晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

平岩弓枝 『鏨師』

2016-04-22 | 日本人作家 は
そういえば前の投稿で触れませんでしたが、3月は一切投稿がありませんでした。楽しみにしていた方(いるかどうかわかりませんが)、すいません。

それはさておき、『鏨師』です。この作品は平岩弓枝さんの直木賞受賞作です。

「御宿かわせみ」などを読もうとページをひらくと、表紙の裏に作者プロフィールが載ってて、そこにこの作品名があり、近いうちに読みたいなあとずっと思っていたのですが、まあようやくですよ。

短編が5作です。表題作の「鏨師」は、刀の鑑定と、贋作を作る人の話。ある日、刀の鑑定人、福原の家に珍しい客が。それは福原が絶縁していた志村の娘で、刀を持ってきて、鑑定してほしいというのです。志村は福原の妻の縁戚関係なのですが、なぜ絶縁していたかというと、もともと志村はヤスリに鏨で細かい目を打つ職人で、ヤスリ作りの機械化が進んで仕事がなくなると、ある刀剣商から、刀の偽銘彫りを頼まれます。刀は「中心(なかご)」と呼ばれる柄の部分に、刀匠が名前を打つのが一般的なのですが、たまに名人の作でも銘のない刀というのもあって、これを「無銘」というのですが、この無銘を誰それの作とするのが鑑定人の仕事であり、しかしたまに名人そっくりの無銘の作品が出てきたりして、それに名人の銘を打って贋作として売ったりするケースもあり、志村はもともと鏨の職人で、たちまち偽銘打ちの達人になります。しかし、それの引導を渡したのが福原で、贋作を見破ったのです。今現在、志村は病気で余命いくばくもなく、娘が持ってきた刀は「父が最後まで手放さなかった、間違いなく本物」の虎徹という名刀なのですが、福原は一目みるなり贋作と鑑定します。その刀はしばらく預かることにして、後日、福原の家に刀鑑定の知り合いが訪ねてきて、何も言わずに件の虎徹を見せると「本物」と鑑定し・・・

神楽の名人、久太郎と甥の息子の吉哉との話の「神楽師」、長唄の家元で耳の不自由な先代の妻、古登代の当代の確執の「つんぼ」、能の世界における狂言の意地を描いた「狂言師」、狂言師の名家に生まれた跡取りの少年の葛藤を描く「狂言宗家」。

前述のプロフィールによると平岩弓枝さんのご実家が代々木八幡神社で、狂言や神楽といった伝統芸能はもともと馴染みがあったのでしょうね。

それはそうと「日本女子大卒業」とあって、「あさが来た」は見てたのでしょうかね。まあどうでもいいですが。

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