緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

太田キシュ道子 ピアノリサイタルを聴く

2017-06-11 20:48:08 | ピアノ
昨日(6月10日)、千葉県千葉市美浜文化ホールで「太田キシュ道子 ピアノリサイタル」が開催され、聴きに行ってきた。
久しぶりに土日連続で休めそうなので、何かコンサートをやっていないか探していたら、先日記事で取り上げたシューベルトの「水車屋と小川(Der Muller und der Bach)」と「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」を演奏曲目にしているコンサートが見つかった。
このコンサートが「太田キシュ道子 ピアノリサイタル」であった。
私はこのリストが編曲したシューベルトの歌曲が好きであり、またこの曲以外の演奏曲目も本格的な魅力のある曲だったので、場所は遠かったが聴きに行くことにしたのである。

千葉市美浜文化ホールは東京駅から京葉線に乗り換え、快速で30分程の検見川浜という駅の近くにある。駅の周辺は巨大なマンションが立ち並び、私にとっては異様な景観に見えた。
ホールは小さく、サロンに近いスペースであったが、ピアノの響きは抜群であった。
私はピアノから10mも離れていない所に座ったが、今日のピアノの音は、今まで生で聴いた音の中では最高だった。
大きなホールで漠然した音で聴くより、小さな音響の優れたホールで近くで聴いた方がはるかに演奏を楽しめることを、今日の演奏会で実感した。これは大きな収穫だ。

太田キシュ道子氏は、4歳よりピアノを始め、ドイツに留学。ミュンヘン国立音楽大学大学院でゲルハルト・オピッツの指導を受け、1998年にパリのU.F.A.M.国際コンクールで第2位を獲得。現在はドイツ、ミュンヘンに在住し、ヨーロッパ各地で活躍されているそうだ。
今回は日本へ一時帰国し、日本でのコンサートを持つことになったのである。

当夜のプログラムは以下のとおり。

ショパン作曲 

・バラード 第1番ト短調 作品23
・バラード 第2番ヘ長調 作品38
・バラード 第3番イ長調 作品47
・バラード 第4番ヘ短調 作品52

ブラームス作曲

・2つのラプソディ 第1番ロ短調 第2番ト短調

シューベルト作曲 リスト編曲

「美しき水車小屋の娘」D.795より
・「水車職人と小川」
・「水の上で歌う」

「白鳥の歌」D.957より
・「影法師」
・「アトラス」

最初のショパンのバラードは難曲だ。1番から4番まで弾き通すのは相当の技量と体力を要する。
第1番で初めて彼女の音に触れた。
高音が美しい。重い芯のある音。陰鬱な旋律が次第に激しさ増す。
長調に転調したあとの、東欧らしい、夕暮れ時の雄大な景色を想像させる旋律の歌い方、その後の和音の力強さは並のピアニストではないとまずは感じた。
ショパンの感情の激しさを表すかのような難しいパッセージも破綻がない。
最後の上昇音階も凄かった。

第2番はおだやかな出だしで始まった。
街角の家の窓から聴こえるくるような音楽だ。
その後、突然、激しい感情の嵐のような音楽に変化する。しかし再び冒頭の穏やかな音楽が再現される。
ショパンの音楽を聴くと、穏やかさと激しさ、明るさと不安とが頻繁に交錯し、聴く側もかなり神経を消耗させられる。
特にこの4曲のバラードは感情の激しさが際立っている。
この感情の激しい部分は、超絶技巧を要し、プロのピアニストでも生演奏で破綻なく弾き切ることは難しい。しかし今日の太田キシュ道子氏の技巧は常に安定しており、また力強い音であった。

第3番も長調でおだやかな曲で始まる。途中から舞曲風の音楽に転じる。私はスペイン作曲家の曲で以前どこかで聴いたようなフレーズを思い出した。
しかし、左手でアルペジオを奏でながら、右手で激しく和音をよく叩くことが出来ると思う。
ギター愛好家の私からすると、その技巧の難しさにとても圧倒される。

第4番も同様に明るいおだやかな曲で始まる。
しかしすぐにあの有名な憂鬱な旋律が流れる。ショパンという人物が感受性が強く悩み多き人であったことがすぐに分かる音楽だ。
太田キシュ道子氏のこの旋律の音は、やさしく、やわらかく、かつ音の下に悲しさを秘めていると感じた。
バラードの中ではこの4番が一番好きだ。陰鬱で暗い表現と明るく激しい感情とが見事に織り重なり、交錯する変化に富んだピアノの名曲である。
太田キシュ道子氏の演奏はこの感情的対比を安定した技巧に支えられて見事に表現していた。

15分間の休憩のあと、プログラムはブラームスのピアノ曲に移る。
2つのラプソディ 第1番ロ短調と第2番ト短調は初めて聴く曲だ。
第1番の低音の底から響いてくる音が凄い。この曲もショパンと同様難曲だ。
低音の和音が力強く、重厚だ。私がいつもピアノで求めている音。
多くの録音で聴いてきたが、この低音の重厚な音を出せるピアニストはなかなかいない。
ブラームスのピアノ曲には後期の晩年に書かれた曲にいいものがあるが、この曲もなかなかの曲だ。

