あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

山下奉文の四日間

2019年03月27日 09時44分15秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸

二十九日正午、敗惨の将、安藤大尉以下十九名の将校は、陸相官邸に集結した。
川島陸相以下、軍首脳部は、反乱将校の処置について、額を集めて協議していた。
山下奉文少将は自決を強調した。
「 彼等の憂国至情の精神は親心で見てやる必要がある。
 現役の将校には自決の機会を与えて、軍人として最後の花を飾らせてやりたい 」
この意見が大勢を決した。
官邸の大広間に待機していた反乱将校は、日頃から尊敬、崇拝している山下将軍の声涙ともに下る、
死の説得に直立不動の姿勢で、じっと聞き入っていた。
「 今いった通り、お前たちの精神は、この山下が必ず実現して見せる。
 決して犬死ではないぞ。 生きて反徒の汚名をきるなよ。 軍人として最後の花を飾って散って行け!」
列中に嗚咽が起きた。
山下将軍の要望で、その最後は古武士の作法に則って、「 切腹 」 と 決まった。
官邸の西村属官と憲兵の手で、真新しい畳が二枚、内庭のベランダに裏返しにならべられ白い布が敷かれた。
これが 「 切腹の座 」 である。
銀座の菊秀本店に九寸五分の短刀が注文され、靖国神社から白木の三方が届けられた。
介錯人は戸山学校の剣道有段者の将校が選ばれた。
このとき席をはずした野中大尉は、秘書官室で自らの拳銃で自決した。
野中大尉の死は、異様な衝撃を与えた。
「 山下将軍のいうことは一理あるが、蹶起の精神をこの眼で確かめたい。
 死は易く、生は難い。 公判を通じて広く国民に訴えてから死んでも遅くない 」
村中孝次 の一言で、「 切腹 」 の線が崩れ去った。
結局、憲兵の手で武装が解除され、手錠姿で代々木の陸軍刑務所に収容された。
・・・「 お前たちの精神は、この山下が必ず実現して見せる 」 
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二 ・ニ六事件秘録  戒厳司令「 交信ヲ傍受セヨ 」 NHK取材班 著
日本放送出版協会  昭和五十五年二月二十日 第一刷発行  から 転載
山下奉文の四日間

クーデター勃発の朝、
軍事調査部長山下少将は、蹶起部隊の本部になっている陸相官邸に早々とその巨軀を現した。
午前八時頃と推定される。
軍事調査部とは、戦時中の報道部のようなもので、当時は弘報と同時に青年将校の政治活動の監視、指導も行っていた。
やがて、陸軍省、参謀本部の出勤時間となる。
省部と略称されるこの二つの官庁に勤務する軍人は、陸軍部内のエリートである。
蹶起部隊の歩哨と省部の幕僚たちとの小競り合いが、あちこちで始まった。
兵に誰何され、着剣銃を突きつけられて通行を阻止された幕僚たちは、憤慨して陸相官邸に詰めかけた。
その時、門前で一発の銃声が響いた。
山下は山口一太郎大尉にうながされて、外へ飛び出した。
血相を変えた磯部が、軍刀を抜いて立っている。
四、五歩離れて、一人の少佐が顔面血だらけになって倒れていた。
「 撃たんでもわかる 」 転倒したまま少佐は叫んだ。
傍らにいた一大尉が駆け寄りかかえ起こす。
少佐は、 「 やるなら、天皇陛下の命令でやれ 」 と怒号しながらかかえられて門前を去った。
撃たれたのは、陸軍省軍務局の片倉衷少佐であった。
・・・リンク → 「 エイッこの野郎、まだグズグズ文句を言うか 」

血を見てたじろぐ幕僚たちに、官邸から出て来た石原莞爾大佐が
「 参謀本部の者は軍人会館に集合 」 と大声で指示した。
山下も 「 陸軍省の者は偕行社に集合 」 と指示を出す。

