やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

貴方は、海を見たのか?

2006-03-19 | 音楽を


シューベルトのピアノ・ソナタを、伊藤深雪のフォルテピアノで聴く。
1811年にプラハで制作されたもの、だといふ。
ピアノ・ソナタの第18番と第14番。

モダンピアノに較べれば、中高域の伸びが乏しいけれど、逆に中低域の木質系の音色は新鮮な響きがする。
時代的にはさかのぼりますが、モーツァルトの曲にはモダンピアノの方が似合ふけれど、華麗とはいへないシューベルトのピアノ・ソナタには、このアプローチも面白いと思ふ。

ヴィーンの街で、知人や友人のところを彷徨ふやうに滞在をし、ある意味、ファザーコンプレックスであっただらうフランツ・シューベルトの、少し統一感のないソナタを同時代の楽器で聴いてゐると、彼の人間としてのひだに少し近づくやうな気がする。

彼の生涯をたどった本に依れば、フランツ・シューベルトは、その短い生涯のなかで、一度も海を見たことがなかった、と記されてゐました。
短い年月だったとはいへ、さほど劇的な変化のなかったその31年の殆んどを、ヴィーンの街角と、周辺への旅行で過ごしてゐます。
さういふ意味でも、小市民的といはれる所以なのでせうが、街中の、居間の音楽と云へるのかもしれません。

はたして、その晩年には、大きな世界へ動き出さうとしてゐた矢先だったのかもしれませんが、地平線の見へる、海のある景色に遭遇したら、また、違った作風も生まれてゐたのかもしれません。




タイトルが、倉本 聡の作品(「君は海を見たか」、いいドラマでした。ついでに、「前略おふくろ様」も、傑作のドラマ、でした。さうでした、主人公さぶのおふくろ様は、蔵王のロッジで働いてゐる設定でした。)のやうになってしまひました…。



(写真は、ジャケット、より)



鷹野湯温泉 へ行く

2006-03-17 | やまがた抄

一ヶ月ほど前から、左肩から肘へかけての痛みがひどくなり、
(五十肩はすでになってゐるので、その次肩、なのでせうが)、
医者嫌ひの小生、一日仕事をOFFにして、温泉治療ときめこみました。

白鷹町の鷹野湯温泉。
小生の好きなところで、小さな山の上にあります。





以前よく、テニス同好会の合宿で来てゐましたが(中々、よいコートです)、
最近はもっぱら、温泉浸かり、のみです。

平日でしたので、館内も空いてをり、半日、温泉に浸かってゐました。
勿論温泉ですが、なにせ山の頂き部分ですので、ふもとから引いてゐるさうです。
露天風呂の周囲は、椿と、赤松と、空、だけです。







食堂で、和風だしの美味しいラーメンを頂きました。

壁に貼ってあったポスターが、小生がよく行く蕎麦屋さんでしたので、
それもついでに紹介。







以前、旧い民家で蕎麦屋を始めたい、といふ方と、あちらこちらに、民家探しをしてゐるときに、その方に食味をしてもらった店です。
「どふですか?」と聞く小生に、その方は、蕎麦を汁をつけずに食し、
「かなり上位の蕎麦です」と感心してゐた店、です。

知人や来県のひとには必ずお連れするところですが、ロケーションのよさも相まって、皆さんに喜ばれるところです。

(ポスターにでてゐるので、既に、隠れ蕎麦屋、ではなくなりましたがー)











元木の石鳥居

2006-03-16 | 山形の鳥居、を巡る




山形市鳥居ヶ丘にある、通称「元木の鳥居(御立の鳥居、とも云はれる)」です。
狭い路地の一角に、その姿のみを残してゐます。


日本で最古の石鳥居といはれ、建立は平安時代の頃、らしいですが、詳細は不明です。1000年前後は経ってゐる、といはれてゐます。




その、存在感は、圧倒的です。
1m近い柱、大きくせり出した笠木。
不釣合ひなほどの、小さな額束と貫。





むかし人が、まだ、神を畏れてゐた、表れでせう。


住宅街を少し抜けたところから、この鳥居の信仰の対象になった瀧山が見へました。
まだ、春遠い姿です。












ヴェーベルン、を聴く (1)

