ヘクソカズラ 2005-08-21 | やまがた抄 知らぬまに、ユダの首くくりの樹(ハナズオウ)にヘクソカズラの 花が咲いてゐました。最悪、最強の組み合はせ、になりました。 植ゑた覚へも、近くに山や人から頂いたものもないので、鳥の為せることでせう。 確か、花や葉を揉むと悪臭がするので、小生の少年時代(といふよりガキの頃) 悪戯の道具になったやうな記憶があります。 只、昔からこの花は好きで、漢字で現すのがはばかる程の名前に似ず、 夏の朝、フン! と澄ましたやうにコントラストのハッキリとした 花を付けてゐます。
フラメンコの夜 2005-08-20 | やまがた抄 知人が参加してゐるフラメンコサークルの公演を見て来ました。 昨日は、昼から激しい雷雨があり、夕方には止んだので一緒に見に行った方々とも 胸をなでおろしてゐたのですが、いやいや、やはり降り始め、 開演時間も遅らせて始まったのですが、雨中での観覧になりました。 公演の模様は写真撮影禁止でしたので、公演後の会場の写真ですが、 山形市の文翔館の中庭で(ここが中々雰囲気が出てゐました)開催されました。 意識的に和を取り入れた構成の2時間でしたが、津軽三味線をバックにした フラメンコ、ってとても面白かったです。 東京から来られたといふ歌い手(カンテ?)の方の声がとても素敵で、 レンガ壁の中の会場は、いっとき、ちいさなピアッツァになったやうでした。 観客の人は静かに見てゐましたが、終はってからの飲み会で、 声を掛けてゐたのはお前だけだと、非難轟々でしたが、さうかな?
スウィトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演 2005-08-17 | 古きテープから 1978.10.25 東京・厚生年金会館ホール 指揮:オトマール・スウィトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団 プログラム:1.モーツァルト/交響曲第39番 2. ” /交響曲第40番 3. ” /交響曲第41番 4.アンコール モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲 四半世紀以上も前のテープです。 生中継されたものをとったもので、そのせゐか、音はよく残ってゐます。 引退をしてしまった(色々な説が出てゐましたが)スウィトナーの 全盛期をしのぶよすがの演奏です。 一曲めの39番から、くすんだ音色のモーツァルトが始まる。 ずゐぶんと久しく、こんなモーツァルトは聴いてゐなかったやうな気がします。 あるひは、テープのせゐかもしれない(何せ、70年後半ですから)。 あるひは、ホールのせゐかもしれない(何せ、厚生年金ホール!)。 でも聴き込んでゆくと、やはり、さういふ音色、演奏なのだと思ふ。 中・低音がずっしりとしてゐて、指揮者の好みもあるのでせう、 派手さを抑へた、江戸時代の利休鼠色やうな演奏です。 続く40番も、実際の演奏時間よりもゆったりと構へた演奏に聞へます。 情に走ることなく、積み上げられたマスとしてのモーツァルトの演奏が あります。妙な仕掛けや、計算はありません。 後半の、音楽が加速してゆく処も、妙にせかせかした処がなく、王道の演奏です。 最後の41番は、CDの演奏と同様、徐々に曲の大きさが現れてきます。 終楽章のフーガが素晴しい。 ここでも、中・低音の響きは素晴しく、単なる旋律の追ひかけではなく、 追ひついた音が、スパイラルになりながらラストへと向かひます。 まう、ベートーヴェンの音楽が間近に迫った演奏です。 アンコールの「フィガロ」がまた素晴しい。 モーツァルトの最後の三大交響曲を終へたばかりだといふのに、その音楽の 何と瑞々しく始まることか! 手練れの曲だからと云へばそれまでですが、序曲とはかくありなん、といふ 演奏です。 中継の進行役が、何と、大木正興さん、でした。懐かしい、です。 小生は、この方に私淑した、といってもよいくらゐ入れ込みました。 この方の、音楽を聴くことは生きてゆく為の糧(カテ)をそこに求めることだ、 といふ頑固なまでの音楽観に今もって共鳴してゐます。 その、糧がわからないまま、30年以上も聴いてはゐますがー。
ミラクルズ/「シティ・オブ・エンジェルス」 2005-08-16 | 音楽を (写真は関係ありません) 1.プロローグ 2.シティ・オブ・エンジェルス 3.フリープレス 4.夜のロサンジェルス 5.ナイト・ライフ 6.ラブ・マシーン 7.僕の名はマイケル 8.哀しみのシャーロッテ 9.チャイナタウンの幽霊 10.スモッグ こんなチャーミングなアルバムが、CDで復刻されてゐないのだらうか? いはゆる、ディスコ全盛時代にリリースされたモータウンレーベルのアルバムです。 「ラブ・マシーン」「チャイナタウン」あたりは、ミラクルズのヒット曲集に 入ってゐるやうですが、 このアルバムは、全体が組曲、ひとつの物語になってゐて テーマはゲイなのですが、どの曲も魅力ある作りばかりです。 テープにとったものをよく聴いてゐますが(それもそろそろ限界に近い)、 大都会の中での、”男たち”の猥雑な雰囲気や、哀しみさへも浮かんでくる 佳作です。 どなたか、情報がありましたら教へて頂けると幸ひです。
初めてー。 2005-08-15 | やまがた抄 お母さんに、あいさつに行きなさい、と云はれて やっと登って来たんだ。 アジサイの裏から、少し玉石の道を横切って、 アイビーやジャノヒゲの林を抜けて、 ササダケの茂みが見へたらその先だからと云ってゐたけど、 とても大変だった。 なんで、この庭の主人は、かうも色々な種類の草を植ゑてゐるんだらう? まったく、ボクには区別なんかつかないぢゃないか! まだ、この庭に生まれて僅かなんだから! ササダケの横にユキノシタがたくさんあって、 そこにツバキの木があるからそれを登りなさい、と云ってゐた。 庭の主人が一番好きなベニワビスケの木だ、って云ってゐた。 雪で折れた枝を、青いテープで接いでゐるからすぐわかる、 と云ってゐたので、やっとその先の枝でひと休みをした処です。 あっ お母さんが話してゐた、この庭の主人らしき人が出てきた。 何か、手に機械をもって僕の方に近づいてきたゾ。 カシャ!
