両国の江戸東京博物館で開催されている「平清盛 特別展」に行ってきた。
ロビーでは巨大熊手がお出迎え。
お目当ては「平家納経」
平家ファミリーが繁栄を祈って、豪華に装飾された紙の巻物に仏教の経典を筆写したもの。
お経全体が光っていて眩しかった。ピカ―っ。
軸も水晶でできていて、豪華!
精緻な文字自体がまさに芸術。
見返し部分の絵も素敵だった。
一番好きなのは蓮の絵が描かれたもの。
「平家納経 法華経信解品第四」平安時代 長寛2年(1164) 1巻 広島・厳島神社
納経が納めらた龍の彫刻が施された銅製の箱。
隣にいた外国人観光客が
「beautiful box!」
って感動していた。
激しく同意。
清盛の長男・重盛の青磁茶碗。
下の部分が割れてしまったが、もう中国では同じものがなくて入手できず。仕方なく釘で補修されたもの。
「嗚呼、こんなに大切に繕われながらも愛された茶碗なんだなあ」
と思う反面、
「でもさ、この補修方法って…」
と思ってしまうぐらい大胆に繕われていた。
不動明王二童子像
大きいのが吉熊上司で小さいのが私と後輩女子Cちゃんに見えた。ザ・経営管理室メンバー。
安徳天皇像
父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、祖父は、平清盛。
幼くして入水した安徳天皇。
表情が可愛い。
平家物語といえば、冒頭文。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
中学時代、購読していたチャレンジの付録に平家物語冒頭を琵琶法師ふうにアレンジしたテープがあり、面白くて毎日聞いていたら暗記してしまった。またクラスで琵琶法師のモノマネが上手い子がいて、爆笑したこともほんのりと思い出した。
また、栃木の名誉県民・那須与一の扇のシーンも同テープに収録してあり、これもツボだった。
与一 鏑(かぶら)を取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。小兵(こひやう)といふぢやう、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、浦(うら)響くほど長鳴りして、誤たず扇の要(かなめ)ぎは一寸ばかりを射て、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上(あが)りける。しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。
「よっぴいて…」の部分の独特の節が好きだった。
その那須与一のシーンの屏風もあった。
壇ノ浦の戦いで自殺しようとしたが失敗し、敵に捕えられて出家した徳子の絵を見て大原寂光院に行きたくなった。
大原御幸図屏風
徳子のもとを訪れた後白河法皇が描かれている。
徳子の表情が寂しげで切ない。
会場には、数年前まで毎年訪れていた厳島神社のミニチュアがあり、懐かしかった。
引き潮のとき、あの鳥居の下まで行ったことなど懐かしい思い出だ。
今日は厳島神社の狛犬も展示されていた。どの角度から見ても美しかった。
博物館の醍醐味ったら、そこではないだろうか。
大体の展示品は様々な角度から観ることができる。印刷物や画面では体感できないライブ感がたまらない。
また、「嗚呼、この物(絵)は実際にあの時代にあったものなのだよなあ」と感慨にふけり、気付くと、目の前のガラスが鼻息で一瞬曇って恥ずかしい。
音声ガイドは深田恭子。
セカンドバージンを思い出してしまった…。
疲れたので両国駅で一服兼夕御飯。
ミックスサンド。
吉熊、もりもり食べる。お腹空いていたんだね。
壇ノ浦の戦いで幼き息子が母親と一緒に海の藻屑になった瞬間を思い出し、徳子は嘆き悲しんだという。
そうだよなあ。
吉熊は私の子ではないが、年齢にしたら安徳天皇と同じぐらいだ。
こんなに愛おしい存在が目の前で…と思うと、なんだか切なくなってしまった。
平清盛・平家物語にはあまり興味がなかった私だが、思いの他、楽しめた。
今、NHKの大河ドラマで「平清盛」が放送されているが、まだ観ていない。
書店では平家関係の本が平積みされている。
今度読んでみようと思った。
ロビーでは巨大熊手がお出迎え。
お目当ては「平家納経」
平家ファミリーが繁栄を祈って、豪華に装飾された紙の巻物に仏教の経典を筆写したもの。
お経全体が光っていて眩しかった。ピカ―っ。
軸も水晶でできていて、豪華!
