緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

鈴木静一作曲 楽詩「雪の造型」を聴く

2015-06-20 22:25:01 | マンドリン合奏
昨年冬に開催された第107回中央大学マンドリン倶楽部定期演奏会の会場で、過去の演奏会のCDが売られていたが、鈴木静一の曲が収録されているCDを何枚か購入し、聴いてみた。
その録音の中で鈴木静一の曲の中ではあまり知られていないが、とてもいい曲があり、私はこのCDで初めてその曲を聴いたのであるが、いつか紹介しようと思っていた。
その曲とは、楽詩「雪の造型」(1968年作曲)である。
曲は以下の3楽章から構成されている。

・第一楽章:「枯野にちる霙」(石狩野にて)
・第二楽章:「雪の造型「(ニセコ アンヌプリにて)
・第三楽章:「月冴えて」(北大キャンパスにて)

私の故郷である北海道の冬の自然をモチーフにした、鈴木静一の曲の中では小~中規模のマンドリン・オーケストラである。
第一楽章「枯野にちる霙」は石狩の荒野に訪れた冬の気配を題材としている。
石狩地方は札幌から北に向かい、新琴似を過ぎると日本海沿いは厚田村、浜益村と続き、東は月形町、新十津川町といった地域からなる広大な平野である。
この石狩地方には高校1年生の夏休みに、中学校時代の友達5,6人で、「古潭(こたん)」、「望来(もうらい)」といったところへ2泊3日の自転車旅行で訪れたことがある。
また10年ほど前に車で帰省した際には、小樽市銭函から国道337号線に入り、石狩湾の海沿いを通り、増毛、留萌、羽幌を通りすぎ、稚内の宗谷岬まで行ったことがある。この時は1日で700km以上走った。
この石狩というところは、とりたてて観光名所があるわけではなく、面白いところがあるわけではない。しかし、石狩湾から宗谷岬までの海沿いのドライブは最高に気持ち良かった。車も殆ど通らず、勾配も少なく殆ど平地であり、天気が良ければ利尻岳も見える。
ここは開発が進んでいないのである。北海道は札幌市や小樽市はこの30年で急速に変化した。バブル時代の余ったお金で余計なものがどんどん建設されて、昔の風情が失われた。
お金を儲けることだけにしか関心の無い本州の資本が、風情のあった美しい景観を破壊した。JR小樽築港駅周辺などはそのいい例であろう。
今最も心配しているのが、北海道新幹線の開業で、小樽から倶知安、倶知安から長万部までの地域の開発が進み、自然豊かな地域が観光地化され、その地域本来の持つ自然の美しさが人口の建造物で上塗りされてしまうことである。
このような自然の美しさを破壊してまでゴルフ場やテーマパークなどを作る人は、事業を起こして、それにより成功して、自分の名前を上げたいと考えている人である。功名心が強く、決して自然に関心の無い人である。
私の実家の近くにも25年位前のバブルの頃に、原始林を破壊してゴルフ場とホテルを建設し、近くの川の魚が大量死したことがあった。そのゴルフ場とホテルはバブルが崩壊し、しばらくは赤字経営をしていたが、数年前に経営破たんした。全く無駄なことをしたと言わざるを得ない。しかし開発された自然は2度と戻って来ない。

鈴木静一は今よりももっと自然豊かだった石狩平野を訪れ、霙の降る寒い荒野に立ち、思いついたモチーフをもとにこの第一楽章を作ったのだと思う。曲の前半は明るく雄大さを感じさせるが、途中から2拍子または6拍子の短調に転調し、このリズムの刻みが霙の降る様を表現している。美しい旋律だ。随所にギターのアルペジオが挿入されるが、このギターの役割は大変重要で効果的だ。鈴木静一という作曲家は、ギターという楽器のマンドリン・オーケストラでの位置付けにとても神経を使っていることが分かる。実際演奏してみれば分かるのであるが、ギターという柔らかく、他の楽器には出せない特有の音を目立って表に出すわけでもなく、かといって終始目立たなく、伴奏、リズムパートとして他の楽器から埋没させているわけでもなく、絶妙で効果的な配役をさせているのである。
鈴木静一には私が知る限り、2曲のギター独奏曲があるらしい。「哀唱」という曲と、「駅路風景」という曲だ。
「哀唱」という曲は楽譜も販売されていたようだが、現在では探し出すことは出来ない。