愛染堂 2005-08-14 | やまがた抄 山形市の西部にこのお堂はあります。 お客様の所へ伺ふ道すがら、一ヶ月前から気になってゐましたが、 やっと車を停めて写真を撮ることが出来ました(数分の余裕もなかったと いふことでせうか!)。 「愛染明王」を祭ってあるとのこと。 愛染明王? 仏心の疎い小生は、この歳になっても、そんな明王は知らず、恥ずかしい限りです。 「愛染」とは、「愛欲」「情欲」とのことださうで、 オジサンとしては興味をそそってしまったのですが、(渇!) 逆に、そんな凡人の欲を戒める明王、ださうです。 その怒りは凄まじく、中には赤銅色の明王が祭られてゐるやうですが、 一切内部は見られない、とのこと。 小生の少年時代、生家の近くにも、阿弥陀様、と云ってゐた建物がありました。 今にして思っても、何の謂れだったのか、定かではありません。 只、以前は、さうした、誰も確かめもしない、勿論調べたりもせずに、 親しみ半分、畏敬と恐怖が残りの半分、といった場所や建物は沢山 あったやうな気がします。その案分が崩れてくる頃から、日本といふ国も 変はってきたやうな気がします。
秋海棠の花 2005-08-13 | 花や樹や 早くも、日当たりのよい家の東側に、秋海棠の花が咲き始めました。 一種の、ベゴニアなのでせうが、何とも、味のある名前です。 確か、中国あたりから入ってきた外来種ですが、 一輪活けると、そのピンク色の花が下を向いて、風情があります。 江戸時代には、この花は既に入ってきてゐたのだらうか? 閑話 既に、お盆休みに入ってゐるので、朝の道路はガラガラです。 それでも、まだ仕事をしてゐる小生は、 「働けど 働けど …」と思ひながら、ぢっと手を見ましたが、 器用貧乏と云はれる小さな手、でした。 (´A`。)グスン
ヘブラーのモーツァルト 2005-08-11 | 音楽を ひと昔前、イングリッド・ヘブラーはモーツァルト弾きの女性ピアニストの 代表でした。 小生の棚にも、幾十人かのピアニストになるモーツァルトの協奏曲があります。 トンガってゐた頃のグルダの演奏も好きですし、 カーゾンのしっとりとした演奏も好きです。 ポリーニの演奏は意外に詰まらないし、 バレンボイムは、若い頃の録音の方がハツラツとしてゐます。等々。 その中で、ヘブラーのモーツァルト(旧録音)も悪くないな、 と最近思ってゐます。 特に、若いコリン・ディビスがバックをつけた演奏(26番)が、飛びぬけて 美しい演奏でもありませんが、ひと昔前の、清く、美しいモーツァルトの 姿が浮かんできます。 45年後の現在、色々なものが研究、発見され、また、暴かれて、 ピリオド楽器やその奏法も復刻されてゐる状況の中で、 ヘブラーのモーツァルトは、ある意味、生ぬるい演奏なのかもしれませんが、 心身ともに疲れたときには、適度な生ぬるさは何よりの馳走のやうな気がします。
朝顔 2005-08-10 | 花や樹や 朝顔のことを、東雲草ともいふのを最近知りました。 朝日を浴びて咲くからださうです。 確かに、我が家のベンチ出窓の前に掛けた朝顔も、 朝の出勤時(7時頃)は、活き活きとその花を広げてゐます。 時間があれば、そこに腰掛けてコーヒーでもといきたいところですが、 今はお盆前に終了予定の仕事に追はれて、ほんの数秒、 その姿を見やるくらゐの余裕のない毎日です。 ブログのテーマも、つひ、身辺のことになってしまってゐて 忸怩たる思ひですが、幾日かの休み(取れるのかな?)の時に ロケハンに出かけやうと思ってゐます。 ε-(´・`) フー
芙蓉の花 2005-08-09 | 花や樹や 駐車場の横、芙蓉の花が咲き始めてゐます。 順調に育ったのですが、背のたけ程になったころから、 毎冬、雪の落下の被害に遭ってゐます。 丁度、下屋に積もった雪が落ちる真下に植ゑてしまったので、 隣りのクレマチス共々、春先の雪解けの頃、 彼等の(彼女等?)恨むやうな視線を感じてゐます。 何とかしやうと思ひつつも、そのままになってしまってゐて、 気がつくと、芙蓉の樹は、そんな不肖の家の主を見限ったやうに、 上には伸びず、横へと枝を広げて花をつけてゐました。 ウム。 つひに、植木たちにもあいそをつかされてしまったか! (^_^;)