緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

イエペス9回目来日公演時のインタビュー番組を見た

2021-10-24 21:52:04 | ギター
先日、ナルシソ・イエペスが9回目の来日公演を行った際に収録されたインタービュー番組の録画をたまたまYoutubeで見つけた。
このYoutubeの投稿は2018年にされたものであったが、再生回数は意外に少なく、あまり知られていなかったようだ。
偶然ではあるが、昨日、同じ番組の録画をYoutubeの別のチャンネルからも投稿されているのを見つけた。
昨日見つけた投稿の方を下記にリンクを貼り付けさせていただく。

ナルシソ・イエペス来日インタビュー Entrevista a Narciso Yepes en Japón | Yepes plays and explains his guitar in Japan


9回目の公演というと1984年であろうか。
実はこの時にイエペスは札幌まで来て、厚生年金会館ホールで演奏しており、当時大学3年生だった私は初めてイエペスの生演奏に触れたのである。



この時のことはよく憶えている。秋が深まり、寒くなってきた10月下旬の頃であった。
マンドリン・クラブの練習が終った後、先輩(4年生で元部長のAさん)の車(ホンダ、プレリュード)に同じく4年生の先輩(元ギタートップのMさん)と同期のM(当時の正指揮者)といいしょに同乗し、厚生年金会館ホールまで行ったのだ。

その時のプログラムやちらしは今でも保管してあるが、印象に残っている演奏曲はソルの「魔笛の主題による変奏曲」。この演奏は圧巻だった。
帰りにファミリーレストランに立ち寄って食事をし、車の中で松田聖子の引退の話などしていたのが思い出される。

今回Youtubeで見たインタビュー番組、実は全部ではないけど、一部分だけ見ていた記憶がある。
見たのは1980年代半ば頃の大学生の時で、見たのは実家にいた時だった。
たしか丁度トイレに入っていたときに、放映されていたはずだ。
とくに印象に残っていたのは、あの映画「禁じられた遊び」のテーマ曲、「愛のロマンス」の作者についてのエピソードをイエペスが言及した部分で、その時の記憶では私は、イエペスが9歳の時の誕生日(または9歳の時に母親の誕生日)にイエペスが母親にプレゼントした曲、というように憶えていたが、今回のビデオを見ると、「実は、7歳の時に母にプレゼントした曲」となっていた。

大学生の時、既にこの作品はアントニオ・ルビーラというスペイン人の作曲家兼ギタリストの作品の可能性が高いことを、現代ギター臨時増刊「名曲演奏の手引き Part 1」での浜田滋郎氏の解説で知っていたので、このイエペスの発言に大いに驚かせられたのである。



Youtubeでのインタビューでは、イエペスは「私が作曲した」とは明言していないものの、前後の発言内容からしても彼自身が作曲したように聞き手に思わせるに足る発言となっている。

結局この曲の作者は誰なのかということについて、過去に残された手書き譜や出版譜などを検証し、アントニオ・ルビーラであると結論付けたいきさつが詳しく書かれている書物があるので興味がある方は読まれることをお勧めしたい(手塚健旨著、「ギター名曲ミステリー」、現代ギター社)。



ただ、この曲の作者がアントニオ・ルビーラだったとしても、この「愛のロマンス」の演奏や録音で作曲者名を今さらアントニオ・ルビーラとする演奏家は殆どいないようだ。
何故ならば、この曲は映画「禁じられた遊び」でのイエペスのあの素晴らしい演奏が無ければ、殆ど陽の目を見ることなく埋もれたままの曲となっていたに違いないからだ。
それほどイエペスが弾くこの曲の演奏が、世界中の人々に感動を与え、強いインパクトを与えたことはゆるぎのない事実である。この意味でのイエペスの功績は高く評価されてしかるべきであろう。
「禁じられた遊び」=「イエペスの弾く作者不詳のスペイン民謡、愛のロマンス」という関係が絶対的に定着してしまった以上、この曲の原曲の作者がアントニオ・ルビーラというスペイン人であるという事実は多くの人々にとってはもはや殆ど重要ではない、ということであろうか。

あとこのインタビューでのイエペスの発言で印象に残ったことを書いておきたい。

まずは、イエペスの師である作曲家ビセンテ・アセンシオとの出会いについての部分であるが、「ある会合でアセンシオと会ったとき、この人は私の先生だとピンときました。何故だか彼が私が必要としていた人だと感じました。芸術家というものはときに壁に直面するのですが、そういう時に適切な師を選ぶということが大変に重要なのです。つまりその時自分が必要としている扉を叩かなけばなりません。ちょうどその時まさに私は叩くべき扉をたたいたのです」という発言。

ここで注目すべきは、イエペスがギタリストを師にしたのではなく、作曲家を師にしたということだ。
イエペスはあのジョルジュ・エネスコやワルター・ギーゼキングといった巨匠の門も叩いたと言われている。
これはテクニックは自分で研鑽を積み、音楽についてはギター以外のジャンルの音楽家を求めたということだろう。
私ももし機会が得られるならば、例えばピアニストから特定の曲についてレッスンを受けたいと思っている。

