ、
彼等ノ爲ニ死場所を選ムデヤラウト云フ考カラ自決ヲ勧告シタモノト思ヒマシタ。
栗原ト電話デ話ヲシタ後ニナツテ、
奉勅命令ヲ以テ斷乎斷壓スルトカ、討伐スルトカ云フ噂ガ出マシタノデ、・・・ 「 斷乎、反徒の鎭壓を期す 」
事情ヲ確メタイト思ヒ、同日午後四時頃栗原ニ電話ヲ掛ケテ聞キマシタ処、栗原ハ
「 何モ變ツタ事ナク、其ノ様ナ事ハ少シモ聞イテ居ラヌ。自分達モ今迄通リノ態度デ居ル 」
ト申シマシタノデ、私ハ
「 陸軍ノ首脳部ハ態度ガ判然トシナイ様デアルガ、海軍側デハ軍令部總長宮殿下ガ參内アラセラレ、
皇族會議モ開カセラレル様ダシ、相當纏ツテ陸軍側ヲ支援スル事ニナツテ來テ居ル様デ、
情勢ハ今一息ト云フ処迄進ンデ來テ居ルカラ、君等ハヨク御互ニ聯絡ヲトリ、シツカリ意見ヲ纒メ、
上層部ニ對シ早ク話ヲ決メル様ニシテ貰ヒタイト云フ交渉ヲスル事ガ必要ダ 」
ト申シマシタ処、栗原ハ
「 自分達ノ決心ハ堅ク纏ツテ居ルカラ心配ハナイ、萬一奉勅命令デ討伐スル様ナ事ニナレバ、
最後ノ一人ニナル迄決戰ヲ覺悟シテ居ル 」
ト申シテ元気デアリマシタカラ、私ハ
「 兎ニ角、皆ノ意見ノ一致ヲ計ル様ニセヨ 」
ト言ツテ置キマシタ。
被告人ガ二度目ニ電話シタノハ村中デナカツタカ
其ノ日村中ニハ電話ヲ掛ケヌト思ヒマス。
其ノ時出タノハ栗原デナク、村中デアツタノデハナイカ
私ハ栗原ニ話シタトノミ思ツテ居リマシタ。
其ノ時被告人ガ話シタ電話ノ要旨ハ、
「 自決ハ最後ノ問題デアル。
君等ハ奉勅命令デ慌テテ居ル様デアルガ、自決スル前ニ其ノ眞否ヲ確メル必要ガアル。
又 一度蹶起シタ以上ハネ徹底的ニ其ノ目的ヲ貫徹スル爲ニ上部工作ヲスル必要ガアリ、
未ダヤルベキ餘地ガアルカラ、
夫レヲヤツテ見タ上デ、愈々イカナケレバ最後ニ自決スルト云フ事ニセネバナラヌ 」
ト云フ趣旨デアツタノデナイカ。
私ハ彼等ニ其ノ通リノ趣旨ノ電話ヲ掛ケタ事ハ確實ニ覺ヘテ居リマスガ、
夫レハ唯今申上ゲタ時デアツタカ、別ノ機會デアツタカ記憶致シマセヌ。
スルト、被告人ガ彼等ニ對シ自決ヲ阻止シタ根本ノ趣旨ハ何処ニアルカ
私ヤ北ガ彼等ニ話シタ結局ノ趣旨ハ、
「 時局ノ収拾ニ向ツテ急デ自決スルノハ最後ノ問題デ、未ダ早イ 」
ト言ツテ、彼等ノ自決ヲ阻止スルニアツタノデアリマス。
・・・第三回公判
夜ニナリマシテ、
龜川ト云フ人ガ再ビ西田ヲ訪ネテ參リマシテ、小應接室デ西田ト二人デ話シテ居リマシタ。
ヤヤ暫ラクシテカラ軍服ノ村中ガ見エマシタノデ、( 西田ガ呼ンダカ何エカハ知リマセン )
村中ノ見エタ事ヲ西田ニツタヘタ処、
西田と龜川ト二人應接間カラ出テ來マシテ、四人デ一座シマシタ。
其時私ハ龜川氏ト初對面ノ挨拶ヲシ、
相澤公判ノ骨折等ニ附キ常ニ西田カラ承ツテ感謝シテ居ル事ヲ申述ベマシタ。
村中ト私トハ 午前及ビ午後ノ電話ノ事ニ附キマシテ、
軍事參議官カラ未ダ返事ガナイト云フ事ノ問答ガ重要ナノデアリマス。
此時村中ハ一同ニ對シテ、「 牧野ハ失敗シマシタ 」 ト云フ事ヲ話シマシタ。
又 村中ハ陸相官邸ニ行ツタ狀態ヲ話シマシタ。
「 初メ夫人ガ出テ長時間ノ間陸相ニ會ハセナカッタノデ村中ガ最後ニ大キナ聲を上ゲテ、
陸軍大臣閣下、重大ナ事ニ就キテ申上ゲ度イノデアリマス。ト呼ビマシタ処、初メテ陸相ガ出テ來タ 」
ト云フ事を申シマシタ。
又 「 皆元気デ居る 」 ト 云フ事、等
「 電話デハ何ダカ物足ランカラ來マシタ 」
