世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

祖母の命日

2016年04月14日 23時58分08秒 | Weblog
今日は父方の祖母の命日だ。
8年前の今日、祖母は他界した。
(2008年4月14日 お勤め、頑張ってください。)

明治生まれの祖母は、外部の人間にとっては「品のいいおばあさん」というイメージが強かったようだが、なんせ明治の女。
負けん気が強かったというのが母と私の一致した意見だ。

父が小学生のとき、徒競走で2位になったことを報告すると「1位じゃないの?いくじなし」と言い放ったというのは我が家では語り草になっている。

キンピラを出されれば柔らかいニンジンだけを選別して食したり、私たち子供がテレビを見ている間におかずを一人で平らげたりしていたので、恐らく祖母は食いしん坊でもあった。
でも赦されるオーラがそこはかとなく彼女を包み込む。
強く非難できない雰囲気をかもし出す芸当を彼女は持っていた。

しかも父には姉が3人いて、彼女たちが三日にあけずに車で我が家に来ていて、茶の間はいつもちょっとしたサロンと化していた。

「あはは」
「おほほ」
「それで大笑いさ」←話を落とす際に用いる祖母の決まり文句。

私たちのプライバシーなんて全然なかった。

一番印象的だったのは学期末に成績表を祖父の仏壇の上に晒しあげられて親戚一同に閲覧されることである。
伯母たちの中に教師をしている者が1名いて、彼女は、祖母が徒競走で1位を取れなかった息子に言ったのと同じように辛辣なアドバイスを私たちに呈するという・・・。因習はプライベートという文化の対極をいっていた。

伯母たちの車のエンジンが我が家の私道に入り込む音がすると、私たち子供は座布団などの身の回りを整える反射神経が備わった。
サロンの輪に入れない母や私たち子供は、あの独特の文化に慣れることは無かった。



自分にも祖母の血が4分の1ほど流れているらしい。
粘り強いところは確かに似ているが、食への関心は遺伝しなかったもよう。
亡くなる数週間前にお見舞いに行った際「元気なうちに美味しいものをいっぱい食べておきなさい」だったので、その言葉をできるだけ遵守しようと命日のたびに思う。

そんな私のお昼ご飯はステーキ弁当。


「宮のたれ」疑惑が拭い切れないステーキのたれ。
やっぱり今日も宮のたれの味がした。


隣の席で同じものを食している同郷の後輩女子Cちゃんに言ったのだが、
「そうですか?」
で終わってしまった。私の思い込み???

おばちゃん、天国で何してるかな。
南側に面した八畳の間で日向ぼっこをしながら縫い物をしていた生前の彼女の姿、彼女の部屋から夕方になると聞こえてきた「遠山の金さん」のテーマ、90代に突入してもスカートを履く根性などを、今日は久々に思い出した。

根っからの悪い人ではないのだが、超いい人とは言いがたかった祖母。
正直、複雑な心境は拭えないのだが、でも可愛がられていたのは事実なので、今はそのことだけを抱きしめたい。





夜、母とその話を電話でしていたら私の家の窓ガラスがカタカタと音を立てた。
私がいる東京と実家がある宇都宮ではタイムラグがあるので、数秒後に母が「地震?」と言った。



その後、スマホの地震速報が点滅。
熊本で大地震が発生したもよう。
(いつもブログにコメントを書いてくださる九州のノアかか殿、大丈夫ですか?)

暫くは余震に注意が必要かもしれない。


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