昼近くになって、山下は宮中に向かった。
眞崎大将と川島陸相は、それ以前に官邸を後にしていた。
招かざる客、石原の姿はいつの間にか消えている。
宮中には陸相はじめ軍首脳が集まっていた。
その中に陸相を見つけると、山下は軍事参議官会議を招集するように進言した。
本来、軍事参議官とは、陸海軍の長老である軍事参議官によって構成され、
天皇の軍事上の諮問に答えるためのものである。
この場合は、天皇の諮問ではないので、幹事役の陸相が招集する非公式のものを、である。
山下の進言が容れられ、午後一時頃から宮中溜ノ間で軍事参議官会議が開かれた。
出席者は、川島、眞崎、荒木、林、阿部、西、寺内の各大将、
それに皇族軍事参議官の梨本、東久邇、朝香の三宮であった。
加えて、東京警備司令部司令官香椎浩平中将、参謀本部次長杉山元中将、
同第二部長岡村寧次少将、山下、石原、陸軍省軍事課長村上啓作大佐、
それに侍従武官長の本庄繁大将が同席した。
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川島陸相は天皇に拝謁すると、
事件の経過を報告するとともに 蹶起趣意書 を読みあげた。
天皇の表情は、陸相の朗読がすすむにつれて嶮けわしさを増し、
陸相の言葉が終わると、
なにゆえにそのようなものを読みきかせるのか
と 語気鋭く下問した。
川島陸相が、蹶起部隊の行為は明かに天皇の名においてのみ行動すべき統帥の本義にもとり、
また 大官殺害も不祥事ではあるが、陛下ならびに国家につくす至情にもとづいている。
彼らのその心情を理解いただきたいためである、
と 答えると・・・。
今回のことは精神の如何を問はず甚だ不本意なり
国体の精華を傷つくるものと認む

天皇はきっぱりと断言され、
思わず陸相が はっと頭を下げるとその首筋をさらに鋭く天皇の言葉が痛打した。

朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス  斯ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於テモ恕ユルスベキモノアリヤ
天皇は、
一刻も早く、事件を鎮定せよ
と 川島陸相に命じ、陸相が恐懼して さらに拝礼するのをみると、
速やかに暴徒を鎮圧せよ
と はっきり蹶起部隊を 暴徒 と断定する意向をしめした。
 ・・・ なにゆえにそのようなものを読みきかせるのか 
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川島陸相の上奏要領
一、叛乱軍の希望事項は概略のみを上聞する。
二、午前五時頃 斎藤内府、岡田首相、高橋蔵相、鈴木侍従長、渡邊教育総監、牧野伯を襲撃したこと。
三、蹶起趣意書は御前で朗読上聞する。
四、不徳のいたすところ、かくのごとき重大事を惹起し まことに恐懼に堪えないことを上聞する。
五、陛下の赤子たる同胞相撃つの惨事を招来せず、出来るだけ銃火をまじえずして事態を収拾いたしたき旨言上。
陛下は この事態収拾の方針に関しては 「 宜よ し 」 と 仰せ給う
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・・・ 大臣告示の成立経過 
・・・ 
大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」
 
・・・ 命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戦時警備部隊トシテ警備に任ず 」 
・・・ 戒厳令 『 麹町地区警備隊 ・ 二十六日朝来出動セル部隊 』 

