緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

獨協大学マンドリンクラブ第93回(2019年)定期演奏会を聴く

2019-12-14 21:26:06 | マンドリン合奏
今日(14日)、東京代々木上原の古賀政男博物館内けやきホールで開催された、獨協大学マンドリンクラブ第93回(2019年)定期演奏会を聴きに行ってきた。
獨協大学マンドリンクラブの演奏を初めて聴いたのは、5、6年前だったか、50周年記念の現役生、OB・OG合同演奏会だった。
その後3年ほど毎回定期演奏会に聴きに行ったはずだが、今からちょうど2年前、猛烈な咳に襲われて途中で離席せざるを得なかった演奏会を最後に途切れてしまっていた。
今回、プログラムの中に、私が大学3年生の時に他校とのジョイントコンサートで弾いた思い出の、鈴木静一の狂詩曲「海」」と、芥川也寸志の「弦楽のための三楽章トリプティーク」があったので、聴きに行きたいと思ったのである。

今日のコンサートホールである「けやきホール」は意外に小さなホールであったが、以前の定期演奏会で使われた古い公民館のようなホールとは違い、交通の便もよくいいホールだった。
今日の演奏会は、OB・OGの賛助数人を含めても20名程度。
現役生はなんと全部で11名、うち男性1名。少ない。
ベースは賛助であり、パーカションや管楽器は無い。マンドリン・アンサンブルといった構成だ。

さて今日のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部

・ヴェニスの謝肉祭 -変奏幻想曲-  Carlo Munier 作曲
・「ナポリの風景」より第三楽章 入り江を照らす満月  Illiminato Culotta 作曲
・狂詩曲「海」  鈴木静一 作曲

第Ⅱ部(現役部員によるアンサンブル)

・リスボンの恋人たち  湯淺隆 作曲/森本和幸 編曲
・君をのせて  久石譲 作曲/小関利幸 編曲
・戦場のメリークリスマス  坂本龍一 作曲/酒井国作 編曲

第Ⅲ部

・日本風ロンド  Amedeo Amadei 作曲/松本譲 編曲
・乙女の唄  Ugo Bottacchiari 作曲/松本譲 編曲
・弦楽のための三楽章トリプティーク  芥川也寸志 作曲/松本譲 編曲

第Ⅰ部は「海」をテーマにした選曲。
3曲中、2曲がイタリア人作曲家、1曲が日本人作曲家による曲で、その表現の対比を楽しんでもらうために選ばれたという。
驚いたのは獨協大学が鈴木静一の曲を弾いたことだ。
獨協大学は久保田孝系の曲を取り上げることが多かったと記憶しているが、この系統の団体は鈴木静一の曲は取り上げないという暗黙の掟のようなもの(勘繰り過ぎか?)があると思っていたので意外だった。
これを機会にどんどん鈴木静一の曲を取り入れていって欲しい。
やはりイタリアと日本の曲とでは全く感じ方、捉え方が異なる。
両方とも周囲が海に面した国であるが、イタリアはたいていの曲は明るく、陽気だ。そして形式を重んじる。ハーモニーが美しい。
気候のせいなのだろうか。快晴の時に感じるさわやかな感情。
短調に転調しても重苦しさ、陰気さはない。
鈴木静一の「海」は、冒頭はイタリアのような快晴の中を波に揺られるような明るく穏やかな雰囲気を感じるが、その後転調し、セロからギターに引き継がれていくフレーズは日本的だ。
何か物寂しい、哀愁というのか。
その後アチェレランドしていかにも鈴木静一らしいフレーズに移る。
このパターンは他の曲でも頻繁に使われている。
マンドリンソロが挿入されて、前にも増して日本的な「歌」が奏でられる。
日本の「ふるさと」を感じる。これこそ「日本」だ、という歌だ。
昔の日本はこのような歌が生まれる自然や風土、庶民のくらしがあったのだ。
最後は第2主題が再現されて華やかに終わるが、鈴木静一の中規模曲の傑作だと思う。
1925年頃、初期の作品であるが1970年に改作されている。
獨協大学の演奏ではこの狂詩曲「海」の演奏が良かった。
少ない人数であったが、鈴木静一の曲の持つ「力強さ」は表現されていたと思う。

