やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

スウィトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演

2005-08-17 | 古きテープから
1978.10.25 東京・厚生年金会館ホール
指揮:オトマール・スウィトナー/ベルリン国立歌劇場管弦楽団
プログラム:1.モーツァルト/交響曲第39番
       2. ”      /交響曲第40番
       3. ”      /交響曲第41番
       4.アンコール モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲

四半世紀以上も前のテープです。
生中継されたものをとったもので、そのせゐか、音はよく残ってゐます。
引退をしてしまった(色々な説が出てゐましたが)スウィトナーの
全盛期をしのぶよすがの演奏です。

一曲めの39番から、くすんだ音色のモーツァルトが始まる。
ずゐぶんと久しく、こんなモーツァルトは聴いてゐなかったやうな気がします。
あるひは、テープのせゐかもしれない(何せ、70年後半ですから)。
あるひは、ホールのせゐかもしれない(何せ、厚生年金ホール!)。
でも聴き込んでゆくと、やはり、さういふ音色、演奏なのだと思ふ。
中・低音がずっしりとしてゐて、指揮者の好みもあるのでせう、
派手さを抑へた、江戸時代の利休鼠色やうな演奏です。

続く40番も、実際の演奏時間よりもゆったりと構へた演奏に聞へます。
情に走ることなく、積み上げられたマスとしてのモーツァルトの演奏が
あります。妙な仕掛けや、計算はありません。
後半の、音楽が加速してゆく処も、妙にせかせかした処がなく、王道の演奏です。

最後の41番は、CDの演奏と同様、徐々に曲の大きさが現れてきます。
終楽章のフーガが素晴しい。
ここでも、中・低音の響きは素晴しく、単なる旋律の追ひかけではなく、
追ひついた音が、スパイラルになりながらラストへと向かひます。
まう、ベートーヴェンの音楽が間近に迫った演奏です。

アンコールの「フィガロ」がまた素晴しい。
モーツァルトの最後の三大交響曲を終へたばかりだといふのに、その音楽の
何と瑞々しく始まることか!
手練れの曲だからと云へばそれまでですが、序曲とはかくありなん、といふ
演奏です。

中継の進行役が、何と、大木正興さん、でした。懐かしい、です。
小生は、この方に私淑した、といってもよいくらゐ入れ込みました。
この方の、音楽を聴くことは生きてゆく為の糧(カテ)をそこに求めることだ、
といふ頑固なまでの音楽観に今もって共鳴してゐます。
その、糧がわからないまま、30年以上も聴いてはゐますがー。