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会議は終始、荒木のペースで進められた。
蹶起部隊を説得して、占拠地帯から撤退させようと荒木はいう。
これに、積極的に反対する者はいない。
こうして、その説得のための文案の起草が山下と村上に命じられた。・・・リンク→ 維新大詔 「 もうここまで来ているのだから 」 
文案ができ上ると、これを陸軍大臣告示として山下に持って行かせ、青年将校たちに論示させることになった。
命を受けて退出しようとする山下に、後ろから真崎が 「 叱ってはいかんぞ 」 と声をかけたという。
山下は車に乗って陸相官邸に向かった。
それに、内閣調査官鈴木貞一大佐、参謀本部第二部欧米課ドイツ班長馬奈木敬信中佐が同行した。
官邸に着いた。午後三時過ぎであったと思われる。
山下は青年将校幹部の集合を求めた。
野中、香田、村中、磯部、對馬の五人が集まって来た。
陸軍大臣告示を朗読する。
その場の立会人は、朝から詰めきりの古荘次官、鈴木、満井、山口らであった。
「 陸軍大臣告示 ( 二月二十六日午後三時三十分。東京警備司令部 )
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現 ( 弊風ヲ含ム ) ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之レ以外ハ一に大御心ニ俟ツ 」
對馬が、それは我々の行動を認めるということですか、と質問した。
・・・リンク→・ 川島義之陸軍大臣参内 「 軍当局は、吾々の行動を認めたのですか 」 
山下は答えず、三度繰返し読んだ。
そのあと、無言のまま別室に退去した。
「 其時、馬奈木中佐ハ青年将校ノ希望ヤ要求等ヲ聞テ居リマシタ。
 古荘次官ハ間モナク宮中ニ参内ノ為メ出発シ、吾々ハ留守ヲ命ゼラレ、
次デ山下少将ハ鈴木大佐ヲ留守ニ残シ、参内ノ為メ出発サレマシタノデ、
私と馬奈木中佐モ同乗シ・・・・」 ( 満井調書 ) 
この時間、青年将校たちはクーデターが成功したのか失敗したのか判然とつかめず、
手詰りで無為に過ごしていた。
これに、陸大教官の満井中佐が、宮中に行って軍事参議官に直接会って話してみようと誘いをかけた。
磯部がさっそく乗って、車を用意する。
これを聞いた山下は、自分がここに軍事参議官を連れて来るからと、それを止めようとした。
しかし、磯部は信用しない。
山下の車に満井、馬奈木が同乗して宮中に向かう。
それを磯部、香田、村中の同乗した車が追った。
クーデター勃発直後から、宮城は近衛師団によって手早く厳戒されていた。
坂下門で、山下以外の五人は追い返される。
止むなく磯部らは官邸に戻り、軍事参議官の到着を待った。
宮中に入った山下は、陸相官邸に出向いて青年将校と話し合うよう軍事参議官に進言した。
軍長老が宮中に逃避しているような印象を与えてはまずい、と説得したのである。
午後九時頃、山下の先導で皇族を除く軍事参議官が官邸に到着した。
たたちに会見に入る。
青年将校側では主に香田が喋った。
昭和維新を断行してもらいたてと要請する。
荒木が答える。
二十七日の午前二時頃まで、それが続いた。
しかし、この会見は何らの成果ももたらさなかった。
青年将校側に具体的な要望がないのである。
また、何を望まれても軍事参議官には実権がなかった。
それに、---
「 私共ノ決行スル時ノ考ハ、
 『 アトハ野トナレ、山トナレ 』 ト申ス様ナ捨鉢的ナモノデハナク、 或一ツノ望ヲ持テヲリマス。
 破壊後ノ建設ハ誰カ適当ナ人ガ出テ、収拾シテ下サレバヨイ。
其適当ナ人トハ眞崎大将ヲ指スモノデハナク、
実行力ノアル人ナラ誰デモヨイノデアリマス 」 ( 磯部調書 ) ・・・磯部浅一 「 統帥権干犯の事実あり 」 
これでは軍事参議官も答えようがなかったろう。
青年将校は部屋を移して相談に入った。
「 別室ニ退ツタ蹶起部隊ノ将校カラ更ニ希望アリ、
 『 軍ハ自ラ粛正ノ範ヲ垂レ、昭和維新断行ニ邁進スルト言明シテ頂ケバ、蹶起部隊ハ之デ引キ下ル 』
ト、村中ダツタカ言ツテ来タノデ、荒木大将ハ、『 改メテ会フ必要ハナイ 』 トハネツケタ。
大臣ガ帰ツテ来ルトテ出掛ケテ行ツタガ、何時迄待ツテモ帰ツテ来ナカツタ。
ソシテ、山下少将ヲ憲兵司令部、陸軍省、参謀本部ヘ見ニ使ハセシニ、
ナカナカ強硬論モアリ、軍事参議官ノ意見ト相違シ、山下少将モ困ツタラシイ 」 ( 阿部信行調書 )
陸相は真夜中に一体どこに行ったものか。
それを探しに行って、省部の幕僚たちに吊し上げられている山下の姿が目に見えるようである。
翌朝、うやむやのうちに軍事参議官は宮中に戻った。山下も同行する。
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午後十時頃、
各参議官来邸、余等と会見することとなる。
( 香、村、余、對馬、栗原の六名と満井、山下、小藤、山口、鈴木 )
香田より蹶起主旨と大臣に対する要望事項の意見開陳を説明する。
荒木が大一番に口を割って
「大権を私議する様な事を君等が云ふならば、吾輩は断然意見を異にする、
 御上かどれだけ、御シン念になっているか考へてみよ 」
と、頭から陛下をカブって大上段で打ち下す様な態度をとった。
・・・リンク→  行動記  第十八 「 軍事参議官と会見 」 
決期の目的 ・・・リンク ↓
・ 川島義之陸軍大臣への要望書
・ 
「 只今から我々の要望事項を申上げます 」
・ 
内田メモ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」
軍事参議官との会見 『 軍は自体の粛正をすると共に維新に進入するを要する 』
丹心録 「 吾人はクーデターを企図するものに非ず 」 
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二十七日、
「 午後三時頃、香椎司令官偕行社ニ来リ、真崎大将ニ会フ。
 眞崎大将、軍事参議官ノ室ニ帰来シ、蹶起部隊ノ将校ガ自分ニ会ヒタイト云ツテ居ルサウダガ、
自分丈ケ行クノハドウカト思フト相談ヲ掛ケタリ。

