今日、講習会で親しくなった友人とライン電話で話していて、次のようなことを再確認した。
人間の不完全さを受け入れられないと、人に対し厳しくなるし自分のメンタルも辛くなるということ。
スーパーなどで、小さな子供に対し「何度、同じことを言ったら分かるの。何度も同じことを言わせないで!」と物凄い形相で叱りつける母親。
レジで並んでいて店員の仕事の遅さに我慢できずに怒りだす老人。
このような人たちは、親や先生、先輩、上司などから自分の不完全さを激しく責められてきた人たちなのだ。
しかも、責められた自分が悪い、こんな自分ではいけないと、自分自身をこれでもかと責め続け、自分を駆り立てててきた人たちなのだ。
このような心理状態で人生を送るのはとても辛い。
でもこのような状態で生きている人はたくさんいる。私もそうだった。
どうしたらこのような苦しみを抱えた人たちを救うことが出来るのだろうか。
人間はともかくも不完全な存在だ。失敗もするしミスもする。失態もたくさんある。
これって悪いことなのか。
不完全であることって、かえって魅力に感じられないだろうか。
そういう見方が出来ないだろうか。心から。
不完全な自分で全然問題無い。不完全な自分を激しく責め立てるなんで、ひど過ぎないか。
自分を自ら責めて泣いている。恐怖で委縮している。
そこに気付けないないだろうか。
自分を責める人は、責める自分と同じ人を見ると責めたくなる。何故ならば、その自分を嫌っているから。
こうあるべきだという価値観、規律、道徳にがんじがらめに縛られると辛い。
無意識レベルで、過去の生育歴からこのような縛りに支配されていることに気が付いて欲しい。
「不完全が悪い」と誰が決めたのか。
不完全を受け入れられれば、人に対する見方がニュートラルになれる。
不完全であっても腹が立たなくなる。
そのような心境になれることは難しいことであるが、永遠の課題でもある。
でも心を幸せに出来るのは、これしかないと思っている。
自分のこれまでの人生を振り返ってみてそう思うのである。
人間の不完全さを受け入れられないと、人に対し厳しくなるし自分のメンタルも辛くなるということ。
スーパーなどで、小さな子供に対し「何度、同じことを言ったら分かるの。何度も同じことを言わせないで!」と物凄い形相で叱りつける母親。
レジで並んでいて店員の仕事の遅さに我慢できずに怒りだす老人。
このような人たちは、親や先生、先輩、上司などから自分の不完全さを激しく責められてきた人たちなのだ。
しかも、責められた自分が悪い、こんな自分ではいけないと、自分自身をこれでもかと責め続け、自分を駆り立てててきた人たちなのだ。
このような心理状態で人生を送るのはとても辛い。
でもこのような状態で生きている人はたくさんいる。私もそうだった。
どうしたらこのような苦しみを抱えた人たちを救うことが出来るのだろうか。
人間はともかくも不完全な存在だ。失敗もするしミスもする。失態もたくさんある。
これって悪いことなのか。
不完全であることって、かえって魅力に感じられないだろうか。
そういう見方が出来ないだろうか。心から。
不完全な自分で全然問題無い。不完全な自分を激しく責め立てるなんで、ひど過ぎないか。
自分を自ら責めて泣いている。恐怖で委縮している。
そこに気付けないないだろうか。
自分を責める人は、責める自分と同じ人を見ると責めたくなる。何故ならば、その自分を嫌っているから。
こうあるべきだという価値観、規律、道徳にがんじがらめに縛られると辛い。
無意識レベルで、過去の生育歴からこのような縛りに支配されていることに気が付いて欲しい。
「不完全が悪い」と誰が決めたのか。
不完全を受け入れられれば、人に対する見方がニュートラルになれる。
不完全であっても腹が立たなくなる。
そのような心境になれることは難しいことであるが、永遠の課題でもある。
でも心を幸せに出来るのは、これしかないと思っている。
自分のこれまでの人生を振り返ってみてそう思うのである。
私も自己否定を幼い頃から続けてしまい、大人になってから自殺未遂や対人関係の不和、仕事が続けられないなど悩んできました。それがここ数日でやっと理由がわかってきたところで、こちらのブログにとても共感しております。
自分はまだなかなか不完全さが浸透しておらず、負の感情に陥ってからやっと不完全でいいんだったと時間をかけて思い改めている状態です。
自分のことを完璧だなんて思わないのに、「ちゃんと」できてないと自己批判に走るのです。これが癖になっており落ち込むことも多いのですが、こちらのブログにとても励まされたので前向きに取り組んでいこうと思います。
長々と突然すみませんでした。
素敵なブログをありがとうございました。とてもためになりました。
私も20代初め頃から自分の不完全さを許せなくなり、自分を激しく憎み、責め、人から責められない理想の自分になろうと凄まじいほど強迫的に行動した結果、心が崩壊してしまいうつ病になってしまい自殺寸前のところまでいきつきました。
そこから抜け出し、やっとここまでくるのに30数年の歳月を要しました。
確かにおっしゃるように、自己否定、自己批判とそれと連動して自動的に発動する強迫的な自分に対する鞭打ち行為を止めることは容易なことではありません。この点はよく分かります。
私の場合はこの行為の恐ろしさに気が付いことが分岐点でした。今ではこのような苦しみと自分自身の核となるハート(魂、人間性といったものでしょうか)は別ものであり、苦しみを抱える自分でも何ら負い目を感じたり、無価値だと思う必要はないと思えるようになってきました(そういう自分でいいんだと。そういう自分で何が悪いんだと、これは自分の核となるものではなく単に外に出ているものに過ぎないと)。
長年の間に形成された負の自動回路を崩していくことは容易なことではありませんが、不完全な自分でも好きになっていけるよう毎日思いながら過ごしています。
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小池一夫さんの著作ですね。ご紹介いただいたタイトルの本とは異なりますが、2018年頃に小池さんの著作を2冊読んだことがあります。
経験からにじみ出た言葉で、とても勇気付けられた記憶があります。
私は過去に2人の先生に教わったことがありますが、それぞれ1年くらいでやめてしまいました。28歳~35歳の間の頃です。
一人目の先生はスペインに留学された方で、音楽の歌わせ方の上手い方でした。しかし私は当時メンタルがやられていたことと、転勤による移動で通うのが難しくなり、やめました。二人目の先生とは相性が合いませんでした。ある日、予習をしないでレッスンに臨んだことを厳しく咎められ、やめました。当時は仕事が忙しくなったり、壁の薄い公団に住んでいたりなどの事情で練習時間を確保することが難しかったわけです。
自分としては、長く就くのであれば人間的に優れた方にします。こういう方は一緒に過ごして安らぎややる気など、精神的に大きなプラスのものを自然に受け取ることができます。
テクニックやリズムの取り方、音楽の基礎などはスポットでレッスンを受けたいとも思っています。この場合にはあまり先生にはこだわりません。
リズムの取り方など音楽の基礎については音大生が安価なレッスン料で、zoomで教えてくれるところがあるようです。
レッスンの優れた方は、指摘はしても決して「咎めない」と思います。これは仕事上での人間関係でもそうなのですが、不完全を受け入れていない方は、他人を鏡としてその不完全さを咎めます。でもそのことに気が付いていません。
不完全さを受け入れられるようなれれば、多分相手の方に親しみを持てるようになっていけると思っております。