ト 云フ様ナ話デ、二十分位デ急イデ歸ツタノデアリマス。
・・・ 北一輝 (警調書2) 『 仕舞った 』
西田税 村中孝次 北一輝 龜川哲也
二十七日 夜
時間ハ記憶アリマセヌガ、當夜午後七、八時頃
龜川ト話シテ居ル際、村中ガ突然來タノデ、
私ハ意外ニ感ジ、
且 再ビ會ヘナイダラウト覺悟シテ居ツタ同人ト會フ事ガ出來テ、感慨無量ノ體デアリマシタ。
ソコデ、私ト北、龜川、村中ノ四人ガ一座ニシテ、村中ニ對シテ今迄ノ經過ニ附、
物珍ラシク色々尋ネタリ、聞イタリ致シマシタ。
其ノ時村中ハ、
一、二月二十六日朝陸軍大臣官邸ニ行ツテ、大臣ト會見シタ模様、
一、蹶起部隊ハ戒嚴司令部ノ隷下ニ編入セラレタコト、
一、戒嚴司令官ト面接シテ、此儘現占據地ニ留ツテ居ツテ宜イト云フ諒解ヲ得タコト、
一、先輩同僚ガ多數來テ激励シテクレルノデ、同志將校等ハ非常ニ心強ク思ツテ居ルコト、
一、今朝陸軍省、參謀本部等ニ兵力ヲ終結シテ、幕僚ヲ襲撃スルコトヲ安藤、磯部、栗原等ガ言ヒ出シタガ、之ヲ阻止シタコト、
一、眞崎、阿部、西三大將ニ會見シ、眞崎大將ニ時局収拾ヲ一任スルコトヲ要望シ、大體其ノ方針デ進ンデ居ルコト、
一、新議事堂附近ニ兵ヲ終結スルコトハ地形偵察ノ結果不可デアルノデ、
戒嚴司令官ニ其ノ儘留ツテ居ツテモ宜イカト尋ネタ処、同司令官カラ其ノ儘デ穏クリ給養シテ宜イト言ハレタコト、
一、万平ホテル、山王ホテル等ニ居ル部隊ハ蹶起軍ナルコト、其ノ給与ハ部隊カラ受ケテ居ルコト、
一、奉勅命令デ現地ヲ撤退セシメ、命令ニ服従シナケレバ討伐スル等ノ噂ガアルト話シタラ、
村中ハ、「 ソンナ筈ハ無イ、我々ノ行動ヲ認メタト云フ大臣告示ガ出テ居ルカラ 」 ト申シ、右大臣告示ノ内容ヲ説明シタコト、
等ヲ話シマシタ。
其ノ時龜川ガ、
「 奉勅命令ト云フガ、夫レハ天皇機關説ノ様ナコトデアル。
ソレハ、袞龍ノ袖ニ隠レテ大御心ヲ私ニセントスル者ノ所業デアル 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ強調シタノデ、
私ハ、龜川ハ理論的ニ強イ事ヲ言フ人ダト感ジ、黙ツテ聽イテ居リマシタ。
其ノ時北カラモ、
「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纏メテ、時局収拾ニ努力スル必要ガアル 」
旨ヲ申シテ居リマシタ。
村中ハ、兵ノ敎育上何カ參考資料ハナイカト申シマシタガ、
何モ無イト申スト、約一時間位話シテ歸ツテ行キマシタ。
・・・予審訊問調書
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私ハ同日(二十七日)夕方亀川ニ御経ノ文句ヲ傳ヘ、又蹶起將校ヨリ聞イタ情報ヲ知ラセ、
今後ノ対策ニ附相談シヤウト思ツテ龜川ニ電話ヲ掛ケ、
「 御足勞ダガ、モ一度來テクレナイカ 」 ト言ヒマシタ処、
龜川ハ同日午後六、七時頃來テクレマシタノデ、
其ノ朝會ツタ室デ話シタノデアリマスガ、
私ハ小笠原中将ニ掛ケタ電話ノ内容ト略々同ジ事ヲ話シマシタ処、
龜川ハ
「 陸軍首脳部ニハ、時局ヲ収拾スルニ足ル人物ガ居ナイ様ニ思フ。
自分トシテハ、海軍ノ山本大將内閣デ進ム事ニ定メタ 」
ト言ヒ、其ノ理由モ經過モ申サズ結論ダケ申シマシタノデ、
私ハ
「 今度ノ騒ギハ陸軍ガ起シタノデアリ、
五 ・一五事件ノ時ハ海軍側ガ蹶起シタ爲、海軍ニ於テ事態収拾ニ當ツタ如ク、