其時、香椎司令官モ入リ来リ、蹶起部隊ハ今ハ頼ルベキ人モナク、心淋シクナツテ居ルノデ、
私 ( 香椎 ) モ頼ンデヤルカラ充分甘ヘルガ良イト云ツテオイタカラ、
是非眞崎閣下ニ行ツテ頂キ、高ブツテ居ル神経ヲ静メテ頂キ度イト話ス。
ソコデ、他ノ軍事参議官モ、『 ソンナ程度ナラ、行ツタ方ガヨカラウ 』 ト云フ事ニナリ、眞崎大将ハ一人デ出掛ケラレタ。
室ヲ出ラレルト直グ蹶起部隊将校ヨリノ電話ダトテ、軍事参議官全部来テ頂キタイトノ事ナリ。
ソレカラ間モナク眞崎大将ヨリ、要求ガマシキ事ガアルト一人デハ困ルカラ、
安倍ト西大将ニ来テ呉レト電話アリ、私ト西大将ト二人デ陸軍大臣官邸ヘ行ク。
ソコニハ眞崎大将一人ボンヤリト坐ツテ居タ 」 ( 阿部調書 )
この時、陸相官邸に出向いた軍事参議官は眞崎、阿部、西の三人だけであった。
「 当時、大臣官邸ノ応接室ニハ蹶起将校ハ誰モ居マセンデシタガ、
 確カ山下少将カラ其内ニ集ツテ来マスカラトノ事デ、十四、五分待ツテ居リマスト、
蹶起将校ガ十八名集合シ、二列ニ整列シテ、二名丈ケ不明デアリマスノデ、
十八名全部集合シノシタ、ト述ベ・・・・」 ( 眞崎調書 )
山下は、この会見でも立会人になっている。
他には鈴木、小藤、山口の三人がいた。
磯部の手記によれば、その席で一同を代表した野中が
「 事態の収拾を眞崎将軍に御願ひ申します。
 この事は全軍事参議官と全青年将校との一致せる意見として御上奏をお願ひ申したい 」
と申し入れたという。 
・・・リンク→ 
軍事参議官との会談 2 『 事態の収拾を真崎大将に御願します 』 
実は、この会見の直前に北一輝の
「 国家人無し、勇将眞崎あり。国家正義軍のために号令し、正義軍速かに一任せよ 」
という霊告が伝えられていたのである。
・・・リンク→軍事参議官との会談 1 『 国家人無し 勇将真崎あり、正義軍速やかに一任せよ 』 
しかし、収拾を頼まれても真崎には受けられない。
彼の耳にそろそろ、眞崎が青年将校を操っている、という噂が入っていた。
この会見も無意義に終わった。
だが、青年将校の意気は軒昂である。
待望の戒厳令が布かれ、彼らも戒厳部隊の一員なのである。
しかも、戒厳司令官が騒擾者そうじょうしゃの使いをして軍長老を訪ね、
彼らが淋しがっているから行って甘えられてやってくれ、と頼むようなことまでしているのである。
こういう珍な例は、世界に類を見ないであろう。
この日、このあとの山下の行動はわからない。

二十八日、事態はガラリと変わった。
奉勅命令が下令されたのである。
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奉勅命令
「 現姿勢ヲ撤シ 各所属部隊長ノ隷下ニ復帰セシムベシ 」
 
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「 命令   戒厳司令官ハ三宅坂附近ヲ占拠シアル将校以下ヲ以テ速ニ現姿勢ヲ徹シ各所属部隊長ノ隷下ニ復帰セシムベシ
 奉勅    参謀総長  戴仁親王 」
この命令も、指揮系統が乱れ青年将校には伝わらなかった。・・・リンク→ 「 奉勅命令ハ伝達サレアラズ 」 
それでも事態の悪化を肌で感じた彼らは、形勢を逆転すべく手分けして奔走した。
香田、村中は第一師団司令部を訪ねた。

