緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

フォーレ 月の光 を聴く

2014-05-11 22:04:53 | ピアノ
こんにちは。
夜でも部屋の中は少し暑さを感じるくらいの季節がやってきた。
今日、部屋の中で段積みされているCDの中から、10年くらい前に買って、しばらく聴いていなかったCDが出てきた。



ガブリエル・フォーレのピアノ曲の演奏で知られている女流ピアニスト、エンマ・ボワネ(1891~1974)の録音だった。このCDの曲目の中に「月の光 Op.46-2」という曲があったのだが、フォーレのピアノ曲にこんな名前の曲はないはずなので、ジャケットの解説を読むと、フォーレの歌曲であることがわかった。
手持ちの歌曲のCDの中にこの曲がなかったため確認できないが、ピアノ伴奏部をそのまま弾いているのであろうか。しかし聴いてみると独奏曲そのものだ。しかも美しい抒情を湛えた、とてもいい曲だ。
この曲を聴くとフォーレのピアノ曲は短いながらも、さまざまな感情や情景の変化がたくさん凝縮されていることがわかる。同じフランスのピアノ曲でもドビュッシーやラベルが対象を外に向けているのに対し、フォーレは内面に向かっている。
フォーレのピアノ曲は、巨匠と呼ばれるピアニストは殆ど取り上げていない。フォーレと親交のあったコルトーも膨大な録音の中にフォーレのピアノ独奏曲はわずかである。
フォーレのピアノ曲の中には一般受けしないものがある。特に後期の夜想曲などがそうだ。暗く陰鬱で、ひたすら内側の孤独な領域に気持ちが向かっている。しかしフォーレは聴衆に迎合するような作曲をしなかった。
ここがフォーレの素晴らしいところだと思う。
フォーレの生きた時代も20世紀に入ると、音楽はどんどん速いテンポで新しい試みがなされていったが、どんなに周りがそのような流れに勢いづいていようとも、フォーレは自分独自の音楽を通すことに集中した。強い信念だと思う。だからフォーレの後期の曲は一般受けしないけれど、深い聴きごたえがあるのだ。それはドビュッシーやラベルの比ではない。
この月の光はフォーレの40代前半の曲で、初期から中期にかけてに作曲された曲であるから、まだ親しみやすい方である。
スペインの作曲家、フェデリコ・モンポウ(1893~1987)は、フォーレのピアノ五重奏曲Op.89をフォーレ自身が演奏するのを聴いて作曲家を志したと言われている。
モンポウは彼独自の独特な個性あるピアノ曲をたくさん残したが、モンポウがフォーレのピアノ曲に強い影響を受けたことは間違いないと思う。フォーレもモンポウもピアノ曲でソナタのような大作は殆どなく、短い曲ばかりであるが、曲数は多いうえに、外側に見えるものの印象を主題とするよりも、内面の自らの心情に向かった曲づくりに共通性を見出すことができる。
フォーレのピアノ曲を取り上げた演奏家として有名なのは、ジャン・ドワイアン、ジャン・フィリップ・コラール、ジャン・ユボー、ジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンの4人が有名であるが、いずれもフランスのピアニストである。
今回聴いた エンマ・ボワネはフォーレから直接指導を受けるなど、フォーレ直系のピアニストであるが、録音が少ない。SP時代の録音で復刻されたのは、今回のCD(舟歌第1番~第6番を含む)のほか、夜想曲第1番~第7番のCDしか知らない。



ボワネが舟歌や夜想曲の後期の作品を録音したかどうかは不明だが、もしかするとあまり取り上げなかったのかもしれない。だとすると少し残念だ。
ボワネの他にイヴリン・クロシェというフランスの女流ピアニストもフォーレのピアノ作品集を残したが、なかなかの演奏であり最近注目している。
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