第2楽章はニセコアンヌプリを訪れた時に遭遇した吹雪の様を表現したようである。
鈴木静一はスキーが好きで奥様と各地のスキー場を毎年訪れていたらしい。ニセコは北海道でも富良野に次いで大きなスキー場で、アンヌプリスキー場と東山スキー場がある。私も大学のゼミのスキー旅行で訪れたことがあった。
吹雪と言えば、中学校時代にとてつもない大きな吹雪に遭遇したことがあった。猛烈な大雪と吹雪で、確か学校も授業を早めに打ち切り、下校させたと記憶しているのだが、学校から家までの道のりを腰まで雪に埋まりながら何とか進んでいったが、丘の頂上で、自分の身長よりも高い雪の壁に遭遇したのである。この時もしかして遭難(?)も一瞬頭をよぎったが、壁を崩し、何とか家まで辿り着いた。
このニセコも現在、欧米や中国の資本に土地を買い占められて、別荘などが乱立していると聞く。北海道新幹線が開通するとますます、人や資本がなだれ込むようになるであろう。太古から手つかずでそのまま保たれていた豊かな自然がまたひとつ失っていくことは実に寂しい。

第3楽章は第2楽章の吹雪の激しい表現が静まりし、フルートの何とも言えない美しい旋律で始まる。舞台は北大キャンパスである。
このフルートの吹く旋律とギターのロ短調のアルペジオがとても美しいのだ。風ひとつなく、静まり返った美しい月夜。
冬のとても寒い頃の粉雪の積もる道を歩いてゆくと、キュッ、 キュッと足音がする。気温が低くて雪に水分が無いからこのような音がするのだ。
寒く静かな冬の月夜。まさにそのようなときに感じる見事と言うべき旋律だ。頬も耳も寒さで痛く、指先もしびれる。でも明るい月に照らされた雪は光を反射して美しく見えたに違いない。
曲は次第に長調に変化し暖かさを感じてくる。ストーブで温まった暖かい部屋で家族とくつろぐ光景が浮かんでくる。作曲者はそのような家の窓の風景を見たのであろうか。

生まれ故郷の北海道を離れて約30年。故郷で暮らした年月よりも今住んでいるところの方が長くなった。しかし自然がもたらす風景や、体で感じた自然の気配は北海道にいた頃の方がはるかに記憶に残っている。
鈴木静一は東京生まれ、東京育ちであるが、日本全国、海外も多く旅をしてまわったとのことだ。そして山登りや釣りを趣味とし、自然を愛する方であったという。
鈴木静一の曲を聴くと、「自然」がもたらすものと密接に関連していることを感じることがある。

この曲を聴くと雪と戯れていた子供時代、家賃1万円のお化け屋敷のような風呂なしアパートにいた学生時代、銭湯帰りに髪が凍ったこと、そのアパートの氷点下の部屋でストーブを点けて部屋の温度を10℃まで上げるのに、3時間ストーブにしがみついていなければならなかったことなどを思い出す。

鈴木静一は多くのマンドリン・オーケストラ曲を残した。そのかなりの曲がCD化されてきているが、大学のマンドリンクラブの定期演奏会ではほとんど演奏されなくなってきている。
この「雪の造型」もかつて北海道の某大学でさかんに演奏され、1980年代半ばまで毎年のように鈴木静一の曲をプログラムの重要曲に取り上げてきたが、それ以降鈴木静一の曲はほとんど演奏してしないことを最近知った。
私の母校のマンドリンクラブも同様である。
現代の若い世代に、鈴木静一の曲が見直されることを願ってやまない。




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