堀丈夫師団長は二人に労りの言葉をかけた。
磯部は戒厳司令部に行った。
ここでは、冷たくあしらわれた。・・・リンク→  「 オイ磯部、君らは奉勅命令が下ったらどうするか 」
昼近く、彼らは陸相官邸に戻って来た。
官邸では山下、鈴木、山口、栗原の四人が待っていた。
香田らに、山下は、
「 もし奉勅命令が下令されたならばどうするか 」 と覚悟の程を質ただ した。
猶予を乞われ、山下と鈴木は別室に退く。
香田らに山口を加えた六人は協議に入った。
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一、満井中佐及柴大尉去りし後、山口大尉来邸す、
 余の顔を見るや落涙して曰く、
「 本早暁、柴大尉より形勢悪化を聞き、種々奔走せるも我微力及ばず、策盡きたり 」
 と。
余言ふ
「 尚一策あり、統帥系統を経て意見を具申せん 」 と。
山口大尉賛同。
小藤大佐に意見を具申する所あり、
玆に於てか小藤大佐は鈴木貞一大佐、山口大尉と共に第一師団司令部に至り、
堀師団長に是らに関し意見を具申せり。
余は香田、竹島、対馬の三氏と共にこれに同行して第一師団司令部に至り、
参謀長室に於て待ちありしが、稍々ありて参謀長舞大佐来り、
「 奉勅命令は未だ第一師団に下達せられず、安心せよ、唯、冀くは余り熱し過ぎて策を失する勿れ 」
と告ぐ。
次で堀師団長は偉軀温顔、余等の前に現はれ、
「 戒厳司令部に於ては、奉勅命令は今実施の時機にあらずと言へり、
近衛師団が小藤部隊に対して不当の行動に出づる時は我亦期する所あり、心を労する勿れ 」

と云ふ、
余等喜色満面、一大安心を得て陸相官邸に帰来せり。
一、陸相官邸に帰来後、山下奉文少将来りて余等を引接す、
 之より先、
磯部氏は今朝来の余等の行動とは全く関係なく、単独戒厳司令部に至り、
石原大佐及満井中佐と折衝して小藤部隊を現位置にあらしむ必要を力説主張したる後、
陸相官邸に来り、栗原中尉も次いで参集し、
茲に香田、磯部、栗原、野中及余の五名は鈴木大佐、山口大尉等立会ひの下に山下少将に会見す。
山下少将曰く
「 奉勅命令の下令は今や避け得られざる情勢に立至れり、
 若し奉勅命令一下せば諸子は如何にするや 」
 と。
事重大なるを以て協議の猶予を乞ひしが、十数分にして山下少将再び来りて返答を求む。
一同黙然たりしも、栗原中尉 意見を述べて曰く
「今一度統帥系統を経て、陛下の御命令を仰ぎ、一同、大元帥陛下の御命令に服従致しませう、
若し死を賜るならば、侍従武官の御差遺を願ひ、
将校は立派に屠腹して下士官兵の御宥しを御願ひ致しませう 」 と 且泣き、且云ふ、
一同感動せらるること深く余等これに同意す。
・・・リンク→ 続丹心録 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」 

