緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

久しぶりにラ・グリマ弾いた

2024-06-29 23:47:34 | ギター
久しぶりにラグリマを弾いてみた。
シンプルだけど美しい曲だけに弾くのは意外に難しいのでは。

あまり意識的な抑揚やテンポの変化を付けず、最後だけを除いてイン・テンポで淡々と弾く。だけど音の純度が高く、心に食い込んでくるような単音で表現するのが自分のこの曲に対する理想のスタイルかな。


久しぶりにラ・グリマ弾いた 2024年6月29日夜 元フレット浮き楽器にて もう少しフレーズ間に余裕を持たせた方がよかったかな
コメント

心理職に求められるもの

2024-06-29 20:46:24 | 心理
私が初めてカウンセリングを受けた今から35年前には、心理職に関わる国家資格というものは一切なかった。
民間資格ではあるが「臨床心理士」の資格が出来たのはその5年後くらいだったと思う。
心理療法というのは、医療など国家資格を有する者ものが行える独占業務でないことから、素人の方でも簡単に看板を掲げて営業することが出来たのである。
35年前の当時、心理療法というと、カール・ロジャース派の来談者中心方法か、いかがわしい催眠療法しかなかったと記憶している。

ロジャース派の来談者中心方法は、カウンセラーの人間性、人間力に依るところが大きく、クライアントの心に深く踏み込んでいける能力に乏しいと、表面的な会話に終始し、問題が解決されずに延々と回を重ね、時間とお金を浪費していく。
私の経験ではこの能力が十分に備わっていない、未熟なカウンセラーが少なからずいた。殆ど全てと言っていい。
心に深刻なダメージを受けたクライアントに対し、来談者中心方法(傾聴中心の非指示的療法)が有効だという話は殆ど聞いたことはない。
傾聴による受容は重要ではあるが、何かが足りないということだ。

「心の苦しみ」はさまざまなものであると思うが、おおざっぱに集約すると、「マイナス感情が恒常的に心に起きることによる苦しみ」ではないかと思う。
マイナス感情とは、怒り、憎しみ、恐怖、不安、悲しみ、孤独感、絶望感、強迫感、劣等感、不信感、不満などである。
これらの感情が、24時間常に、強く発生しているとしたら、ものすごく苦しいのではないだろうか。
しかし心に深刻なダメージを受けている人は、例外なく、自分ではどうすることも出来ないこのようなマイナス感情に日常、常に苦しめられていると言える。
そこで、人はこの苦しみから逃れるために、ある人は犯罪に手を染め、人の大切なものを奪うことで怒り、憎しみなどの感情を解放しようとし、また別の人は麻薬やアルコール、ギャンブルに依存することで不安や孤独感、喪失感を癒そうとし、またパワハラ、モラハラ、カスハラ、DV、いじめ、誹謗中傷などで劣等感などの不快感情を解消しようとする。
しかしまた一方である人は、どうすることも出来ないこの苦しみを抱えながら、誰にも言えずに耐えながら不幸な人生を歩み、早死にしたり自殺したりする人がいる。
これらの人たちの前者の人たちとの大きな違いは、ついに「良心」を捨てきれなかったということである。
自分がどんなにボロボロになっても、死んでも「良心」だけは守りとうそうとした人たちなのである。しかも意識せずにである。

私は「心理職」という職業は、このような人々のためにあるべきではないかと思う。
しかしそのためには来談者中心方法には無い、何か有効な方法が必要だ。
傾聴による「受容」だけでは解決できない何かがある。

心の苦しみは、幼少期から青年期にかけての壮絶なトラウマ体験での記憶情報、心に深い傷を負う体験に対する「認知(=受け止め方、解釈)」とそれに結び付いたマイナス感情により起きていると、私は自らの体験で感じている。
やっかいなことにこの記憶情報は無意識の深いところに沈みこんでおり、自動回路のように反応し、マイナス感情が起きるように強固にプログラミンされているということだ。
この「負」のメカニズムが潜在意識で起きていることに自らが気付かなければ、死ぬまで永遠にこの自動プログラムに苦しめられ続けるのである。
来談者中心方法が難しいのは、この自動プログラムに気づかせることが出来ないのと、この自動プログラムを破壊、停止させることが出来ないことにあると思う。

しかし、来談者中心方法が最も優れていることは、心に厚い鋼鉄の壁を築いているクライアントに対し、その壁に穴を開けることを手助けすることが出来る可能性が高いという点にある。
心に厚い鋼鉄の壁を築いている人に対し、壁を破壊するということは容易ではないだろう。ものすごく難しいことだと思う。
しかし、これを可能にすることことが出来る人はどんな人であろうか。
恐らく、純粋に根源的な優しさを持った人ではないだろうか。
利害、野心、功名心といったものを克服、超越した人、人間だれしもが生まれながらに持っていると言われる、根源的な優しさを発見し、それを実行できる強さを持った人ではないかと思う。
このような人は、別に心理職でなくても、人の心の奥深くに愛情のエネルギーを突き刺すことが出来る。
どんなに硬い、暑い壁であっても、ひびを入らせ、削り取り薄くすることが出来る。
それにより心を閉ざした人も少しずつ少しずつ人に対する見方が変わってくる。ひびが入り薄くなった壁に自らの努力で穴を開けていけるようになる。

何か月か前に、少年犯罪で初の死刑を受けた受刑者に対し接見した弁護士が、その死刑囚の印象として「凍てついた氷の鎧を身にまとって、必死に自分を守ろうとしている」という言い方をしているのをテレビで聞いたことがあった。その死刑囚ももし、純粋に心優しい人が放つ強いエネルギーを受けて、氷の鎧が少しでも溶かされたならば、人生をいい方向に向けることが出来たかもしれない。

心理療法で必要なもう一つの重要な側面はここにあると思う。
真剣勝負で臨まないとクライアントの苦しみに変化をもたらすことは出来ない。だから心理職というのは大変な仕事なのだ。
昨今、ひとりひとりのクライアントに向き合うことを避け、多人数から多くの収入を得ようとする手法を採用した心理ビジネスと言われる商売が台頭してきているが、このようなもので心の苦しみの本質的解決は望めないのではないかと思っている(実際に受けた経験あり)。

「臨床心理士」という資格があるが、資格を取るためには心理学科のある大学院卒業が必要となる。資格を取るのに医者と同程度の努力が必要なのに、何と平均年収は420万円だそうだ。
最大の要因は、心理職としてこの資格を持たない素人でも営業可能であるからであろう。
また、心理療法がこれをやれば確実に心の病や心の苦しみが解決されるという確実性のあるものに乏しいからである。行ってみれば確実性のある療法が確立していないからだ。

しかし、この分野をもっと有効ならしめるためにも、有効で確実な療法の確立とそれを実行できる能力の資格化が必要と思う。
ビジネス目的の商売や、確実解決の自信もない療法家にひっかかって、無駄な時間とお金を浪費しないためにも。
コメント