rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

組織のトップは理系技術者にするべきだ

2011-03-31 00:30:11 | 社会

適材適所という言葉通り、組織のトップになるべき人材、なるべき器の人がトップになっていれば何の問題もないと思います。普段は昼行灯のようでも組織の長として責任を持って決断を下さないといけない状態になったときに決断を下せる人間が組織のトップに座るべきです。事務的経理的作業をそつなくこなせるだけの人、経営手腕だけが飛び抜けた人がトップに立つと短期的には良い結果を出すかも知れませんが長期的にその組織が発展する可能性は低くなると言えましょう。そういった人達はむしろナンバー2としてトップを補佐する事で才能を活かすべきでしょう。

 

東京電力の社長は心労で入院してしまったらしいですが、「大事故が起こったら自分が全責任を持って指揮を摂る、仕事を終えたら燃え盛る火の中に飛び込んで死ぬ」などという覚悟など全く無く、サラリーマン生活の花道に社長になって辞めて将来叙勲してもらおう、という程度の人間だったのかなと思ってしまいます。「津波は想定内だった」という記事が紹介されたので引用します。

 

(引用はじめ)

 

 東日本巨大地震が起きた震源域内では、約1100年前にも巨大地震が起き、宮城福島県沿岸部を中心に「貞観(じょうがん)津波」と呼ばれる大津波をもたらしたことが、産業技術総合研究所などの調査で判明している。

 

 福島第一原発を襲った今回の津波について、東京電力は「想定外」(清水正孝社長)としているが、研究者は2009年、同原発の想定津波の高さについて貞観津波の高さを反映して見直すよう迫っていた。しかし、東電と原子力安全・保安院は見直しを先送りした。

 869年の貞観津波が痕跡を残した堆積層が見つかったのは、宮城県石巻市から福島県浪江町にかけて。海岸線から内陸3~4キロまで浸水していたことが分かった。貞観津波の450年前に大津波が起きたことも判明。貞観津波クラスが、450~800年間隔で起きていた可能性がある。産総研活断層・地震研究センターの岡村行信センター長は同原発の想定津波の見直しを迫ったが、聞き入れられなかったという。

2011年3月30日09時33分  読売新聞)(引用終わり)

 

10年先か、100年先か分らないけれど(実際には2年先だった)より大きな津波に対応できるよう施設の補強をするべきだ、という決断は実際に施設で働いて安全管理をしている技術者の心情を理解できる人間でなければできない相談でしょう。費用対効果や経営感覚を問われた場合に「それでも安全対策が必要だ」と反対を押し切ってでもコストをかけて安全対策をするのは事務系上がりの社長には不可能な決断です。

 

日本の製造業は技術系の創業者が社長をしているうちは大胆な発想としっかりした起業精神があって大きく飛躍をするけれど、東大出の事務屋がサラリーマン社長になるにつれて衰退するという傾向があります(S社やT社)。企業でも組織でもそのトップに求められるのは経営感覚ではなくて「精神」です。80年代のバブルの時にも地方の小さな信金や地銀には土地バブルに躍らされる事なく地元企業を大事にする手堅い経営をしてバブル崩壊後も不良債権を抱えずにすんだ所もありました。バブルの時には「うちのおやじ(社長)は経営感覚がないから」とか「時代を理解していない」とか散々批難されたと思いますが、自社の寄って立つ「精神」を堅持しつづけたトップが最後まで生き残っていったのです。

 

以前「理想の上司論」を書いた時に、理想の上司とは「普段は部下を信頼して仕事を任せるが、上司として責任を持って決断しなければいけない時には全責任を持って決断する上司」歴史上の人物だと西郷従道とか大山巌とか、ということを書きました。自分は西郷、大山の足元にも及びませんができるだけそうありたいと思っています。翻って今この緊急事態の日本において西郷、大山として振る舞わねばならない立場の人達はそのように振る舞っているでしょうか。一日2回は国民の前に顔を出して「現状はこうで、次はこのようにする」といった国内・国外への展望を総理大臣は語っているでしょうか。(総理は原発の細かい説明などする必要はないです)

 

以下はかなり独善的な分析になるかも知れませんが、同じ医師の中でも内科系と外科系では気質に随分違いがあって、どちらかというと内科系の方が「役人的」、外科系の方が「技術者的」性格が強いと言えます。広い視野でマネージメントするには内科系の医師の方が適しているように見えますが、ここぞという決断は外科系医師の方が思い切って下せるように思います。外科医というのは自分が下手を打てば手術中に患者が死にます。定石に外れることであっても瞬時に決断して実行することを日々求められます。そしてその結果は明らかな医学的現実として厳しく目の前に呈示されてしまいます。勿論内科も同じ厳しさはありますが、外科ほどではない、まして予防医療を行なっている連中はその手の厳しさが否でリスクのない医療を行なっているのですから「非常時の決断」といった場面では使い物にならないと言えます。私も昨日行なった大きな腎癌の手術で、定石では動静脈を別々に結紮して腎を取り出すのですが、腫瘍が大きく、剥離中うっ血した腎からの出血が増加してきたので思い切って腎頚部をサティンスキー鉗子で大きく挟んで腎臓を摘出して後から血管の処理をしました。十二指腸や下大静脈を傷つけるリスクもあったのですが、結果的に500ml程度の出血で抑えられたし、患者さんは今日元気に起き上がっているから良かったと思います。私の決断は国家の一大事などではありませんが、やっている時は頭の中はフル回転でアドレナリン全開で手術をしています。

 

病院は平時は内科系院長、危機時は外科系院長が良いとも言われますが、それは適材適所の原則からある程度あたっているようです。失われた20年などと言いながら、企業・組織のトップは本当に適材適所の器の人材を選んできたでしょうか。「精神と決断力」のないトップを選ぶ限り、その組織の将来は暗いということに早く気がつくべきでしょう。そのためにはトップは文系(事務屋)の人間よりも理系(技術屋)の方が良くないですか。

コメント
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