緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

クラウディオ・アラウ演奏 シューベルト作曲「即興曲Op.90 D899 No.3」を聴く

2023-07-01 22:16:56 | ピアノ
今日の日中は7月16日に開催される母校マンドリンクラブ55周年記念演奏会のための練習に殆どの時間を費やす。
以前にも記事にしたが、今回の演奏曲目の中で、ギターパートは極めて難しいが、弾いていて何とも言えない至福感、高揚感、心の深いところから湧き出てくるような感情を感じられる曲に巡り合えた。
その曲は、シューベルト作曲「即興曲Op.90 D899 No.3」である。

この曲に初めて出会ったのが10年以上前であるが、マリヤ・グリンベルクの弾く晩年のライブ録音だったと思う。
その時はあまり印象に残らなかったが、今回、この曲のマンドリン・オーケストラ版(編曲は今回の指揮者と前回の50周年記念演奏会の時のコンマスの方)の練習を重ねていくうちにすっかり惹きこまれてしまったのである。

5月中旬から本格練習を開始してからこの曲を何回弾いただろうか。
何回弾いても大きな感動に包まれる。

先日記事の中でこの曲のオリジナルであるピアノ独奏をホロヴィッツのライブ演奏で紹介したが、今日、別の演奏で素晴らしい演奏を見つけた。
クラウディオ・アラウのステレオ録音だ。
アラウの演奏は旋律部と伴奏部の対比が際立っているが、両者が単に浮き出ているのではなく、またそれぞれが必要とされている表現が意図されて表出されるのでもなく、あたかも人間の自然な感情のように流れていくような演奏なのだ。それも意識上と意識下(潜在意識)の領域、双方においてである。

他のピアニストの演奏もいくつか聴いてみたが、伴奏部を抑制して旋律部を浮きだたせる演奏が多いように感じた。
伴奏部を気を付けて聴いてみると、トリルなどで結構不気味で暗い影を感じさせる部分がいくつかある。
旋律部で極めて美しい音楽が流れているその一方で、暗い影が潜在的にかかっているような感じがするのである。
思い出されるのはシューベルトの最後のピアノ曲である「ピアノソナタ第21番 D960」の第1楽章のあの不気味なトリルである。
穏やかで美しく優しいフレーズの合間に挿入されるあのトリルである。
だから演奏家によってはこの部分を無意識的に避けているように思われるのである。

ベートーヴェンのピアノソナタの中でのある曲で似たようなものを感じる曲があるが、この伴奏部が無ければこの即興曲の価値はそれほど高まることはなかったであろう。
しかし、何という深い曲なのだろう。
ここまで複雑な人間心理を音楽に出来る作曲家は、ピアノではベートーヴェン、シューベルトとフォーレしかいないのでは。

アラウのこの曲の塩素は恐らく最上位に位置するものだと思う。
聴いていてものすごく強い感情が湧き出てくる。

Claudio Arrau: Schubert - Impromptu No. 3 in G flat Op. 90


【追記(20230701)】
この曲、ものすごい浄化作用があります。
心が曇っているいるとき、何か辛いことがあったとき、寂しいと感じるとき、悲しいことがあったとき、是非聴いて欲しいです。
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