緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

フェルナンド・ソル 練習曲Op.35-22を聴く

2016-08-06 23:35:33 | ギター
40年前にギターを始めてまもない頃に弾いていた、フェルナンド・ソル作曲「練習曲Op.35-22」を久しぶりに弾き始めた。

フェルナンド・ソル(Fernando Sor 1778 – 1839)のギター曲で好きな曲は、練習曲Op.6-11 ホ短調、「もし私が羊歯だったら」による変奏曲、練習曲Op.29-1 変ロ長調と、この練習曲Op.35-22 ロ短調だ。

ソルのギター曲で最も有名なのは、魔笛の主題による変奏曲と練習曲Op.35-22であるが、この練習曲は一般的に「月光」と呼ばれている。
しかしベートーヴェンのピアノソナタ第14番と同様、この「月光」というタイトルは作曲者自身が付けたものではない。

この曲は練習曲であり、短く簡素でありながら、これ以上ないというほどの完成度の高い曲だ。
簡素で素朴な曲というのは、作曲者の感性が最も現れるもので、作曲者が純粋にどういう人間であるか、知る手がかりにもなる。

ソルは裕福な家庭に生まれたようだが、少年時代に父親が亡くなり、そしてスペインの政治的理由からフランスへの亡命を余儀なくされ、1839年にパリで没するまで2度と祖国へ帰ることはなかったという。

ソルはパリでオペラやバレエ曲なども作曲したが、多くはギター曲である。
ソルの曲は不思議にも、ギター曲のみ作品番号が付けられているとのことだ。

19世紀の時代、ギターは黄金期と言われていたが、クラシック界ではベートーヴェンやシューベルトが活躍した時期と重なる。
恐らく、ギターはあまり関心をもたれなかったに違いない。

セゴビアはタレガよりもソルの方をより高く評価していたが、それはソルがギターを中心にしながらも、ギターという狭い枠にとどまらず音楽活動をし、その経験がギター曲の作風に現れていたからに違いない。
タレガの曲は美しいロマンティックな名曲がいくつかあるが、タレガの曲はあくまでもギタリストが作曲したものにとどまっている。

練習曲Op.35-22はあまりにも有名で、初心者からプロまで膨大な人々が弾く曲であるが、このような曲は理論的なことなど、こまかいことを分析しても意味がない。
単純にこの曲の美しさを感じ取ることがまず大切だと思う。
そして次にこの曲から感じ取れる感情から、作曲者の人生とか、生き方とか、感性を感じ取ってみたい。

メロディラインをアポヤンド奏法で弾いてみる。
この旋律は、単なる月光のような印象的な美しさであろうか。
私はこの旋律に、淋しさと孤独感を感じる。
私が若い頃、いやというほどの孤独を味わった時代の風景と重なる。
古い四畳半の部屋で、自分は何を目的に生きているのかも感じられず、心の中でもがいていた頃が思い出される。

練習曲Op.6-11の前半のホ短調の部分もそうであるが、ソルは一人前の音楽家として認められるまでに、人知れず孤独な忍耐を要する生活を送った日々があるに違いない。
ソルはショパンのように故国を棄て、異国の地で最後は寂しく病死したが、華やかな生活とは無縁だったように思える。

どんな曲でも作った人の、人のなりと感情が裏にある。
この曲は、単に短調のもつ美しさのみで作られたものとは思えない。

この曲の楽譜は、セゴビア編が広く用いられているが、速度指定は原曲と異なる。
私はイエペス編を使用している。
イエペス編の左指の運指は、多くのメロディラインを②弦で指定している。
そして1拍目と3拍目の表の音はアポヤンドを指定している。
このアポヤンドの音を自然な流れで弾くことが求められる。
このアポヤンドの音で、ソルのこの曲を作っていた時の感情を感じとり、表現できるようになるのが目標だ。



その意味でイエペスはドイツ・グラモフォンと契約し、10弦ギターで数々の録音を華々しく世に出していった頃の録音は素晴らしい。
現在のようなアル・アイレだけの平板的な演奏とは根本的にことなる。


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