今度ハ陸軍カラ出テ事態ヲ収拾シテ貰ハネバナラヌ。
此際海軍側カラ出テ貰フノハ筋違ヒノ様ニ思フ。
我々ノ意見モ蹶起將校ノ意見モ、期セズシテ一致シテ居ルノダカラ、
此儘眞崎内閣ニ依ツテ時局ヲ収拾シテ貰フ方針デ進マウデハナイカ 」
ト申シ、北ノ霊感ヲ告ゲタル上、
「 其ノ事ヲ蹶起將校等ニ傳ヘ、彼等ヨリ眞崎ニ一任シタ形ニナツテ居ルノダカラ、
今更山本大將ニ變ヘルノモ何ウカト思フ。時ニ眞崎大將ハ何ウデスカ 」
ト申シマシタ処、
龜川ハ
「 眞崎ハ二月二十六日朝家ヲ出タ儘偕行社ニ居ルサウダガ、其ノ後少シモ會フ機會ガナクテ困ツテ居ル 」
ト申シマスカラ、
私ハ
「 夫レデハ困ル。眞崎デ進ム事ハ彼等ノ爲ニナル事ダカラ、聯絡ガ出來ヌトスレバ、
眞崎ト山本ハ同ジ軍事参議官ダカラ、山本大將ニ随行スルカ、
山本大將又ハ林大將ヲ動カシテ眞崎ニ我々ノ希望ヲ傳ヘテ貰フカシテ、聯絡スル様ニシテハ何フカ 」
ト申シマスト、
龜川ハ
「 夫レデハ其ノ様ニシヤウ 」
ト言ヒマシタ。
夫レカラ二人デ暫ク雑談ヲ交シテ居ル時、
同日(二十七日) 午後七、八時頃突然 村中ガ來タトノ事ヲ告ゲラレマシタ。
私ハ最早永久ニ會ヘナイカモ知レヌト思ツテ居タ所謂死線ヲ突破シタ人ガ來タノデ、
事ノ意外ニ驚クト共ニ、再会シ得タ事ニ附非常ニ嬉シク感ジマシタ。
龜川ハ北ヲ知ラズ、當日朝來タ時ニモ會ハシテ居ナイノデ、
村中ノ來タノデイイ機會ダト思ヒ、
北ヲモ呼ンデ北、龜川、村中、私ノ四人ガ一座ニ會シマシタ。
私達ハ村中ニ對シテ凱旋シタ勇士ヨリ戰爭ノ話デモ聞ク様ナ氣持デ、
三人交々村中ヨリ、蹶起シテヨリ此方ノ狀況ヲ聞キマシタ。
尤モ私トシテハ、今迄聽イテ居タ事實ヲ確メル形デアリマシタ。
村中ハ徐々ニ話シマシタガ、
其ノ要領ハ、
二月二十六日朝陸相官邸ニ行ツテ大臣ト會見シタ顚末、
蹶起部隊ハ戒嚴司令官ノ隷下ニ編入セラレ、現占據地ニ留ツテ居テ宜イトノ諒解ヲ得タ事、
陸軍上層部ノ人々ガ多數來テ夫々慰問 激励シテクレタ事、
今朝栗原、磯部、安藤ハ陸軍省、參謀本部ニ兵力ヲ終結シテ、幕僚ヲ襲撃スルト言ヒ出シタガ、自分ガ之ヲ阻止シタ事、
眞崎、阿部、西 三大將ニ會見シテ、眞崎大將ニ時局収拾ヲ一任スル旨要望シタ事、
新議事堂附近ニ兵ヲ終結スル事ハ地形偵察ノ結果不可デアルノデ、其ノ旨戒嚴司令官ニ申出デタ処、
安心シテ其ノ儘緩ゆるリ休養シテ宜イト言ハレタ事、
万平ホテル、山王ホテル等ニ居ル部隊ハ蹶起部隊デ、其ノ給与ハ聯隊カラ受ケテ居ル事
ナドヲ話シテクレマシタ。
私ガ
「 奉勅命令デ現地ヲ撤退セシメ、若シ服從シナイ時ハ討伐スルト云フ噂ガアルガ何ウカ 」
ト申シマスト、
村中ハ
「 我々ノ行動ヲ認メタ陸軍大臣ノ告示ガ出テ居ル程ダカラ、ソムナ筈ハナイ 」
ト申シテ大臣告示ノ内容ヲ説明シテクレマシタカラ、
私ハ
「 折角現占據地ニ留ツテ居ツテモ宜イト言ハレテ居ルノダカラ、
民家ニ移ル事ハナイ、今迄通リ其場ニ居レバ宜イデハナイカ 」
ト言ヒマスト、
村中ハ
「 夫レデハサウ致シマセウ 」
ト言ヒマシタ。
私ハ、
「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纏メテ、時局収拾ニ努力スル必要ガアル 」
ト云フ趣旨ノ意見ヲ述ベ、
村中ハ約一時間程デ一人先ニ歸ツテ行キマシタ。
村中ガ熊々訪ネテ來タノハ、何ノ目的デアツタカ
村中ハ來タ時世間一般ノ狀況ヲ知リタイト言ツタ様ニ思ヒマスノデ、其ノ様ナ考デ來タノデナイカト思ヒマス。
