ベルティーニ/ケルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第2番「復活」を聴く。
一年ほど前、惜しくも亡くなったガリー・ベルティーニへの一周忌へのよすがになるかもしれません。
在京のころ、都響を振ってのマーラーの1番を聴いたことがありました。
その時は、都響のコンディションもあったのかしらん、それ程印象は強くなかったのですが、CDによる3番の演奏がとてもよかった記憶があります。
ひととき、誰も彼もマーラー、といふ時代がありましたが、(火付けは、やはり、ビスコンティの映画?)マーラー教の信者たる小生は(やや、多神教?)、死ぬまで彼の、破天荒で、感傷的で、多重人格的な音楽に付き合ってゆくつもりです。
ところで、ベルティーニの演奏は、頃を同じく人気のあったインバル/フランクフルト放送交響楽団の演奏のやうに、細かな造形をきっちりとまとめ上げる手法ですが、オーケストラが優秀なのでせう、ドライにも、固くにもならず、つややかさを見せながら進んでゆきます。
第4楽章のアルトの歌手も悪くはなく(本当に、ここでの歌唱は難しいのでせう、オペラ歌手などを起用したディスクは、みな、アリアのやうに歌ひすぎてしまふ)、終章の盛り上がりに向かってゆきます。
生きること、生きながらへることを、30代のマーラーが少し感傷的に謳ひ上げた
終章は、正直、どんなディスクでも感動してしまひますが、ベルティーニも細部にわたって注意をはらひながら、前のめりせずに作りあげてゐます。
少し調べたら、亡くなった時は70代の後半、でした。
指揮者は30代40代ではまだひよっこ扱ひ、60を過ぎて少し仕事が出来る、といふ、きはめて奥の深い世界で、ベルティーニもまた、自らが熟した時を確信したのかもしれません。
なるほど、小生などは、まだ、ひよっこ扱ひ、なのですなあ…。
(写真は、ジャケットの写真を利用)