次に新人の音楽家がコンサートを開くときの準備方法と心構えについての部分(模擬コンサートの実践)。
「仮コンサートを土曜日の6時半頃に行った方が良いでしょう。ちゃんと正装のときのような襟のきつめのシャツを着て、きつめの靴を履いて、照明を四方から強く当てて、マイクやテープレコーダーもセットしておく。自宅の中で、一人でもいいが、家族がいればなおいい。とにかく誰でもいいから前に座ってもらって、自分は出てきてあいさつして、たくさんのお客さんがいるなかでラジオの放送でもしているつもりで、本番と同じような環境にいることをイメージしなければなりません。最初から最後までコンサートの一連の流れを途中でやめてはなりません。そしてそれを録音するのです。録音されたものをその日に聴いてはなりません。絶対にいけません。聴くのは次の日です。次の日になってから注意深く聴くのです。自分以外の第3者が聴いていると思って、聴くのです。絶対に、けっしてひいきしてはなりません。厳しく正確に聴くことです。このことで大きく進歩することが出来るはずです。何故ならばこの仮のコンサートの度にいくつかの問題点が見つかるはずだからです。それが見つかったらその週はずっとその問題点の解消を心がけるのです。そして次の土曜日には次のコンサートをするのです。この練習をすることによって3か月後は、きっと見違えるほど上達して素晴らしいコンサートになると思います。」

次に10弦ギターを必要とした考え方について。
6弦ギターでは全ての音に対し倍音が得られないことに対し不満をもっていた。この不満を解消するために10弦ギターを開発したと。
10弦ギターを開発したのがホセ・ラミレスⅢ世かイエペスか、ということについては長年あいまいであったが、1990年代にホセ・ラミレスⅢ世が自ら書いた著作「Things about the Guitar」での「10弦ギター」の項で明らかにされた。



この著作によるとラミレスがギターの豊かな音を得る執念から、ヴィオラ・ダモーレを研究し、その独自の、内側に同数の共鳴弦を有する構造をギターにも応用しようと、ギターの内部にブリッジを設置し6本の弦を固定するとともに中空のネックを経由してヘッドの追加された糸巻きで調律する楽器を試作した。
ラミレスはこの試作品をまずセゴビアに見せたところ、彼はとても熱狂したが同時に内部の共鳴弦が鳴りやまないという大きな問題点を指摘した。
次にラミレスはイエペスにこの試作品を見せ、イエペスも熱狂したが、共鳴弦が鳴りっぱなしになるという問題点については、遠隔で操作できる装置をギター内部に入れることを提案した。
しばらくして、イエペスからラミレスに電話があり、こう言ったという。
「内部弦のことは忘れてくれ。外側の通常の6本の弦に、更に4本の弦を加え、それを私が研究したある方法で調弦すれば、内部弦を備えたときと同じ共鳴とハーモニーの補償が得られるはずだ。しかも、特別な技術を使わずに、右手でいつでも消音できるという利点を持っている」と。
そしてラミレスはイエペスの言うこの構造を持ったギターをすぐに設計し、製作してイエペスに見せたという。
ラミレスが出来上がった10弦ギターをイエペスに見せた時、イエペスの試奏はまるでギターの1年生かそれ以下のひどいレベルだったという。
「しばらくたって、彼は天を仰いだ。私は、彼が侮辱の言葉を吐くのではないかと恐れたが、彼はそうしなかった。そうしてこう言った。「何という素晴らしい困難にのめり込んだものだ!」」

この10弦ギターの試作は1960年頃だと思われる。イエペスは1964年からコンサートで10弦ギターを使うようになったという記録がある。
以上のラミレスの著作の内容からすると、10弦ギターが生れるきっかけを作ったのがラミレスで、ラミレスの試作品の問題を解決すべく、現在の10弦ギターの構造と調弦法を発案したのがイエペスになる、ということのように思える。

最後に、楽譜通りの忠実で正確な演奏と、ミスがあっても感情、情熱的な部分が感じられる感動を与える演奏のどちらをとるか、について。

「正確に演奏するだけでは何の価値もない。それはスポーツのようなもので芸術ではありません。演奏するということは、楽譜に書いていないものを表現することです。本当の音楽は楽譜に書かれているものではありません。練習で得られるものでもありません。しかしそれでも練習が無意味というわけではありません。練習することによってテクニックを忘れることができるのです。舌を使ってしゃべることが出来るのと同じように、指がギターを弾くように用意されているわけでありません。しかしギターだってしゃべるのと同じくらい自然に出来るようになれるのです。そうなればテクニックを忘れて本当に音楽を奏でることができるのです。」

音楽とは、大衆音楽であろうと無調の難解な現代音楽であろうと、必ず根源的には作った人の生の感情、考え方、価値観、人生観、観念、想念、知識といったものが元になっている。
楽譜に記載された情報からは、そのような要素のごく限られたものしか読み取れない。
楽譜に記載されたことを忠実に正確に表現することが全てで重要だとする考え方での演奏は、上手くても非常に中身の薄い、何にも伝わってくるものが無いものに違いない(実のところ、昨今の演奏家の演奏はこのようなものが多いように思う)。
楽譜に記載されていないもの、すなわちイエペスが言う「本当の音楽は楽譜に書かれているものではありません」と言っているものを読み取って、感じ取って、理解して、同化する、という作業が出きるか否かが演奏家にとって最も重要なことだと思う。
だから演奏家は、音楽だけなく、音楽以外の芸術に対する理解、人間の感情に対する感受性の鋭さを得ること、そのために深く幅広い人生体験をすることが求められるのだと思うのである。
聴き手の眠れる魂を揺さぶり、根源的な感情を深いところから湧き上がらせることを可能とする作品、とそれを実現可能とする演奏家との出会いによって、聴き手はわずかな時間のなかで、非日常の空間において、一生忘れ得ぬ、凝縮された至福体験を得ることができるのだと思う。
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