精緻な文字自体がまさに芸術。
見返し部分の絵も素敵だった。
一番好きなのは蓮の絵が描かれたもの。
「平家納経 法華経信解品第四」平安時代 長寛2年(1164) 1巻 広島・厳島神社
納経が納めらた龍の彫刻が施された銅製の箱。
隣にいた外国人観光客が
「beautiful box!」
って感動していた。
激しく同意。
清盛の長男・重盛の青磁茶碗。
下の部分が割れてしまったが、もう中国では同じものがなくて入手できず。仕方なく釘で補修されたもの。
「嗚呼、こんなに大切に繕われながらも愛された茶碗なんだなあ」
と思う反面、
「でもさ、この補修方法って…」
と思ってしまうぐらい大胆に繕われていた。
不動明王二童子像
大きいのが吉熊上司で小さいのが私と後輩女子Cちゃんに見えた。ザ・経営管理室メンバー。
安徳天皇像
父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、祖父は、平清盛。
幼くして入水した安徳天皇。
表情が可愛い。
平家物語といえば、冒頭文。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
中学時代、購読していたチャレンジの付録に平家物語冒頭を琵琶法師ふうにアレンジしたテープがあり、面白くて毎日聞いていたら暗記してしまった。またクラスで琵琶法師のモノマネが上手い子がいて、爆笑したこともほんのりと思い出した。
また、栃木の名誉県民・那須与一の扇のシーンも同テープに収録してあり、これもツボだった。
与一 鏑(かぶら)を取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。小兵(こひやう)といふぢやう、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、浦(うら)響くほど長鳴りして、誤たず扇の要(かなめ)ぎは一寸ばかりを射て、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上(あが)りける。しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。
「よっぴいて…」の部分の独特の節が好きだった。
その那須与一のシーンの屏風もあった。
壇ノ浦の戦いで自殺しようとしたが失敗し、敵に捕えられて出家した徳子の絵を見て大原寂光院に行きたくなった。
大原御幸図屏風
徳子のもとを訪れた後白河法皇が描かれている。
徳子の表情が寂しげで切ない。
会場には、数年前まで毎年訪れていた厳島神社のミニチュアがあり、懐かしかった。
引き潮のとき、あの鳥居の下まで行ったことなど懐かしい思い出だ。
今日は厳島神社の狛犬も展示されていた。どの角度から見ても美しかった。
博物館の醍醐味ったら、そこではないだろうか。
大体の展示品は様々な角度から観ることができる。印刷物や画面では体感できないライブ感がたまらない。
また、「嗚呼、この物(絵)は実際にあの時代にあったものなのだよなあ」と感慨にふけり、気付くと、目の前のガラスが鼻息で一瞬曇って恥ずかしい。
音声ガイドは深田恭子。
セカンドバージンを思い出してしまった…。
疲れたので両国駅で一服兼夕御飯。
ミックスサンド。
吉熊、もりもり食べる。お腹空いていたんだね。
壇ノ浦の戦いで幼き息子が母親と一緒に海の藻屑になった瞬間を思い出し、徳子は嘆き悲しんだという。
そうだよなあ。
吉熊は私の子ではないが、年齢にしたら安徳天皇と同じぐらいだ。
こんなに愛おしい存在が目の前で…と思うと、なんだか切なくなってしまった。
平清盛・平家物語にはあまり興味がなかった私だが、思いの他、楽しめた。
今、NHKの大河ドラマで「平清盛」が放送されているが、まだ観ていない。
書店では平家関係の本が平積みされている。
今度読んでみようと思った。