海軍方面ノ狀況ハ私カラ村中ニ話シテ遣リマシタ。
被告人ヨリ村中ヲ呼迎ヘタノデナイカ
村中ハ自發的ニ來タノデ、私ガ呼ンダノデハアリマセヌ。
自發的ニ來タトスレバ、何カ目的ガアル筈ト思ハレルガ如何
私ハ最早會ヘヌト思ツテ居タ村中ガ來タ嬉シサノ氣持ガ先ニ立ツテ居リマシタノデ、
村中ガ何ムナ目的デ來タカニ附考ヘマセヌデシタ。
外部ノ狀況ヲ如何様ニ話シタカ
外部上層部ノ方々ニ御願ヒシタ事ヲ告ゲ、
海軍デハ眞崎一任と云フ事ニ附支援シテクレル事ニナツテ居ル事、
全國カラ澤山ノ激励電報ガ來テ居ルガ、
戒嚴司令部邊リデ押ヘテ居ルト新聞記者ガ言ツテ居ツタト云フ事 ナドヲ傳へ、
今ハ海軍側モ民間側モ、其ノ他一般ノ空氣ハ蹶起部隊支援ニ傾イテ居ルカラ、
軈やがて有利ニ解決スルダラウト云フ風ニ、
彼等ガ嬉シガル様ナ事ヲ申シテ、村中ヲ激励シテ遣リマシタ。
被告人ハ、一般ノ情勢ハ好轉シツツアルガ、
此好轉ハ蹶起將校ノ内部不統一ヨリ崩壊シナイカト思ツタトノ事デアルガ、 其ノ點ニ附村中ニ注意シタカ
村中ハ其ノ日安藤、磯部、栗原等ノ強硬分子ヲ抑ヘルノニ苦心シタト言ヒマスカラ、
私ハ 「 サウデアツタカ 」 ト同人ヲ劬ハル様ナ氣持デ、返事ヲシテ置キマシタ。
尚、村中ニ會ツタ時ニハ、彼等ガ私ノ意見ヲ採用シテクレ、
爲ニ大部分危險空氣ハ消散シテ居ル様ニ思ヒマシタノデ、
村中ニハ、「 此際更ニ早ク軍事參議官ト會見シタ方ガ宜イ 」 ト話シタ様ニ思ヒマス。
其ノ際北ヤ龜川ハ、何カ言ハナカツタカ
北ハ私ト同様、
「 早ク陸軍首脳部ノ意見ヲ纒メ時局収拾ニ努力シテ貰フ必要ガアル 」
ト云フ趣旨ヲ申シテ居リマシタガ、龜川ガ何ト言ツタカ覺ヘテ居リマセヌ。
其ノ際龜川ハ、
「 奉勅命令ト云フガ、夫レハ天皇機關説ノ様ナ事デアル。袞龍ノ袖ニ隠レテ大御心ヲ私セムトスル所業デアル 」
ト云フ趣旨ノ事ヲ強調シタノデハナカツタカ
私ハ其ノ時龜川ガ其ノ様ニ話シタト思ツテ居リマシタガ、夫レハ記憶違ヒデアリマシタ。
何故今迄左様ナ申立ヲシテ來タカ
何ウシタモノカ、
最初ハ龜川ガ其ノ様ニ申シタモノト思詰メテ居リマシタガ、
後ニ記憶違ヒナル事ガ判ツタノデアリマス。
龜川ハ其ノ時其ノ様ナ話ヲシナカツタノガ本当デアリマス。
・・・第三回公判
前項
帝國ホテルの會合
の続き
村中孝次
帝國ホテルで部隊の撤退を約束した村中は
二十七日朝
陸相官邸の廣間で野中、香田、安藤、磯部、栗原らとともに 部隊の引きあげについて協議した。
だが、意見は硬軟二派にわかれた。
村中は同志部隊を引きあげよう、皇軍相撃はなんとしても出來ない、
と 撤退を説いたが、
磯部 は激昂を全身にたぎらかし、
「 皇軍相撃がなんだ、相撃はむしろ革命の原則ではないか、
もし同志が引きあげるならば俺は一人になってもとどまって死戰する 」
と 叫ぶ。
安藤もまた、
「 俺も磯部に賛成だ。維新の實現を見ずに兵を引くことは斷じてできない 」
と 鞏硬だった。
磯部としては もし情況惡化せば田中隊と栗原隊をもって出撃し、
策動の本拠と目される戒嚴司令部を轉覆する覺悟だった。
とうとう磯部は怒って栗原と一緒に首相官邸に引きあげてしまった。
同志の間には氣まずい空氣が流れた。
けんか別れである。
・
人なし勇將眞崎あり
磯部が首相官邸に移ってから間もなく、
西田から栗原に電話があり、つづいて、北一輝からも栗原に電話で、
