2013年7月27日に投稿した「高橋悠治作曲 しばられた手の祈り を聴く」に、3週間ほど前、けんいちさんからコメントが寄せられていた。
「しばられた手の祈り」が収録された高橋悠治のギター作品集のCDが発売されるとのことであった。
「しばられた手の祈り」(Chained Hands in Prayer)はピアノのCD録音も探したが見当たらず、ギター編曲版が録音されるなどとは全く予想していなかったので、提供下さった情報には大変有難味を感じた。
すぐにタワーレコードに予約注文を入れたが、そのCDが1週間前に届いた。
そしてこのCDをこの1週間毎日会社へ持っていき、昼休みに聴いた。
前回の投稿と重複するが、この「しばられた手の祈り」を初めて知ったのは、今から30年ほど前の学生時代に、全音から出ていたギターピースを買った時である。発売されて間もないころである。
この全音のギターピースは1980年代の半ばに発売中止となったが、日本の作曲家のギターオリジナル曲も数曲出版されていた。三善晃、毛利蔵人、伊福部昭、松平頼則、塚本靖彦、そして高橋悠治といった日本を代表する作曲家たちのオリジナル曲、それも力作といってもいいレベルの曲である。
伊福部昭、松平頼則、高橋悠治の諸作の楽譜は絶版になる前に手に入れていたが、他の作曲家の楽譜は後になってコピー譜で手に入れることができた。
ギタルラ社から発売されていた日本人作曲家シリーズの楽譜もそうであるが、1960年代から1970年代にかけて、これらの日本を代表する作曲家のギターオリジナル曲が盛んに作曲されていたのである。これは当時のギタリストたちの働きかけもあったのであろうが、日本ギター史の中で、本格的なギター曲が最も活発に創造された時代といってよい。ギター専門でない作曲家がギターに目を向けた時代であった。
これらの楽譜の殆どが現在絶版となっている。これは大変惜しいことである。絶版になった曲の楽譜を手に入れることは大変なことである。
1980年代に入りこれらの日本人の作曲家たちはギターのために曲をあまり書かなくなった。三善晃は1980年代の半ばに「五つの詩」というギター曲を作ったが、以前の曲ほどの力作には感じられなかった。
1980年代から現在までの間にギタリスト兼作曲家のギター曲、例えばバリオス、ブローウェル、ドメニコーニなどの曲がさかんに演奏され、録音されるようになったが、今思うと作曲専門の方の曲の方が、曲の構成力、深み、意図する力の強さが感じられる。ギタリスト兼作曲家のギター曲はあくまでもギターという範疇の音楽としか聴こえてこない。
かなり横道にそれたが、1980年代の前半にこの「しばられた手の祈り」の楽譜を買って、家に帰ってすぐに弾き始めたが、途中から曲のイメージが全くつかめなくなった。運指が付いていなかったこともあるが、和声が複雑で当時の私には手に負えなかった。
そこでピアノが弾ける姉にこの曲の楽譜を渡し、初見で弾いてくれと頼んだのである。
姉はやれやれといった感じで弾いてくれたが、曲の最後の和音が変な音だったことしか覚えていない。このE♭の和音があまりにも変に聴こえたので姉に、「最後の和音、間違ってないか?。本当にその音なのか?」と聴いたら「そうだよ。間違いないよ」との返事。
とにかくこの最後の終わり方だけが強く印象に残っただけで、この曲をその日以来弾くことはなくなった。
今から思うとこの素晴らしい曲を弾く機会を逸したことが残念なのであるが、それから30年経ち、今から2年前のある休日に、家に乱雑に置いてあった楽譜の束から何かいい曲はないかと物色していた時に、この曲の楽譜が出てきたのである。
そしてこの曲を30年ぶりに弾いた。
やはり最初の主題を奏でる部分までは聴けたが、その後の、テンポが速まり、和声が複雑になるあたりから急に難しくなり、中断を余儀なくされた。そう簡単に理解できたり、弾けたりする曲ではないことを悟った。
