世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

未失の「恋」

2005年06月07日 23時27分02秒 | Weblog
気が狂いそうで
食べ物が喉を通らなくて
会いたくて
側にいたくて
見つめていたくて
触れたくて
自分に発せられる言葉に胸が熱くなって

…そのぐらい、殿方を愛したこと…私にもある


…ことにしよう。


でもそれは恋をした私の欲求を満たすための故意であり、
決して対象の殿方そのものの幸せを願ったものではないと断言できる。
…今となれば。
例を挙げるとすれば、中学生女子が陥りがちなあの感情だろう。
音楽室に行くときにすれちがった。
目があった(気がする)。→幸せ→満足→おしまい。
中にはその気持を奮い起たせて、告白や交際などをする者もいる。
失恋した場合は、放課後の屋上で泣くか、学業に専念するかが主なパターンであった。

私も27歳になった。
…なってしまった。

殿方と付き合っていない私はともかく、周囲の友達は密接な殿方との交流をなしている。
中学生時代のように、多数の殿方と接しない代わりに(中には接している友達もいるが)、一人の殿方との深い関係を締結している友達が多い。

その成り行きなどを外野から見て推測すると、
自己満足の恋とは異種の「相手の幸せを考える」恋、
もしくは愛を育んでいると思われる。
会社の上司たちも然り。
うちの両親でさえ、そんな感じがする。

未だ、そんな恋愛とは無縁な生活を疑いなくしている私。
仮に恋をしたとしても、前者の中学生的恋愛で止まるような気がする。

すれちがった→萌え~→満足→終了。

満足できりゃ、満足。
お腹いっぱい。
その後の未来はあんまり興味が無い。


また、中学時代のような素直さや謙虚さが枯渇してしまったが故、
振られたりしたもんなら「てめぇ、ざけんじゃね~よ!」と相手の胸ぐら掴んだ挙げ句、
マジックを相手の鼻の穴に突っ込んで胃壁に「バカ」と書いてしまいそうな勢いである。

後者の大人の恋愛の醍醐味を知らない私にとって、大人の恋をしている友達の相談は難題である。
大人の恋をしないで一生を終えたとて、寂しかったなぁで終るが、
せっかく私なんぞに相談を持ちかけてくれた友達の相談に
適当な反応で済ませてしまうのは嫌だ。

しかし一生懸命考えても、私の恋愛感が中学生なので、
的を得た解答をしてあげられないのが常。
不甲斐なさマックスである。

仕方がない…。
無いものは無いんだから。
私なりの誠意を持ち、持ち前の想像力をフルに活用して、相談に応じようと思う。

みんな、いつ、大人になったんだろう。
どうやって大人になっていったんだろう。
私もいつか、みんなと同じ感覚で恋愛を語れる日が訪れるのだろうか。

そんなの、自分が変わらないと一生無理だとは気付いているのだが…。


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