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晴耕雨ログ

晴れの国の片田舎で暮らす自然派おばさん
畑仕事に生甲斐感じながらゆるゆる歩む農婆の人生

吉備路

2008-07-11 18:54:13 | Weblog
 ♪緑の丘の 五重塔 古墳に ねむる…と歌われた母校の校歌も口づさみたくなるような吉備路に立った。国分寺周辺は春のレンゲに変わり今はヒマワリが見事に整列し迎えてくれた。
すでに卒業後40年になろうというのに今も美しい歌詞もスラスラと歌える。ここの歴史ある風土を歌った校歌が好きだったから・・。
 ♪歴史の風の中に立つ 青雲の夢 ひしと抱く・・そんなフレーズもあった気がする。
 先日、爽やかなポストカードに<50の手習い頑張ってます>とガラスエッチングの作品展の案内をいただいた。ここ吉備路ギャラリーで彼女と見事な作品に出会う。地元中学校・高校の同窓生だった彼女明るくおおらかで確かに芸術肌人だった。あれから永い年月を経て私たちも今、自分の時間を持てるようになり、小さな夢をもち大切に時を過ごしたいと思うようになった。
 母校の校歌も懐かしく感慨深い歳になったもんだな。

  < 時忘れ 過去も未来も 語り合い >

温泉

2008-07-10 20:34:44 | Weblog
 予定通りに順調に事が済むと本当に気持ちがいいもんだなぁーと今日はしみじみ感じた。
ましてや、それなりに気合を入れ努力の結果だと自分へのゴホウビが有ってもいいだろうと午後からは温泉へ直行した。
 我家から車で7分。何がいいと言えば人が少なく独りなら気遣いも要らない。今時の温泉と違い娯楽施設がないのもいい。桃太郎の名にふさわしくドンブラコと桃も流れてきそうな川の流れ、緑の山あいはマイナスイオンで癒される。
 昼日中、お風呂とは贅沢かな・・と貧乏性の自分にチョット呆れる。
うっかりカメラを忘れ周囲の渓谷を撮ることも出来ず、ルイコのお風呂上りでご勘弁!

  < ご褒美は 小さいながら 大満足! > 



もも

2008-07-09 21:07:32 | Weblog
 いよいよ桃のシーズン到来!桃どころは空気までもが桃の香りに満たされる。
早生桃はすでに6月末より収穫されている。我家にも”どーぞー!”と香りの良い瑞々しい初物をいただいた。我家だけでは勿体無くおすそ分けし最後の2個になってしまい気が付いた。母に食べさせてあげて無いんだと・・・。
 冷えた桃を刻んだ物・ミキサーでペースト状にした物をすこやか苑に持ち込んだ。母と叔母の二人は職員さんにお手伝いしていただきながらわがままオヤツをいただき”おいしー!”と笑顔になる。
 懐かしい我家の夏の味覚に満足満足!最後の二個にふたりはニコニコ

  < 旬の香に ねむる五感も 冴え渡り >

回顧録

2008-07-08 20:22:07 | Weblog
 我家の築年数の経った古い日本家屋は夏でも案外涼しい、そのうえゆったりしていて過ごしやすさをしみじみ感じる歳になった。
 昼食後は風通しの良い和室でゴロリ昼寝。蒸し暑い今日は扇風機が添い寝する。扇風機スイッチ・ONでふと思い出した。母に”扇風機止めてー”とお願いしたところスイッチ???止め方がわからない・・・そんな事から物忘れが始まり認知の入り口に立ったことを家族は心配した。これが世間で言われる物忘れかと現実を認めることになった。しかし、母の物忘れはサイフが無いとか、盗られただの不快な思いにさせられる事も無く家族も笑っていられるホガラカ物忘れ?に救われた。
 物忘れはごく日常的な事が突然思い出せない、出来なくなる、そんな恐さをふと感じた恐怖の昼寝。
 すこやか苑の花壇に咲くラベンダーも高齢になって来た本日の画像。

  < 弱風と 不安で覚める 午睡かな >

ユリ

2008-07-07 20:57:47 | Weblog
 昨年の母の日の贈り物の鉢植えのユリが存在を知らせるように香りを漂わせて今年も咲いた。
この所は父ちゃん、母ちゃんの役割交代の毎日。父ちゃんが家事をするかと言うと、決してやらない・・いや、やれない状態でやむを得ない。しかし、母ちゃんは何がどうであれ父ちゃんの代わりを務めねば・・。
 日中の暑さがたまらなく、お昼はお休みしようと早朝作業がこの所の日課となっている父ちゃん代理の私。
夫はサラリーマン時代から早朝の作業は当然のように今までやってきた。よく働き大した人だと思うがもっとすごいのは、必ず子ども達が起き出し登校する時間には仕事中断で帰宅し子どもと顔を合わせていた事。意外に子煩悩な父親だった。
 この所”口ばかり父ちゃん”にいささか閉口でしたが、自分もそこに身をおき初めて気付く父ちゃんの良さ。

  < 真似できぬ 父親(おや)の姿に 口も出ず >

すこやか

2008-07-06 21:48:37 | Weblog
 日中の気温も連日30度を上回り、夜になっても過ごしにくく快適な睡眠時間が欲しいと思う。
 昨日はお昼ねタイムかしら?と思いながら母を訪ねた。おやつ時間らしく、母も隣の叔母のベッドもカラッポで綺麗に布団も整えられ褥瘡予防の介護用枕、抱き枕などが置かれていた。すっかり少女になった叔母は可愛いピンクのパジャマにミッキーの抱き枕で横になっている事が多い。
きめ細やかにそれぞれの人に合った枕の位置も配慮され体位交換もしていただきながら穏やかに過ごさせてもらう事が出来る。自宅介護でここまで出来るだろうか。
 元気だけがとりえの私も人生復路はいささか身に応え、寝姿もウネウネ・ゴロゴロと海老になったり芋虫になったり・・・。若い頃のように”バンザーイ!”と一粒300メートルのグリコのポーズで眠りたい。