「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺ひ申上げようではないか。
奉勅命令が出るとか出ないとか云ふが、一向にわけがわからん、
御伺ひ申上げたうえで我々の進退を決しよう。
若し 死を賜ると云ふことにでもなれば、将校だけは自決しよう。
自決する時には勅使の御差遺位ひをあおぐ様にでもなれば幸せではないか 」・・・栗原中尉
・・・ 彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 
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その結果、事態が判然としない、一度指揮系統を通じて天皇の意思をうかがってみよう、
それでもし死を賜るのならば、将校は立派に屠腹して果てよう、ということになった。
山下に伝える。
山下は感動した。
「 有難う 」 といって落涙したという。
この時栗原が、自刃の場には侍従武官長の御差遣ごさけんを願いたい、と発言した。
山下はそれを請け合い、勇躍して憲兵司令部に行った。
陸相と会い、二人して宮中に向かう。
本庄侍従武官長を通じて、勅使差遣を上奏した。
「 陛下ニハ、非常ナル御不満ニテ、自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、
 此かくノ如キモノニ勅使抔など、以テノ外ナリト仰セラレ・・・・」 ( 本庄日記 )
・・・リンク→ 自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
山下は悄然として退出した。
一方、青年将校も自決の意志を翻していた。
「 昼少シ前頃、栗原カラ電話ガカカリマシテ、『 山下少将、鈴木大佐カラ自決セヨトノ話ガアツテ、
 今皆デ別レノ最中デアル 』 ト申シ、電話ガ切レテ了ヒマシタノデ、心配シテ更ニ電話ヲカケ、
『 ソレハ皆ノ意見カ 』 ト尋ネマスト、『 二、三名ノ者ガ相談シテヰル 』 ト申シマスノデ、
私ハ、『 皆デ相談セネバナラヌデハナイカ 』 ト、皆ノ意見ヲ纏メルコトヲ勧メマシタ。
其際、北ガ代ツテ、『 ヤリカケタ事デアルカラ、最後マデヤレ 』 ト申シテ居ツタ様デアリマス 」 ( 西田調書 )
北一輝に発破をかけられたのである。
・・・リンク→  「自決は最後の手段、今は未だ最後の時ではない 」
このあと、北は村中にも電話をかけて激励している。
そして、この電話から二時間もせぬうちに北は憲兵隊に逮捕された。
勅使差遣を請うて天皇の不興を買い、青年将校には自刃の意志を翻された山下は、
夕刻また一つの動きを見せている。秩父宮令旨りょうじの伝達である。
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秩父宮殿下ノ歩兵第三聯隊ニ賜リシ御言葉
一、今度ノ事件ノ首謀者ハ自決セネバナラヌ。
二、遷延スレバスル程、皇軍、国家ノ威信ヲ失墜シ、遺憾ナリ。
三、部下ナキ指揮官 ( 村中、磯部 ) アルハ遺憾千万ナリ。
四、縦令軍旗ガ動カズトスルモ、聯隊ノ責任故、今後如何ナルコトアルモミツトモナイコトヲスルナ。
      聯隊ノ建直シニ将校団一同尽瘁セヨ。
・・・森田大尉述
文相官邸の一室で
舞師団参謀長、渋谷歩三聯隊長、森田大尉の三人は野中四郎大尉と面談した。
森田大尉は、まず秩父宮との会談内容を伝えると、野中はうなだれたまま黙然と聞いていた。
森田は軍人らしく自決することをすすめた。
普段温厚な森田だけに、野中にとってしみじみと胸に迫るものがあったろう。
「 貴様の骨は、必ず俺が拾ってやる 」 と、森田がいうと、
傍の舞参謀長が 「 殿下の令旨だぞ ! 」 と、強調した。
・・・リンク→ 「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」 
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前日、二十七日の夕刻、秩父宮が弘前から急遽上京した。
宮の上京の真意はわからない。
この日の午後、宮は歩兵第三聯隊時代に可愛がっていた森田利八大尉を屋敷に呼び出した。
その話の中に、青年将校は最後を清くしなければならぬというような言葉があったらしい。
山下はそれに飛びついた。
この令旨だといい出し、森田を連れて鉄道大臣官邸に行き、野中と栗原を前に呼び、
伝達の儀式めいたものを行った。 
白布を敷いた壇を作り、その上で森田の令旨を読ませたのである。
しかし、これも無視された。
二十九日午後、四日間のクーデターもついに終焉を迎えた。
安藤は拳銃で喉を撃ち、香田は軍刀で首をかき斬ろうとして丹生に止められた。
青年将校は続々と陸相官邸に集まって来た。
官邸には既に自決の用意がなされていた。
脱脂綿、消毒薬、それに棺桶も準備されていた。
山下は廊下に立ち、一人一人に 「 どうするか 」 と聞いた。
自決しますと答えると、用意された部屋を指示するのである。
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二十九日 朝、名は知りませんが参謀や其他の将校が来まして状況を話し、
帰順を勧告しましたので、私等将校は協議をし下士官以下を帰隊せしめ、我等将校のみ自決の決意をしました。
其内、戦車が攻撃して参りましたので、私等将校は挺身し皇軍相撃たざる様切望し、
次で全員集合せしめたる上、訣別の辞を述べ兵を参謀に渡しました。
それから私達将校は陸相官邸に帰りますと、
玄関に渡しの元聯隊長である山下閣下が居られましたので、我等の決心を伝へました。
すると山下閣下は、我等三人 ( 坂井中尉、麦屋少尉及私 ) を 一室に案内されました。
そこで私達は自決すべく身辺を整理して居りましすと、
三原中佐(坂井中尉元大隊長) 及 井出大佐が来られましたので我等の決意を示し、
最後の別を告げ、三原中佐に介添を依頼し各々遺書を認めました。
残念な事には、麦屋少尉の遺書を書終るのが遅かったので決行の時機を失したのですが、
もう少し早ければ其目的を達して居ったのでしやう。
即ち、地図により宮城幷に大神宮の位置を標定し、頭を其方向に伏して、
拳銃を以て自決する処迄 準備が進行して居りましたが、
其時、野中大尉、清原少尉、鈴木少尉等の同志が交々入り来り
「 生死は何処迄も同志と共にして呉れ、やるなら是非同志と会て呉れ、
我等も勿論死は期して居る、同志全部が一緒に自決しやうではないか 」 とて 我等の挙を止め、
次で 澁川善助来り 「 生死は一如なり 」 とて 我等を諫めたので 同志に会ふことに決めました。
其結果、大御心の儘に裁かれ、昭和維新実現の過程を看視するめ必要ありとの議 纏り、
現在の結果を招いたのであります。
・・・リンク→ 高橋太郎少尉の四日間 