「 眞崎大將に時局収拾をしてもらうことに、
まず君ら靑年將校の全部の意見を一致させなさい。
そして君らの一致の意見として軍事參議官の方も、
また、參議官全部の意見一致として眞崎大將を推薦することにすれば、
つまり陸軍上下一致ということになる。
君らは軍事參議官の意見一致と同時に眞崎大將に時局収拾を一任して、
一切の要求を致さないことにしなさい 」
と 教示した。
さらに、
西田も磯部を電話口に呼び出し和尚 ( 北のこと ) の靈告なるものを告げた。
磯部は、
午前八、九時であったが西田氏より電話があったので、
「 余は 「 簡單に退去するという話を村中がしたが斷然反對した、小生のみは斷じて退かない。
もし軍部が彈壓するような態度を示した時は、策動の中心人物を斬り戒嚴司令部を占領する決心だ 」
と 告げる。
氏は、「 僕は龜川が撤去案を持ってきたから叱っておいたよ 」 と いう。
更に今、御經が出たから讀むといって
「 國家人なし 勇將眞崎あり、國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよ 」 と 靈示を告げる。
余は驚いた、
「 御經に國家正義軍と出たですか、不思議ですね、私どもは昨日來 尊皇義軍と言っています 」
と 言って神威の嚴肅なるに驚き 且つ快哉を叫んだ 」
と 遺書 「 行動記 」 に書いているが、この北の靈告にはよほど激励されたものらしい。
・
しばらくすると 村中が香田とともに首相官邸にやって來た。
磯部は村中を見つけると 夜明け方の喧嘩別れも忘れて、
「 さきほど、西田さんから電話があって 和尚の靈告を聞いたんです。
人なし勇將眞崎あり國家正義軍のために號令し、正義軍速やかに一任せよというのです」
と 氣色をたたえ、はしゃいだ聲で話しかけた。
村中も、
「 いや、俺の所にも今、その電話があったものだから相談しに來たのだ。
和尚の靈告通りに この際は眞崎一任で進むのが一番いいんじゃないかと思うんだが 」
と 一同にはかった。
そして
「 賛成 ! それでいこう 」
と いうことになった。
折もよく 野中も來合わせていて、眞崎一任ということに全員一決した。
そこで 各參議官の集合を求めることになったが、
同時に、昨日來の行動で疲勞している部隊に休息を与えるために、
警備兵を除いて、部隊を一時國會議事堂附近に集結することにきめた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
國會議事堂附近に集結する爲に移動する野中部隊
戒嚴司令部
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そして 村中と香田が部隊を代表して戒嚴司令部に交渉に行くことになった。
二人は戒嚴司令官を訪ねて參謀長列席の上で、
蹶起の趣旨ならびに軍上層部に対する要望を述べ、
部隊の配備を縮小すること、現配備をなおしばらく是認せられたいこと、
しからざれば軍隊相撃の危險があることを力説し、さらに軍事參議官との面接を依頼した。
こうして 香椎のあっせんで
( 二十七日 ) 午後四時頃
陸相官邸の大廣間でふたたび蹶起將校と軍事參議官との會談が行われた。
この場合
反亂將校側は ほぼ全員、
立會人として山下少將、鈴木、小藤両大佐、山口大尉が同席した。
まず、野中大尉が立って、