  < 健やかに 寝顔は今も 乙女なり >  

ズッキーニ

2008-07-05 20:46:55 | Weblog
姑から受け継いだ野菜作りも数年経つと少し変わったものも作りたくなり今年はズッキーニを植えた。かぼちゃ風に地を這い実を付けるものと思っていた。我ながら浅はかなお百姓だ。
 娘達と同居生活も2年目、すっかり家事は任せ食事はもちろん洗濯すらお世話になっている。娘も雨の土曜日くらいゆっくりすれば・・と代わりに洗濯機を回す。
沢山の洗濯をするのも久しぶりのような気がする。頼りきりの生活で今にレンジ、炊飯器、掃除機どんなにして使うの?なんて聞いたり、これ何する物かしら?という事にならなければいいが・・・。台所用品は使わなくとも、少しずつ農機具を使う術をマスターしてきた百姓見習いおばさんです。
 ”脳の老化防止にも自分で出来る事を増やし、出来る事を保つよう心掛けようよ”と指図の多い方にそっと呟く。

  < 後期には まだまだならぬ 好期かな >

願いごと

2008-07-04 21:35:40 | Weblog
今日は7月らしい総合病院の玄関口の七夕飾りに季節を感じ1枚いただき。
5月に思いがけない骨折により足場を組み改修工事にかかっていた夫の左足に入れられていた補強金具を抜き取るための外来診察日。
 先月アジサイを見に出掛けた吉備津神社も桧皮葺の屋根の改修もほぼ完了したらしく足場も撤去されていた。神社と夫の足を同等にみては恐れ多いが…。今日の治療は次第に復元されてきた工事現場の足場撤去作業といったところかも。医師の用意した器具はまさに工具箱の赤い握りのラジオペンチだった。とても見ていられずヘルパー役の私は青ざめ、目まいしそうな状況に即、退室。
施術を終えて帰りの玄関先の色とりどりの短冊に、ひとつだけ願いごとを書けばよかったなーと後悔。

  < ひとつだけ 願いかけたい 叶えたい >


ヒメジョオン

2008-07-03 20:32:55 | Weblog
 ヒメジョオンの花も我家の周りでも昔ほど見かけなくなったように思える。
この花にはなぜかオレンジ色の蝶ベニシジミがペアで子どもの頃からなじみ深い。
昭和30年代、まだママゴト遊びをしている幼い頃、このヒメジョオンを摘み、泥をコネ、水を混ぜごちそうを作った。おばさんにもそんな可愛い頃があった。
ママゴト遊びの器といえば空き缶、空き瓶、穴の開いた鍋、クリームの蓋、欠けたお皿などを大切な道具として使った。貧しい玩具。
 ヒメジョオンは目玉焼きを思わせる美味しそうなごちそう花でケーキにもなり豊かでない時代のママゴト遊びの食卓を飾った。
今ほど物の無い満たされない生活になぜか心の豊かさを感じる歳になってしまった。

  < 懐かしく 野の花に見る 遊びかな > 

曇り時々雨

2008-07-02 21:29:23 | Weblog
 朝食もそこそこに早朝から畑に出る。曇り空にいつ雨になるのか怪しい空模様に早く作業を済ませなければ・・。
 先日、共同炊事でご馳走になった自家製手作り味噌の美味しさに惚れ込み我家でも今年こそ手作り味噌に挑戦しようと大豆を育てるところから開始。
豆類は種蒔き後、鳩に持ち去られてしまうので念入りに糸張りをし防御した。敵も生きる為とはいえ負けられませぬ!
順調に作業するうち6時半、ラジオ体操も始まる。♪新しい朝が来た・・・ラジオと共に歌いながらすがすがしい早朝の畑作業。
 すっかり種蒔きも終えればもう雨が降ろうが大丈夫。
トウモロコシの葉に乗っかるカタツムリも湿っぽいのかノソノソ動き出す。
我家もカタツムリ同様、雨になろうが屋根付きガラス室で葡萄の手入れに休み無し。

  < 安全と 美味しさ求め 畑に立つ >

みょうが焼き

2008-07-01 21:18:50 | Weblog
 その昔、この季節に母親が作ったみょうが焼きを思い出しながら作ってみた。
レシピがあるわけでもなく、記憶と想像で作るしかない。特に好きなわけでもなくただ懐かしさだけで作ってみたくなった。
 こうした季節の柏餅やよもぎ餅が出来上がると両親は”本家に持って行って”と三女の末っ子の役目にしていたと思える。いつも私・・・と不満な思いだった。
新聞紙で包み”のうのさん(仏様)にお供えしてください。”と言うんだよと教えられ本家のお仏壇へ届けるのが無口で引っ込み思案の私に社会性を育てる一歩だったのだろう。末っ子の任務を果たすしかなくトボトボ本家の勝手口に立つとひんやりした土間のいつもの本家の匂いがしていた事を今も思い出す。
 食で季節を教え、核家族ならではの子育てをしていた両親だったな。

  < 旬の香に 懐かしきかな 幼き日 >