今まで何度か取り上げてきたベートーヴェンの32のピアノソナタ。フォーレの夜想曲と共に私の最も好きなピアノ曲である。
この曲集を本格的に聴くようになったきっかけは、何となく買ったTESTAMENTのCDで、ハンガリーのピアニスト、ゲザ・アンダ(Geza Anda)の弾く「月光」を聴いたことによる。
1950年代の古い録音であったが、身が震えるほどの感動を味わった。
それ以来「月光」の聴き比べを起点に、32曲の聴き比べにのめりこんだ。現在は第2番の聴き比べをしているが時間がかかる。
この聴き比べの過程で、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとマリヤ・グリンベルクという偉大な、素晴らしい演奏家と出会った。この2人との出会いは大げさかもしれないが自分にとっては衝撃的だった。
自分の感じ方と波長の合う演奏家は探せばいるものである。
それは作曲家で同様であるが、フォーレやベートーヴェンの音楽も自分の気持ちと共有できる頻度が高い。
ここに挙げた彼らは既にこの世にいないが、残された音楽や演奏で彼らの気持ちや考え方に触れることができる。
音楽や演奏に感情が流れているからである。
ベートーヴェンの伝記をいつか買ったが、読まずじまいだ。彼の人生を知るためには必要であろう。
ベートーヴェンのピアノノナタの聴き比べをしていると、演奏者の中にはベートーヴェンの気持ちと共有された感情が伝わってこないものがある。有名な演奏家で、素晴らしいテクニックで弾いているのに。
32曲のソナタの中では三大ソナタと呼ばれている「月光」、「悲愴」、「熱情」も素晴らしいが、私は最後の2曲、Op.110(第31番)、Op.111(第32番)の2曲が好きで、この2曲でいい演奏が無いか常に探し求めている。
ギター曲の場合、録音数が少ないので、比較的短期間で気に入った曲のベスト盤を見つけ出すことはできるが、ピアノ曲はそうはいかない。
とにかくピアノ界はあまりにも広く深い。埋もれてしまった録音も含めると膨大な数である。
有名ピアニストの録音は容易に手に入るが、マイナーだが優れた演奏を残した録音の殆どは廃盤であり、中古CD、中古レコードを気長に探していくしかない。Youtubeで聴くという手もあるが、気軽に聴ける反面、苦労して探し出したという実感は得られない。コピーであるから音も変わってしまっている。
第31番や第32番でいい演奏が無いかと古いレコードを店で漁っていると、聴いたことのないピアニストの録音が出てくることがあるが、このようなレコードを買って後で聴いてみたら大したことなく、がっかりしたこともある。
最近はこういう聴いたことのない演奏家については、Youtubeに投稿されているかどうかを確認して1回聴いてからレコードなりCDを買うか判断することにしている。
1回しか聴かないのにそれなりのお金を払うのは贅沢なことだし、置き場にも困るようになる。
今日(と言っても日付は変わったが)、中古CDショップで例のごとく、ベートーヴェンのピアノソナタの埋もれた録音を探していたところ、アドルフ・ドレッシャー(Adolf Drescher 1921~1967)の弾くベートーヴェンピアノソナタの第21番ワルトシュタインと第32番を収録したレコードが見つかった。
アドルフ・ドレッシャーなる演奏家は初めて聴くし、録音は1962年と古い。
Youtubeで確認してから買ってもいいかと思ったが、値段が962円とそれほど高くなかったので、後でがっかりするかもしれないことを覚悟で買って聴いてみることにした。
第32番を聴いてみた。1回聴いた時の感触は、地味であるが堅実な演奏。
第2楽章アリエッタの第3変奏の激しく難しいリズムを正確に刻んだ演奏は少ないが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏は殆ど正確に刻まれていた。
また第2楽章最後の神秘的なトリルは、非常に上手く弾いている。有名なピアニスト、例えばウラジミール・アシュケナージのトリルよりも素晴らしいと感じた。
このトリルを正確に乱れることなく、途切れることなく弾き続けることは至難である。
モノラル録音で録音年も古く(1962年)、音が良く再現されていない。しかしピアノらしいいい音だ。このピアノらしい音の魅力が聴けることがいいのである。
奏者の中にはピアノと格闘して、ピアノ本来の魅力ある音をわざわざ潰してしまっているかのような演奏をしている方がいるが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏はピアノ本来の音を引き出そうとしていることが聴いていて伝わってくる。リストのピアノソナタロ短調の聴き比べをしていた時に、フランスのジャン・ラフォルジュ(Jean Laforge)が出していた芯のある音を思い出した。
上声部と下声部の音の流れも分離して聴こえてくる。生の感情も入った演奏であるが部分的に抑制された表現もあり、欲を言えばここはもっと強く感情を出してもいいのに、と感じる部分も無くはない。
3回連続して聴いたが、また繰り返し聴きたくなる演奏である。
最近海外のマイナーレーベルで、過去の古い埋もれた録音の数々をCDに復刻して発売しているのを見かけるが、日本のレーベルはどうしたのだろう。
日本の大手レーベルは2000年頃までこのような古い、陽が当たっていなかったけど凄い演奏を発掘してシリーズものとして発売していたことがあったが、近年はさっぱりそのような動きは少なくなった。
特に期待したいのは、アリーヌ・バレンツエンのベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音を発掘してCD化してくれることである。
