あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

香田淸貞大尉 「 國家の一大事でありますゾ ! 」

2019年03月01日 08時27分48秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸


香田淸貞 
私の所属した第十一中隊は香田淸貞 大尉だったが、
昭和十年十二月一日付で歩兵第一旅団副官に転出したため
丹生誠忠中尉がその後任となり日も浅かった。
昭和十年という年は丁度、
美濃部達吉博士が唱えた天皇機關説をめぐり、これを排撃するための國體明徴運動が起こり、
やがてこの運動を契機として、
軍部が政治に乗り出しファッショ化の進行がはじまった注目すべき時代である。
當時香田大尉はこの世情を究明していたようで、
ある日精神訓話の時に中隊全員の前で天皇機關説を話題にして一席ブッたことがあった。
私は毎日聯隊本部で過ごしていたので中隊内の事情はよく判らなかったが、
事件の起こる二、三日前の夜、
中隊に戻り部屋に入ると机の上に四つ切大の新聞が置いてあるのに気づいた。
新聞名は 大眼目 となっていた。
誰が作成し、どの範囲に配られているのか知らぬが
紙面に相澤公判の内容や昭和維新の方途といった記事が憂國的な論調で書かれてあった。

二月二十六日 〇三・〇〇前、突然誰かが私を起こした。
「武装してすぐ曹長室へ集合!」
大いそぎで軍装を整え曹長室に行くと集ったのは下士官ばかりであった。
そして奥の方に將校が四人立っていた。
中隊長丹生中尉、それに香田大尉もいたがあとの二人は見たこともない將校だ。
全員集合すると先ず丹生中尉が我々に初對面の二人の將校を紹介した。
「 こちらが村中大尉、そちらが磯部一等主計である 」
すると二人は我々に
「 どうぞよろしく 」 といった。
紹介が済むと丹生中尉は我々に向って
「 唯今より蹶起趣意書を朗読する 」 といって難解な文章を読みあげた。
熟睡中のところ、突然起こされ、
いきなりむずかしい熟語づくめの文章を読まれても、何のことか解る筈がない。
それでも終り頃になって奸賊を倒して大義を正すことを狙いとする内容であることが解った。
やがて朗読が終わった丹生中尉は次に机上に地図をひろげ命令を下した。
「 昭和維新断行のため、師団は今払暁を期してこの線まで進出する。
我が中隊はその先遣部隊となって只今からこの線に出動する。
皆には絶対心配はかけない、責任は皆中隊長がとるから安心してついてこい 」
机から離れた位置にいた私には地図がよく見えないので「この線」という位置がよく解らなかった。
命令が下達されると拳銃実包が八発程度支給された。
何が何だかわからないままに事が運ばれてゆく。
だが、どんな計画か知らぬが、どこかへ出動することだけは理解できた。
この時私に下達された任務は兵四名を指揮して蹶起將校
( 香田大尉、村中大尉、磯部一等主計 ) の身辺護衛にあたることであった。
そして全員の合言葉として 「尊皇--討奸」 「尊皇--斬奸」 が示され、
出動中、見知らぬ將校でも合言葉で見分け、
その他同志の者は長靴の内側に三錢切手をはりつけているので
それによって識別することも指示された。

丹生部隊出撃経路と 四日間の配備情況 ( 栗原部隊、野中部隊出撃経路 )

〇四・三〇、中隊はMG隊 ( 機関銃隊 ) のあとに続行して営門を出た。
衛兵が部隊礼で見送る前を粛々として六本木方面に向かった。
営門際に週番指令の山口大尉がきていて出発する我々に
「 しっかりやってこい! ごくろう!!」
といって激励してくれた。
同時刻、歩三からも部隊が出てきて合流したが、途中からまた別れていった。
我々は三十分行進して着いた所が陸相官邸正門前であった。
私は將校の身辺護衛という任務のため中隊の先頭にたち、香田大尉に随行して正門に至った。
そこには憲兵上等兵が一名立哨していた。
香田大尉は門外から大声で
「 アケロ! アケロ!」
と 数回叫び開門を強要したがシブって応ずる気配がない。
そこで大尉は語気を強めて
「開けなければブチこわすゾ!」
と 一喝したところ、立ちどころに門をあけた。
憲兵は開門と同時に哨舎に飛込み受話器をとったので、
香田大尉が 「それをおさえろ!」
と いいながら兵一名を監視につけたため、憲兵は観念し連絡を断念した。

開門するや、
香田大尉、村中大尉、
護衛の私以下五名及び丹生中尉指揮の第十一中隊は官邸玄関前広場に浸入、
丹生中尉は直ちに分隊の任務と配備を下達し全兵力を要所に配し警備体制を布いた。
官邸に隣接する陸軍省、参謀本部にも当然兵力を配置し
特定者以外の出入りを遮断したことはいうまでもない。
香田大尉、村中大尉、護衛の私と兵四名はやがて表玄関に進み階段を登った。
玄関の扉はピタリと閉まっていて恰も我々の訪問を拒絶しているかのようであった。
香田大尉は扉に近づくや大音声をあげて大臣に呼びかけた。
時の陸軍大臣は川島義之大将である。

大臣閣下! 大臣閣下! 國家の一大事でありますぞ! 
早く起きて下さい。
早く起きなければそれだけ人を余計に殺さねばなりませんゾ !!

大尉は繰返し繰返し叫びながら大臣の現れるのを待ったが、
なかなか姿を見せず、
私服の憲兵や陸相夫人と見られる女性等が入れかわり立ちかわり顔を出しては
「今しばらくお待ち下さい」 といった。
そこで香田大尉や村中大尉はその都度、
「我々は大臣閣下に危害を加えるために参ったのではありません お願いに参ったのです」
と いっていた。
この間かなりの時間がたった。
やがて表玄関が開かれ我々一行は官邸内に入った。
香田、村中  両大尉は急いでいる様子である。
私たちは引きつづき玄関付近で警戒していると、
約一時間ぐらいたって大臣が軍服姿で一人で第四応接室に入って行かれた。
大臣は椅子に腰をおろしたが
香田大尉と村中大尉は立ったまま大臣をみつめていたが、
やがて香田大尉が蹶起趣意書を詠みはじめた。
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NHKイメージ画像                     本文中挿絵
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そこで私は応接室の外周を兵四名と共に動哨しながら成り行きを見守った。

すると官邸護衛の私服憲兵も動哨していて廊下で時々ブツカリ合った。
「 部屋に近づいてはいかん、上官の命令だ 」
「 俺は憲兵だ 」
「 俺は護衛兵だ 」
そんなことがたびたび交わされた。
室内のやりとりがどう展開しているのか不明だが
やがて七時を過ぎた頃から高官連中が次々に官邸につめかけてきた。
邸内には緊迫感がみなぎり、身辺護衛が容易でなくなってきた。
二・二六事件と郷土兵
歩兵第一聯隊第十一中隊 軍曹・横川元次郎
「蹶起将校の身辺護衛」 から