「 事態の収拾を眞崎大將にお願い申します。
その他の參議官は眞崎大將を中心としてこれに協力せられることをお願い致します 」
と 申し入れた。
すると 眞崎大將は、
「 君らがそういってくれることは誠に嬉しいが、今は君らが聯隊長のいうことを聞かねば何の処理もできない 」
と 暗に撤退をほのめかした。
阿部大將はこれをとりなすように、
「 われわれ參議官一同心をあわせて力をつくすことを申しあわせている。
眞崎大將がもしその衝に當ることになれば、われわれも勿論これを支持するし、
また、他に適當な方法があったならばこれに協力するにやぶさかではない 」
と いい、
西大將も
「 阿部閣下のいわれる通りだ 」
と そばから言い添えた。
野中は更に、
「 この事柄をどうか他の参議官一同へもはかってご賛同を願います 」
と 懇請すると、阿部大將は、
「 諸君の意のあるところは充分に參議官に傳えよう 」
と あっさり承諾した。
すると野中は、
「 それでは軍事參議官一同ご賛同の上は、
われわれの考えと參議官一同の考えが完全に一致した旨を、是非、ご上奏をお願いします 」
と 切り込んだ。
阿部大將は、
「 そういう事柄は手続き上にも考慮せねばならないので即答はしかねる、よく研究してみよう 」
と 逃げてしまった。
今まで だまって聞いていた眞崎大將はこのとき、
「 われわれ軍事參議官は、御上のご諮詢があって初めて動くもので、その外は何の職權もない。
ただ、軍の長老として事態の収拾に骨を砕いているのだ。
だから君らがわしに時局収拾を委すというなら無条件でまかせてもらいたい。
しかし 時局の収拾は君らが速やかに、統率の下に復歸することだ。
それ以外に手段方法はない。
戒嚴令はとりもなおさず奉勅命令だ。
もし、これにそむけば錦旗に反抗することになる。
萬一、そのような場合が生じたら、自分は老いたりといえども 陣頭に立ってお前達を討つぞ、
大局を達観して軍長老の言を聞いて考えなおせ。
赤穂四十七士が全部同じ金鐵の考えなりしや否や不明だ。
今日出動した部隊も同様で、蹶起後日數もたち疲勞している。
思わざる色々のことがおこるかも知れない。早く引きとるようにせよ 」
會談は 彼らの考えとは逆な方嚮に向けられてしまった。
眞崎、今日の説得は迫力があった。
阿部大將口を開いて、
「 それでは君らの申し入れの意思はよくわかったから 他の參議官ともはかって後刻返事することにしよう 」
と 會談を打ちきった。
三大將は説得ほぼ成功とふんで喜んで偕行社にかえった。
リンク→山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを眞崎大将に一任します 」
この日( 二十七日 ) 午前
反亂軍は一部配備の變更を行い
陸相官邸その他 永田町台上一帯の警戒を緩やかにし一般の交通を許したので
首相官邸には激励の訪問者が續々とつめかけ 邸前には 萬歳、萬歳 の聲が湧きあがっていた。
こうした中で 一部幕僚による撤退勧告がはじめられていた。
満井中佐は
維新の大詔渙發と同時に 大赦令が下るようになるだろうから、一應君等は退れといい、
鈴木大佐も一應退らねばいけないと説示する。
彼らは一抹の不安をもちつつも、なお事件の成功を信じて、その 「 戰勝 」 に酔っていた。
・・・大谷敬二郎 二・二六事件 『 ひとなし勇將眞崎あり 』 から