次に第Ⅱ部。
現役生だけのアンサンブルで、ポピュラー曲の編曲ものだ。
ここで今までの認識を全く覆す演奏に出会った。
久石譲の「君にのせて」を聴いていたとき、何か今までと全然、伝わってくるものが違うな、と感じたのである。
その理由が聴いているうちに分かってきたのであるが、第Ⅰ部で指揮者だった女性の方が、コンサートミストレスとしてマンドリンを弾いていたのであるが、この方の演奏から伝わってくるものに物凄いエネルギーを感じたのである。
それはまさに「音楽を表現する喜び」であり、「マンドリンを弾くことが何よりも楽しい!」、という気持ちの表れだった。
それだけでなく、テクニックも素晴らしかった。
獨協大学の過去の演奏会でも、確か3、4年前に聴いたときのコンサートミストレスも素晴らしかったが、今日のこの女性の方も素晴らしかった。
マンドリンアンサンブルでポピュラー音楽の編曲を聴くことはあまり好きではないが、この久石譲の曲は久しぶりに感動した。
きっとメンバーたちにとって思い入れのある、演奏会までのプロセスで起きた様々な気持ちや思いが詰め込まれた演奏だったのだろう。

Ⅲ部の「弦楽のための三楽章トリプティーク」は芥川也寸志の初期作品であるが、名曲中の名曲だ。
極めて完成度の高い曲。
とくに第2楽章の「子守歌」は素晴らしい。日本人にしか生みだせない曲だ。
獨協大学の第1楽章の演奏は良かった。
冒頭からしばらくして現れる、技巧を要するマンドリンソロが挿入されるが、コンサートミストレスの演奏は破綻の無い素晴らしいものだった。
この部分は難しいがゆえに多くの団体は破綻することが多い。
第2楽章の演奏はどうか。
残念ながらハーモニーの濁り、テンポの乱れ、音間違いが散見された。
そして単調に終わってしまったことだ。
この第2楽章をいかに表情豊かに繊細に演奏できるかが大きなポイントだ。
もっと落ち着いて演奏しても良かった。
この楽章はかつての日本、西洋の文化に毒される前の、質素で素朴ではあったが、豊かな自然の中で純粋でひたむきな気持ちで暮らしていたであろう日本の庶民の生活から生まれた感性を表現したものであり、今の時代では生み出すことの出来なくなったものである。
このような繊細な感性を表現することは、現代の若い世代では難しいのかもしれない。
第3楽章は動と静の対比がもっと欲しかった。躍動感も欲しい。
コンミスは頑張っていたが、全体のパワーが足りない。
人数が少ないというハンディはあるが、もっと全体としての総合的なレベルアップが必要だ。

今日、獨協大学の演奏を聴いて新たな発見もあり、来て良かったと思う。
聴き手にとっては、プロにはない、アマチュア、それも学生にしか出せないものを感じたいのである。
それはパッション、すなわち「情熱」と言ってもいいかもしれない。
粗削りであっても、燃え尽きるような情熱、演奏者の体の中心、「核」となる部分から放射されるものを感じたいのである。
そして演奏する喜び、マンドリンを弾くことが楽しくでしょうがない、といったものを出して欲しいのだ。
あと細かいことではあるが、もっと指揮者を見てはどうか。
コンミス以外の殆どの方が終始下を見て弾いていたのは残念。
指揮者とのコミュニケーション、心の疎通は非常に重要だ。

ちょっと辛口の感想となってしまい申し訳ない気持ちであるが、正直に感じたことを書かせてもらった。
しかし、今日の演奏会は楽しかった。
久しぶりに心が高揚した。
どうもありがとう、聴きに来てよかった、と言いたい。








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