マウリッツオ・ポリーニのピアノ、クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団の演奏で聴く。
共に30代半ば、鉄壁の演奏です。
1926年、フランクフルトにて、バルトーク自身のピアノ、フルトヴェングラーの指揮にて初演が行なわれた。
弦の数をこまかく限定・指定してまで全体のバランスを図り、既に、旋律としての主題もなく、ティンパニや管楽器と対峙する、激しく打ち鳴らす打楽器としてのピアノがあるだけです。
ハーモニーとしての意味は無くなり、音の断片として、あるひは、色彩的な価値のみを許してゐるかのやうにー。
聴き終はって、耳に残るメロディは少ない。
第2楽章で、管楽器が異なる調を同時に響かせ、その上をピアノが進んでゆくあたりは、映画「砂の器」の音楽に似たところがあって、とてもスリリングで面白い。
難解さにかけては、屈指の曲といはれてゐるやうですが、それゆゑ逆に、改めて聴きなほした時の新鮮さは(無調の世界に入らなかったバルトークの素晴しさ!)とどまる先をしらないほどです。
共に30代半ば、鉄壁の演奏です。
1926年、フランクフルトにて、バルトーク自身のピアノ、フルトヴェングラーの指揮にて初演が行なわれた。
弦の数をこまかく限定・指定してまで全体のバランスを図り、既に、旋律としての主題もなく、ティンパニや管楽器と対峙する、激しく打ち鳴らす打楽器としてのピアノがあるだけです。
ハーモニーとしての意味は無くなり、音の断片として、あるひは、色彩的な価値のみを許してゐるかのやうにー。
聴き終はって、耳に残るメロディは少ない。
第2楽章で、管楽器が異なる調を同時に響かせ、その上をピアノが進んでゆくあたりは、映画「砂の器」の音楽に似たところがあって、とてもスリリングで面白い。
難解さにかけては、屈指の曲といはれてゐるやうですが、それゆゑ逆に、改めて聴きなほした時の新鮮さは(無調の世界に入らなかったバルトークの素晴しさ!)とどまる先をしらないほどです。