Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

コッツウォルズ(イギリス) ブルゴーニュ ~ パリ(フランス)7

2009年07月21日 | 旅 ・ 散歩
6月22日(月)
今日は昨日下見した ”ルーブル美術館” と文化の中心地 “シテ島” 周辺を歩く。私たちは右岸沿いのルーブルからセーヌ川を右に見て歩き、ボン・ヌフ橋(ここから中州のシテ島に入る)を渡り、サント・シャペル教会、コンシェルジュリー、ノートルダム大聖堂まで歩き、帰りはメトロでオペラ座まで行き、そこで見つけた日本食街で久しぶりに ”手打ちうどん”を食べ、大いに嬉しがったのでした。


" ルーブル美術館” 現在は約20万点の作品があるとも言われている。13世紀に城砦として作られ、段階的に改造、拡大され宮殿となりその宮殿がヴェルサイユに移ってからナポレオン1世、3世によって今日の美術館としての姿になった。
(左)1989年 ガラスのピラミッドが作られた  (右)  ”ナポレオンの戴冠式” (縦 6m 横 9m位)




”モナリザ”  ”ミロのヴィーナス” を見る人、人、人。(クリックでモナリザも少しは見えるカナ?)




”サント・シャペル”  螺旋階段で2階に上がると部屋中がこのステンドグラスで覆われている。まるで宝石で描かれた宗教画である。今は裁判所の中庭にあり、何故か私たちは裁判所の建物の中に入り込んで迷ってしまった。(1248年ルイ9世によって建設)



”ノートルダム大聖堂” (12世紀ゴシック建築 1163年に着工、1320年完成)”サント・シャペルで手荷物検査のチェックが厳しく1時間以上も待たされ、この大聖堂も行列でした。中に入らず、表の写真のみ。  右は外からの“バラ窓”



6月23日(火)

昨日から4日間有効の ”パリミュージアムパス”(約7400円) を使い、殆んどの美術館訪問を計画した。”ヴェルサイユ宮殿” ”オルセー” ”オランジェリー” 等々。朝早めにホテルからメトロ、RER C線で約40分でヴェルサイユに到着したが、ここも荷物チェックが厳しく、長蛇の列でした。余りにも有名な「世界文化遺産」 ルイ13世の狩猟用の小さな城であったが、ルイ14世によって増改築され、ここに宮廷、政府が移された。私たちは宮殿を一通り見た後、マリーアントワネットの離宮 ”プチトリアノン”迄歩く。

”マリーアントワネット”(1755~1793 38歳)

ローマ皇后マリア・テレジアの娘、幸せな家族愛の中で幼少期を過ごす。14歳でルイ16世と結婚後、4人の子供の母親となる。流言飛語も多かったと言われますが、やがて、悲劇への結末となりコンコルド広場で処刑される。この時期ルイ16世をはじめ、実に1343人が断頭台の露と消えたと言われる。(フランス革命、王政の廃止)


”バラを持つ マリーアントワネット”「絵葉書」            ”ルイ 16世” 「ベルサイユ宮殿の額」




1774年、ルイ16世の即位によりフランス王妃となるが、この プチトリアノン を好み何軒かの農家や畑を作らせ自らも田舎風の格好をして、お気に入りの貴族のみの出入りを許した。しかし夫であるルイ16世の出入りを拒んだとも?

簡素な居間と農家の家(アチコチに数件の農家がありました)  クリックで白いカラーの花が




庭の果実 (梅のような緑でしたが、とても甘い実でした)  白鳥がすっと近寄ってきました



”コンシェルジュリ-”(守衛)に 復元された ”マリーアントワネット牢” の壁に掛けられていた額 (このもの悲しい ひとみは見るに偲びず、子供を残して断頭台に、、。一人の女としてみた時、幼くして結婚し数奇な運命を辿らねばならなかった”アントワネットが不憫でならない。(コンシェルジュリーは サント・シャペル教会、裁判所から一度外に出て、すぐ隣に小さな入り口がありました。)




旅日記も次回は最終日です。セーヌ川沿いを歩き、美術館を訪ねます。




コメント (8)
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