そこでこの曲がYoutubeに無いかと探したら、1つだけ投稿されていた。この曲のオリジナルのピアノ版であった。
やはりこの曲はピアノの曲なのである。ピアノの方が和声が豊かで、というよりもともと作曲者が意図した和声そのものなのである。
正直なところこの曲はピアノで聴いた方が聴き応えがある。ギター版はその機能の限界からかなりの音が簡略化されているが、しかしギターにはピアノでは出せない音の魅力がある。
この音の魅力を最大限に出そうとする熱意が伝わってくるのが、今回高橋悠治のギター作品集を弾いた、ギタリストの笹久保伸氏なのである。彼の音は力強く、深い感情が伝わってくる。
彼の名前はこの作品集で初めて知ったが、現代音楽とアンデス音楽を演奏する異色のギタリストだ。
ペルーに在住し、アンデスの農村で音楽を採集しながら海外で演奏活動を行っているそうだ。まだ若いが、今までの型にはまったギタリストとは全く異なる考えを持っているように感じる。
たいてい今の若いギタリストはバリオスやピアソラ、またポピュラー音楽の編曲ものを加えて録音したCDを出すが、それを見てがっかりする。何故、もっと作曲専門の方と交流を持ち、彼らに曲を委嘱しないのだろうかと思う。
先に述べた1960年代から1970年代にかけて新しい本格的なギター曲が活発に生み出された時代が再度くることを期待したい。
「しばられた手の祈り」に関する情報は少ないが、韓国のキム・ジハ(金 芝河)という作詞家が獄中で作詞した詩をもとに作曲されたと思われる。
「キム・ジハは1970年代の韓国の朴正煕(パクチョンヒ)政権当時、反朴闘争の抵抗詩人として国際的にも知られた作家で、朴政権時代に風刺詩「五賊」などを通じた反政府・民主化活動で逮捕され、死刑判決を受け投獄された。日本をはじめ国際的に救援運動が行われ、韓国を代表する反体制作家としてもてはやされた。」( ブログ「川越だより」より引用させていただいた)。
この曲は獄中で自由の身を奪われ、目に見えぬ鎖で手をしばられたわが身の無念、悲しみ、怨念といった気持ちが伝わってくる。
特に下記の部分は、悲しい嘆きの気持ちが強く伝わってくるが、その気持ちが美しい音楽に昇華されていることがこの曲の素晴らしさなのである。特に独特の和声は作曲者独自のものであろう。最初は複雑で違和感を感じるであろうが、何度も聴いているとその高次元の和声や音の取り方に魅力を感じてくるに違いない。
この曲はギタリストの小原聖子氏のためにギター曲に編曲されたとCDの解説に記されていたが、楽譜が発売されても録音はされることはなかった。以来30年に渡って殆どだれからも注目されていなかったが、今回のCD録音で他のギタリストも注目するかもしれない。
作曲家の高橋悠治はピアニストでもあり、私はこれまで彼の録音を何度か聴かせてもらった。
彼の若い時は、ヤニス・クセナキスに師事し、クセナキスやジョン・ケージ、メシアンなど現代音楽の演奏家として知られた。最初のギター曲「メタテーゼ第2番」はこの時代の影響を受けた曲であろう。
しかしそのような時代でもベートーヴェンのピアノソナタ第31番を録音したり、後年、バッハのゴルドベルク変奏曲やフェデリコ・モンポウの「沈黙の音楽」を録音するなど、幅広い演奏活動をしている。
1978年から1985年にかけてアジアの抵抗歌を独自のアレンジで演奏する「水牛楽団」を組織し、市民集会で演奏したとのことだ。「しばられた手の祈り」はこの楽団の活動が始まる前の1976年に作曲された(ギター編曲版は1979年)。
なおこのCDの中に「さまよう風の痛み」という曲があるが、オリジナルはピアノ曲で、私はすでにこの曲を聴いていたので思い出すことができた。この曲も韓国の詩人の作品をもとに作曲されたものであり、どこか五音音階陰旋法を思わせる美しい曲であり、松下隆二氏によりギターに編曲された。