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この時の様子を、憲兵少佐福本亀治はこう語っている。
「 官邸の大広間で武装解除をやれということで私も後で警戒していましたが、悲愴なものです。
 悪びれない態度でしたが青い顔をして。
それから後は、自決を前提にしていろいろ準備されていました。
看護婦まで来ていたんですよ。
それから山下少将が、みんな自決したら証拠が残らないから、お前ひとつ、代表者の調書を取れというんです。
澁川を連れて来ましてね、どういうわけですかね。
何故 澁川が代表者なんですかと聞いたんですが、とにかく調書を取れというんで三十分位で作りました。
その調書は山下少将が持って行きましたが、どうもわかりません 」 ( 「 二 ・ニ六事件月報 」 №4 )
結局、自決したのは野中一人にとどまった。
・・・リンク→ 野中四郎大尉の最期 『 天壌無窮 』 
あとの者は、維新断行はこれからだと言明し、法廷闘争の道を選ぶことにした。
・・・リンク→ 「 畢生の至純を傾け尽して御国のご維新のために陳述す 」 
山下奉文の四日間は、こうして何一つ実ることなく終わったのである。
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二十六日午前九時半  蹶起部隊配備状況
航空本部は、当時は半蔵門方面から行くと、陸軍省の手前、三宅坂丁字路の角にあった。
門を入るとすぐまるい植え込みがあって、その前に安藤大尉はいた。
ただ独りつくねんとして芝生に胡坐をかいて座っている。
あたりには一兵も見当たらない。
安藤大尉は、二・二六蹶起には非常な慎重論者であって、
最後のぎりぎりのところで重い腰を上げた人である。
その姿なは心なしか孤独な寂しさが漂っているように感じられた。
「 安藤大尉殿 !! 」
私は馬上から大声で呼びかけた。
「 オオ ! 小林か。よく来たな 」
よく来たなと言われたかどうか、ハッキリした記憶はないが、
まさしくそういった安藤大尉の顔色であり、雰囲気であった。
私は馬を飛び下り手綱をそばの植木につないで、安藤大尉に並んで胡坐をかいた。
「 安藤さん。状況はどうなっているのですか 」
動機も目的も、その他、何も聞く必要はない。
お互いよく知っている。
要は現在の情勢を知りたいだけである。
「 歩一、歩三、それに近歩三(近衛歩兵第三聯隊)の一部を加え、
 七個中隊、兵力は約千四百名。これが東京地区の出動兵力だ 」
襲撃目標とその兵力、現在の配備態勢等、彼はむしろ淡々とした口調で、実に詳しく説明してくれた。
私は、あけっぴろげにこんなに詳細な話を聞けようとは思いもよらなかったので、まったくわれながら驚いた。
「 安藤さん。これからどうなるのですか。どうするつもりですか 」
「 それは山下奉文少将に任せてある。
 山下閣下が出て来て、われわれの希望する方向に後始末をしてくれるはずだ 」
「 独自の計画は持ってないのですか 」
「 何も持っていない 」
「 山下少将とはちゃんと打ち合わせをしてあるのですか。約束はできているのですか 」
「 いや、それはしていない 」
「 それでは、貴方がたの希望的観測に過ぎないのではないですか 」
「 そう言われればその通りだ。しかし、われわれは山下閣下を信じている。
必ずやってくれると信じているのだ 」
・・・破壊孔から光射す 


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