第2番も重厚な強い低音の和音と短調の旋律との対比とが印象的な曲だ。
ブラームスの曲の中でもあまり演奏されることのない通好みの音楽だと思った。

プログラムの最後は、リストがピアノのために編曲したシューベルトの歌曲集より4曲。
太田キシュ道子氏の解説によると、このリストによるピアノ曲への編曲は、「シュベールトへの冒涜」だと批判されたという。
「一聴しただけでは技巧の誇示とも取られかねない難しい演奏技巧が見られる事が主な理由だったようです。けれどもこの華やかな編曲は、リスト自身の演奏技巧の誇示やショーピースとしての外面的効果の為に行われたのではありません」と彼女は言っているが、私も全く同感だ。
旧ソ連のピアニスト、マリヤ・グリンベルクの死の前年に行われた演奏会のライブ演奏の録音を聴いて、とりわけ「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」に感銘を受け、この曲のとりこになったが、リストの編曲はこの歌の持つ魅力を更に引き出したものと確信する。

1曲目は「水車職人と小川」であるが、この曲は丁度1週間前の記事でアンドレイ・ニコルスキーの録音で紹介していた。
太田キシュ道子氏の今日の演奏は、ゆっくりとしたテンポで始まる。旋律の持つ感情をかみしめるような演奏。しかし何とも悲しい歌だ。
長調に転じた後は非常に美しい音楽が流れる。ここで気付いたが、左手の伴奏と右手の旋律をかみ合わせるのが非常に難しい曲であることが分かった。こんなシンプルに聴こえる曲でも高度な編曲をしていることに驚く。
本当に感情を刺激される曲だ。

2曲目は「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」。
この曲もとても悲しい曲。でも素晴らしい曲。感情を強く刺激される曲。
この曲も左手の伴奏と右手の旋律のかみ合わせが非常に難解で超絶技巧を要する曲。微妙な不協和音も垣間見せる。
太田キシュ道子氏の旋律の歌わせ方が素晴らしい。やわらかく、やさしく、しかし強く情熱的。
曲は次第に徐々に速く、強くなっていくが、ものすごく難しい曲だ。

3曲目の「影法師」は重々しい低音の和音と旋律で始まる。
ハイネの詩に霊感を得て作曲されたとのこと。低音の和音が力強い重厚で、神秘的。最後は宗教的な感じの終わり方だった。

4曲目の「アトラス」は激しい和音とアルペジオとが交錯する難しい曲。
途中リズミカルな展開になり、激しさを増していくが、太田キシュ道子氏の演奏は力強く全身で曲の持つ魅力を出し切っていた。

全てのプログラムを終えてからアンコールを2曲演奏してくれた。
曲目は聞き逃してしまった。いつか分かったら追記しておきたい。

彼女の演奏の魅力は、何といっても高音のやわらかさと、低音の力強さ、重厚さである。そして感情的情熱である。
今回のリサイタルのプログラムに「今回のプログラムのテーマは音楽の原点である「歌」です」と書かれていたが、私は今回の彼女の演奏に「歌」を十二分に感じることができた。
とくに高音の歌わせ方は素晴らしい。歌うということは、人間の心の深いところから出てくる感情が理解できていないと出来るものではないし、相応の人生体験を経ていなければ実現できるものではない。「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)」の「歌」を表現できる演奏家がどれだけいるであろうか。
加えて彼女の魅力は、力強い重厚な低音である。
ピアノでこのような低音を出せるピアニストは少ない。
力強いといっても彼女の場合、力みや硬さが全くない。何故ならば彼女は演奏を通して「歌」を歌っているからに違いない。
「歌」は人間の素直な感情そのものであり、意思や意識というものが入り込む余地がないからである。
意思や意識が入りこむと、演奏が硬くなるし、聴き手は意識していなくてもそれを無意識に感じ取る。

彼女は演奏しているときは完全に曲に集中、没頭している。
まるで作曲家と感情交流しているように見えた。

太田キシュ道子氏の情報は意外に少ない。
Youtubeでは、シューマンの交響的練習曲のライブ録音が1つあるのみだった。
ドイツを拠点にヨーロッパで活動しているからであろう。
知られていないが実力者であることには間違いない。
長い間、厳しい研鑽を積んできたこと、音楽に対する感性を磨いてきたことを演奏を聴いて十分に感じ取ることができた。
会場で売られていた彼女のCDを買っておいてよかった。武満徹の「雨の樹 素描」やプゾーニ編曲のバッハの曲などが収録されている。

今回は身近な距離でピアノの素晴らしさを堪能できた。自分にとっては大変な収穫である。
今度はいつ日本に帰国するのであろうか。次のコンサートも聴きにいきたい。


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