緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

Nコン 2016年度関東甲信越ブロック大会を聴く

2016-09-04 02:04:50 | 合唱
今日(3日)、埼玉県大宮市のソニックシティホールで2016年度Nコン関東甲信越ブロック大会があり、聴きに行ってきた。
今日は午前中が仕事、前日も仕事で帰りが遅かったためか疲れてはいたが、1年ぶりにNコンの生演奏を聴けるとあって、気持ちはいくらか高揚していた。

このNコンの生演奏もブロック大会や全国大会合わせて今回で5,6回聴いたことになろうか。
合唱好きになって約6年。その間、数多くの高校生の合唱演奏を聴いてきた。
その殆どがコンクールでの演奏であり、コンクールには賞や順位が付きものはあるが、賞や順位の高さに関係なく、幅広く聴いていると、意外にいい演奏に出くわすことがある。

合唱曲の演奏で「いい演奏とは何か」ということを今までずっと考え続けてきた。
今日の生演奏でその答えの一つが分かったような気がする。
その答えとはかなり抽象的で具体性に欠けるが以下のようなことである。
演奏者たちの気持ちがステージで一つとなった瞬間を感じ取れること、勿論これは指導者からコントロールされた統一性というものではなく、演奏者達の自発的な感情から出るものである。
そしてその自発的な感情が一つにまとまった瞬間が、聴き手に「感動」と「何か潜在的な力に導かれた気持ちの共有」を起こさせる。

今日の演奏で印象に残った学校を演奏順に紹介したい。
ちなみに今年の課題曲は「次元」(作詞:朝井リョウ、作曲:三宅悠太)。

〇演奏順2番目:長野県伊那北高等学校
 自由曲:混声合唱のための「どちりなきりしたん」からⅣ
 課題曲は参加校の多くが耳が痛くなるほど力んだ大きな声を出していたのに対して、この学校の演奏は力むことなく自然体の演奏。
女声が柔らかく、優しく繊細な無理のない発声。
「その線が~名前を付けるだけでは」のフレーズで示される徐々に進んでいくクレッシェンドがいい。その次のフレーズもそうだ。
表現の繊細さを出すためには、意図的でない音量のコントロールが必要だ。
曲が必要としていないのに大音量で強調してしまうと、曲の持ち味が生きてこない。
千原英喜作曲の自由曲は、今日の各校の自由曲の中で一番聴き応えがあった。
冒頭の出だしのテノール独唱はグレゴリオ聖歌を思わせる宗教的な雰囲気を感じた。
それでいて日本的情緒も漂う曲だ。
隠れキリシタンの時代をテーマにしているのか。
この曲の演奏も女性の柔らかい、繊細で透明な歌声が素晴らしかった。
この無理をしない、自然な歌い口がいいのだ。
この演奏を聴いて、この曲の持つ主題と同調した流れを感じた。
(一つ課題を言えば男声の音程を正確にしてほしいと思う)

〇演奏順位8番目:東京都府中西高等学校
 自由曲:O Heiland reiβ die Himmel auf(おお 救い主よ、天を開いてください)
この学校も自然体を感じた。高校生らしい演奏だ。
課題曲は音の強弱とスピードの変化に気を使っていたと思う。自分としてはもう少し、小さな音量で繊細な音が欲しかった。しかし全体的にはまとまったいい演奏だと思った。
自由曲は外国人作曲による曲。
今回の参加校に外国の曲を選ぶ学校が半数近くいたのは今までにない傾向。
女声が透明で美しい。伊那北高等学校とは違う要素、例えば聡明さや力強さというものを感じた。
男声パートは音の高低差が大きく、さぞ難しかったに違いない。
女声と男性の掛け合いが特徴の曲。難曲だ。
しかし府中西高等学校はよく頑張っていた。
この高校の演奏はいつまでも聴いていたいと感じていた。
演奏に力みが無いからであろう。
女声に力強さがあったが、耳が痛くなるような大音量では無かった。
これが本当の「強音」というのではないか。

〇演奏順位12番目:山梨県立市川高等学校
 自由曲:O magnum mysterium(おお、大いなる神秘)
課題曲は男声の音量をセーブし、女声を前面に出しているように聴こえたが、かえってこれがバランスよく取れているように感じた。男声の音質はいい。音程も正確だ。
この学校は確か去年も聴いたが、女声の声が透明で美しく、よく伸びる。力まないところもいい。
「神様」、「国会議員」、「先生」、「お母さん」の部分の女声と男声のバランスが絶妙だと思った。
「だから私は想像する」の部分はもう少し音量を落とし、繊細にしても良かったと思う。
音量の変化はかなり十分だと思ったが、音色の変化がもっと欲しかった。
自由曲は外国の曲だった。
女声が美しい。透明で力強くよく伸びる。男声も女声もレベルは高いと思う。
ハーモニーも乱れない。よく調和している。
曲が地味だったからインパクトが薄かったのか。審査員が後で講評で外国曲は不利だから歌うには覚悟が必要だと言っていたが、かなり酷な言い方に聞こえた。
自国でない言葉で、難しい曲をここまで仕上げたプロセスをもっと評価してあげていい。


今回の演奏を聴いて感じたのは、音の繊細さ、変化に欠けていたこと。
終始大音量で聴かされていたら耳も心も痛くなる。一本調子の単調さを感じる。
何故必要以上に大音量を出そうとするのか。
大きな声量が評価の重要なポイントだと考えてのことだと思うが、評価を得るための音量は聴き手に暗に気付かれるものである。
器楽をやる側からすれば、もっと音の強弱、変化、繊細さ、等が欲しいと思った。
1回限りのコンクールではスケールの大きさは聴き手に強いインパクトを与えるかもしれないが、後でCDで何度も録音を聴きたいという気持ちは決して起きない。
CDで何度も聴きたい演奏はこのような演奏とは違う。

このコンクールの審査は毎年、合唱関係者だけで行っているようだが、そのせいか毎年同じ学校が全国大会に選出されてつまらない。
もっと審査員を入れ替えてもいいのではないか。いろいろな角度から評価できる審査方法を望みたい。

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