2006-03-15 | 音楽を


先日、吉田秀和氏の評論集を読んでゐて、ヴェーベルンが聴きたくなりました。

アントン・ヴェーベルン。
(1883年-1945年)
アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルクと共に、新ウィーン楽派の大きな一翼を担った作曲家です。

一世一代の名盤、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏で聴きました。

・管弦楽のためのパッサカリア
・弦楽合奏のための5つの小品
・弦楽合奏のための6つの小品
・交響曲

管弦楽曲は、このディスクにある曲で殆んどです。

まったく、呆れるほど見事な演奏でした。
かういった作品の演奏では、やはり、カラヤンの右に出る人はゐません。
(その分、バッハやモーツァルトやブラームスは、無残な演奏になりますがー)

カラヤン独特の、一寸、ヌルっとした音の作り方が、
ヴェーべルンの、鋼のやうな、日本刀のやうな音楽に、少し親しみやすさを感じ、
凄まじく難しい音楽理論によって創られてゐる作品なのでせうが、
小生のやうな凡庸な人間にも、解りやすいものにしてくれてゐます。

どの作品も数分、交響曲に至っては、2楽章で、10分足らず。
ある意味、バロック期のシンフォニアのやうに、短い。
けれど、その中にこめられた音の密度の高さはその比ではない。

絵でいへば、この景色はどこそこを描いたものです、といった具象的なものや、
そんな説明事態を拒否し、純粋に作者の感じたものだけを抽出した、といったところでせう。
まったく、孤高の音楽、といはれるに相応しいものばかりです。

20世紀に入っての音楽ゆゑ、まう、現代音楽といふカテゴリーでもないと思ひますが、そんな、妙なジャンル分けよりも、豊かな森や、深海を想像させるやうな音の連なりに、改めて面白さを感じたところです。






雪花

2006-03-14 | やまがた抄




二日続けて、朝方に、春の雪でした。

春へと、急く気持ちをなだめるやうに、少し、焦らすやうに、
数時間の雪景色を楽しむ程の淡雪が降り、消えてゆきます。



昨日伺った知人宅では、それでも、リビングの窓際で、
見事にシンビジュームの花を咲かせてゐました。


     


やはり、春の近さを感じてきました。








淡雪

2006-03-13 | やまがた抄

朝のうちに降ってゐた雪は、
夕方には、すっかり消えてしまひました。

まさに、春の淡雪、です。
先週末、4月頃のやうな暖かさに誘はれて
雪囲ひはすっかり取り払ってしまひました。

雪国では、季節の始末をつけて、節目をつけて
次の季節へと向かひます。






「シューベルトのオペラ」 を読む

2006-03-12 | 雑記


「シューベルトのオペラ/オペラ作曲家としての生涯と作品」(井形ちづる著/水曜社)といふ本を読みました。

テーマに惹かれて読みましたが、面白いものでした。
リートや器楽作曲家としてのシューベルトではなく、憑くやうにオペラを次々と作曲し、頓挫し、破棄していったシューベルトの一面が、著者のその作品の再評価、復活を願ふ気持ちと共に詳細な研究の結果が見事に表されてゐます。

小生も、特にオペラを好む訳でもなく、聴く(見る)としても、モーツァルトの著名な作品や、プッチーニの作品くらゐです。
おそらく、これから先も、シューベルトのオペラを見聴きすることは、あるひは、ないのかもしれません。
それでも、その膨大な作品群を見せつけられると、少し食指が動きます。
この本から、その作品名をお知らせします。