熱情、月光、悲愴など、SPやLP時代に録音されたものが今でも聴くことができるが、特にLP時代の演奏は素晴らしい。彼女の暗い音が何とも魅力なのだ。
この曲集を本格的に聴くようになったきっかけは、何となく買ったTESTAMENTのCDで、ハンガリーのピアニスト、ゲザ・アンダ(Geza Anda)の弾く「月光」を聴いたことによる。
1950年代の古い録音であったが、身が震えるほどの感動を味わった。
それ以来「月光」の聴き比べを起点に、32曲の聴き比べにのめりこんだ。現在は第2番の聴き比べをしているが時間がかかる。
この聴き比べの過程で、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとマリヤ・グリンベルクという偉大な、素晴らしい演奏家と出会った。この2人との出会いは大げさかもしれないが自分にとっては衝撃的だった。
自分の感じ方と波長の合う演奏家は探せばいるものである。
それは作曲家で同様であるが、フォーレやベートーヴェンの音楽も自分の気持ちと共有できる頻度が高い。
ここに挙げた彼らは既にこの世にいないが、残された音楽や演奏で彼らの気持ちや考え方に触れることができる。
音楽や演奏に感情が流れているからである。
ベートーヴェンの伝記をいつか買ったが、読まずじまいだ。彼の人生を知るためには必要であろう。
ベートーヴェンのピアノノナタの聴き比べをしていると、演奏者の中にはベートーヴェンの気持ちと共有された感情が伝わってこないものがある。有名な演奏家で、素晴らしいテクニックで弾いているのに。
32曲のソナタの中では三大ソナタと呼ばれている「月光」、「悲愴」、「熱情」も素晴らしいが、私は最後の2曲、Op.110(第31番)、Op.111(第32番)の2曲が好きで、この2曲でいい演奏が無いか常に探し求めている。
ギター曲の場合、録音数が少ないので、比較的短期間で気に入った曲のベスト盤を見つけ出すことはできるが、ピアノ曲はそうはいかない。
とにかくピアノ界はあまりにも広く深い。埋もれてしまった録音も含めると膨大な数である。
有名ピアニストの録音は容易に手に入るが、マイナーだが優れた演奏を残した録音の殆どは廃盤であり、中古CD、中古レコードを気長に探していくしかない。Youtubeで聴くという手もあるが、気軽に聴ける反面、苦労して探し出したという実感は得られない。コピーであるから音も変わってしまっている。
第31番や第32番でいい演奏が無いかと古いレコードを店で漁っていると、聴いたことのないピアニストの録音が出てくることがあるが、このようなレコードを買って後で聴いてみたら大したことなく、がっかりしたこともある。
最近はこういう聴いたことのない演奏家については、Youtubeに投稿されているかどうかを確認して1回聴いてからレコードなりCDを買うか判断することにしている。
1回しか聴かないのにそれなりのお金を払うのは贅沢なことだし、置き場にも困るようになる。
今日(と言っても日付は変わったが)、中古CDショップで例のごとく、ベートーヴェンのピアノソナタの埋もれた録音を探していたところ、アドルフ・ドレッシャー(Adolf Drescher 1921~1967)の弾くベートーヴェンピアノソナタの第21番ワルトシュタインと第32番を収録したレコードが見つかった。
アドルフ・ドレッシャーなる演奏家は初めて聴くし、録音は1962年と古い。
Youtubeで確認してから買ってもいいかと思ったが、値段が962円とそれほど高くなかったので、後でがっかりするかもしれないことを覚悟で買って聴いてみることにした。
第32番を聴いてみた。1回聴いた時の感触は、地味であるが堅実な演奏。
第2楽章アリエッタの第3変奏の激しく難しいリズムを正確に刻んだ演奏は少ないが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏は殆ど正確に刻まれていた。
また第2楽章最後の神秘的なトリルは、非常に上手く弾いている。有名なピアニスト、例えばウラジミール・アシュケナージのトリルよりも素晴らしいと感じた。
このトリルを正確に乱れることなく、途切れることなく弾き続けることは至難である。
モノラル録音で録音年も古く(1962年)、音が良く再現されていない。しかしピアノらしいいい音だ。このピアノらしい音の魅力が聴けることがいいのである。
奏者の中にはピアノと格闘して、ピアノ本来の魅力ある音をわざわざ潰してしまっているかのような演奏をしている方がいるが、このアドルフ・ドレッシャーの演奏はピアノ本来の音を引き出そうとしていることが聴いていて伝わってくる。リストのピアノソナタロ短調の聴き比べをしていた時に、フランスのジャン・ラフォルジュ(Jean Laforge)が出していた芯のある音を思い出した。
上声部と下声部の音の流れも分離して聴こえてくる。生の感情も入った演奏であるが部分的に抑制された表現もあり、欲を言えばここはもっと強く感情を出してもいいのに、と感じる部分も無くはない。
3回連続して聴いたが、また繰り返し聴きたくなる演奏である。
最近海外のマイナーレーベルで、過去の古い埋もれた録音の数々をCDに復刻して発売しているのを見かけるが、日本のレーベルはどうしたのだろう。
日本の大手レーベルは2000年頃までこのような古い、陽が当たっていなかったけど凄い演奏を発掘してシリーズものとして発売していたことがあったが、近年はさっぱりそのような動きは少なくなった。
特に期待したいのは、アリーヌ・バレンツエンのベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音を発掘してCD化してくれることである。
熱情、月光、悲愴など、SPやLP時代に録音されたものが今でも聴くことができるが、特にLP時代の演奏は素晴らしい。彼女の暗い音が何とも魅力なのだ。