緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

フェデリコ・モンポウ作曲 内なる印象より「悲しい鳥」を聴く

2016-09-18 22:49:14 | ピアノ
フェデリコ・モンポウ(Frederic Mompou 1893-1987)を知ったのは、セゴビアの弾く「コンポステラ組曲」やイエペスの弾く「歌と踊り第13番」を聴いてからであるが、今から20年ほど前にモンポウの自作自演のピアノ曲集を買って彼の本領であるピアノ曲の全曲を聴いた。
この曲集の中でひときわ感動したのが、歌と踊り第2番と内なる印象より第5番「悲しい鳥」(Impresiones intimas Pajaro triste)であった。
この2曲はモンポウ自身の演奏で、何度も何度も聴いた。
歌と踊り第2番は以前紹介したので、「悲しい鳥」を紹介させていただく。

このピアノの組曲、「内なる印象」は1911年から1914年に作曲されたとのことだ。
モンポウが18から21歳にかけての頃であり、シンプルでありながら、非常に繊細な内容を持つ曲である。
20歳前後でこれだけのピアノ曲を作れることにまず驚くが、音に対する感受性の強い、また独特の詩的な表現に惹かれる。

組曲9曲の中で最も好きなのは「悲しい鳥」である。
モンポウは鳥を何故悲しいと思ったのか。
曲には悲痛な悲しみは無い。
しかし何か、持続的な、運命的なものにたいしての哀れさ、どうすることもできないものに対する悲しみ、はかなさのようなものを感じる。

ピアノの音ひとつひとつに何か強い気持ち、メッセージが感じられる。
外側の表面的なものをいくら華やかに見栄えのいいものにしても、その時限りのものでしかない。
逆に外側は不器用、質素、素朴なものでも、中身は純粋な原石のような輝きに満ちているものもある。

人は外に出るもので判断することが多い。
モンポウは自身の感性に気付き、華やかなものに翻弄されなかった。
モンポウは外を気にせず、自分の内面から湧き出てくるものに正直であったに違いない。
彼の作風を考えるとき、誰の評価や意見にも左右されない徹底した信念のようなものを感じる。

今日の夕方、空高く飛ぶ4羽の鳥を見た。
4羽が一緒にまとまって飛んでいたが、そのうちの1羽が大きく反れて別の方角に飛んで行った。
3羽は何事もなかったように依然と一緒に飛び続けていった。
群れを離れた1羽は一体どこへいこうとしたのか。



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