 1.「鏡の騎士」D11(未完)    1811年~12年 3幕のジングシュピール
 2.「悪魔の悦楽城」D84      1813年~14年 3幕のジングシュピール
 3.「4年間の哨兵勤務」D190    1815年 1 幕のジングシュピール
 4.「フェルナンド」D220      1815年  1 幕のジングシュピール
 5.「ヴィッラ・ベックのクラウディーネ」D239
                   1815年  3幕のジングシュピール
 6.「サラマンカの友人たち」D326  1815年    2幕のジングシュピール 
 7.「人質」D435(未完) 1816年    3幕のオペラ
 8.「双子の兄弟」D647       1818年~19年 1 幕のジングシュピール
 9.「アドラスト」D137(未完)   1819年と推定 ジングシュピール
10.「ラザロ、または復活の祭典」D689(未完)
                   1820年  3部のオラトリオ
11.「魔法のたて琴」D644      1820年 3部の魔法劇
12.「シャクンタラー」D701(未完) 1820年着手  3幕のオペラ
13.「魔法の鈴」D723        1821年と推定 オペラ・コミックの挿入曲
14.「アルフォンソとエストレッラ」D732
                   1821年~22年 3幕のオペラ
15.「共謀者たち」D787       1823年 1 幕のジングシュピール
16.「フェイラブラス」D796     1823年   3幕のオペラ
17.「ロザムンデ、キプロスの女王」D797
                   1823年 4幕のロマン劇
18.「グライヒェン伯爵」D918(未完)
                   1827年着手  2幕のオペラ 


と、D番号を見ると、作曲活動の全域にわたって書かれてゐます。

けれど、悲しいかな、時代の背景もありながら(ウィーンの街は、ウェーバーやロッシーニのオペラに沸きかへってゐた)、政治的や興行的にうまく立ち回れなかったフランツ・シューベルトは、オペラの世界ではすっかり”負け組”になってしまひ、まるで徒労ともいへるやり方で、書いては投げ、の作曲活動を繰り返してゆきます。

この、取り憑かれたやうなオペラへの執念が何だったのか、この本の中ではいまひとつ踏み込んでゐませんが(マイナス要因として台本作家の能力不足、テーマの貧弱、センスのなさ、あるひは梅毒だったといふ病気の問題等は書かれてありますが)、それでも、「ロザムンデ」等の音楽を聴くにつけ、近い将来、評価が正当に変換される時がくるのかもしれない、と期待を持たせるものでした。



  

福寿草を頂く

2006-03-11 | やまがた抄




TVのニュースで、福寿草が咲き始めた話題を報じてゐました。

さう云へば、引越の時、庭先にあった福寿草はそのままにしてきてしまった、と後悔し、仕事の帰り道お客様の所へ所望に伺ひました。

「ひと株でも…」といふ小生に、「まあ、上がれ」と、指物師だったお客様は気軽に承諾して頂いて、ひと時、この冬の大雪の話をしながら裏庭の斜面からふた株の福寿草を頂いてきました。

「今年は雪が多かったから、少し、遅い。咲き始めたら連絡するから、また来い」といふお客様の言葉に感謝しながら、いとまごひをしました。

垣根のタマツバキにも、紅い実が沢山なってゐて、一寸写真に収めてきました。








こんなタバコもー

2006-03-09 | 雑記


若い友人が、おもむろに取り出した箱に眼がいってしまひました。





小生が「それは何?」と聞くと、「タバコですよ」と彼は云ふ。
珍しいので、携帯のカメラで撮ってみました。

かういふ、珍種のタバコを買ひあさるのが趣味なのださうで、
天童駅の近くに店がある、といふことでした。

「こんなのもありますよ」と、彼は別のタバコを取り出してきた。





味は、既製のタバコのどれかに似てゐるらしいのですが、
いつもつまらないCMを流してゐるJTにしては、
なかなか面白いことをしてゐる、と妙に感心してしまひました。