緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

演奏時のあがり・緊張についての考察

2023-07-21 22:44:22 | 心理
先日出演した母校マンドリンクラブの55周年記念演奏会は意外にも何故か殆ど緊張やあがることなく演奏することができた。
2018年にマンドリンオーケストラを再開してから、あがったり緊張せずに、普段の練習のとおりに演奏できたことなど無かった。
だから演奏会が終わった後には、たいてい何とも言えない「無念さ」のような感情を感じていた。
あれほど練習に練習を重ねて本番を迎えたのに、何故、緊張して思うように弾けなかったのか、というくやしさの気持ちは正直、拭い去ることは出来なかった。

本番であがってしまう、過度に緊張してしまう原因は一体何であろうか。
考えつくものをあげてみた。

・過去に、とくに幼少期や少年時代に、人前で何かを披露したり発表した際に、失敗したことがきかっけに、周囲の人から笑われたり、落胆されたり、責められたりした体験をいくつか経験しており、その体験がトラウマ(心的外傷)となり、大人になっても同じような状況下で過去のトラウマ体験で経験した恐怖などのマイナス感情が再現される。

・人前での演奏やスピーチに高い価値を置いている。すなわちそれらの行為は自分にとって特別なものであり、高い価値を感じており、それがゆえに人から認められたい、成功して高く評価されたいという意識が強いがために、絶対に失敗してはならないというプレッシャーを自らかけることにより、恐怖感情が極度に高い緊張状態を作り出し、震え、発汗、呼吸困難、ど忘れ、意識が飛ぶなどの現象を引き起こす。

・観客など、自分が披露する対象の人間を「敵」、あるいは「裁判官」だと感じている。成功すれば認めてくれるが、失敗したら許されない、という認識を人間全般に対して抱いている。
周囲の人間を受容的な「味方」だと感じられない。

いずれにしても、上記のような心理状態で演奏やスピーチなどを行っても、観客を満足させることは不可能であろう。
演奏者や発表者の心の中は、これらの辛いマイナス感情との戦いに占められており、観客と喜びを分かち合うといった本来の有り方から大きく逸脱した状態になっており、いわば地獄のさ中に身を置いているようなものである。

私は今年の1月まで約半年間、あがり症解決のための講習を受けていたが、受講生の中には経営者や上級管理職、営業職など比較的、世間で言うところの高い地位や人間相手の職業に就いておられる方が少なからずいた。
彼らは講習の中では私よりもはるかにスピーチが上手であった(私が下手すぎるということともあるが。どもり+震え声+声が出にくい+人の声がよく聞こえない症です)。
しかし彼らはいざ人前でスピーチをする際に、意識ではコントロール不能な極度に高い緊張状態に入り込み、意図していた内容の殆どを話すことが出来なくなるのだという。

私は彼らを見ていて感じたのであるが、彼らは恐らく高い確率で幼少期などでトラウマ体験を経験しているのではないかということだった。これはあくまで直感であるが、そのような感じがしたのである。
あとは妙に、スピーチなどで成功することを求めているということであった。
裏を返せば、自分を人々から認めて欲しいという気持ちが人一倍強いのではないかということであった。
これは私にも充分当てはまることであった。
何故ならば、私も同様に、ギター演奏を人々から認めて欲しい、評価して欲しいという気持ちが強いからだったからだ。

これから、対人恐怖を初めとする恐怖症の解決方法の研究とともに、演奏時のあがり症や過度の緊張に対する解決方法に取り組んでいくことにした。
自分の現在の心境としては、必ず何らかの解決方法が見出せるのではないかという感触を江ている。不定期ではあるがそのプロセスを記事にしていこうと思う。
コメント