rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

震災の記録

2011-03-14 23:23:01 | 医療

2011年3月11日午後に発生した東日本大震災は津波などによる万を超える犠牲者と、現在進行中の福島県原子力発電所の複数の原子炉における炉心溶融とそれに伴う爆発事故のために最終的にはどのような被害になるか解らない状態です。

 

私の勤める病院も激しい揺れに襲われて、一時はライフラインも全て止まりましたが、現在はほぼ復旧して周囲の未復旧の医療施設からの患者受け入れなどを行なっている状態です。福島・宮城・岩手の被災地の方々へ心からお見舞いと声援をお送りしたいと思います。今回は備忘録の意味で、震災からここ数日の身の回りの状態を記しておきます。

 

2時46分の初めての揺れの時は、私は若い医局員と前立腺の内視鏡手術をしている時でした。激しい揺れに手術台と機材が大きく振動し、患者さんが放り出されないように抑えるのがやっとでした。直ぐに停電となって緊急電源のみの状態になりました。幸い始まってまもなくであり、出血も軽度な状態だったので早々に手術を切り上げて患者さんは手術室前の集中治療室に移動しました。他の手術室でも手術中の患者さんは手術を中断して創を縫合して麻酔を覚醒させて集中治療室に入りました。大事に至らなかったのは金曜の午後というあまり大手術を行なう時間帯でなかったことが幸いしたと思います。

 

病院の防災委員長でもある私はリスク管理の副院長、院長と連絡してこれが尋常な地震でないことを確認、病院の救急室前に集合して院内の被害状況などを確認することを話しました。まだ手術着のままだった私は服を着替えに手術室に戻った所で大きな第2波がやってきました。危うく倒れてくるロッカーに潰されそうになりながら服だけ抱えて廊下に出、何とか服を着て再び救急室前へ。

 

取り合えず建物の大きな崩壊はないことを確認して、次の大きな地震が来る前に歩ける患者さんを全て建物外へ誘導しようということに決定。次に車イス移動が可能な患者さんを階段で職員が補助をしながら一人ずつ外に誘導しました。四百人近くの患者さんのうち、人工呼吸器をつけた人やベッド移動でないと動かせない重症の患者さんはエレベーターが使えない状態では移動が不可能なのでその場で待機ということになりました。まだそれほど寒くないとはいっても、入院患者さんが毛布や布団をかぶって外で待機してもらうのは、後から肺炎などになる可能性もあり、リスクが高いようにも思われましたが、この辺りは何とも判断できません。

 

約1時間ほど待機してもらい、次第に夕方になって寒くなってきた事、小雨がぱらついてきたこと、大きな余震は取り合えずなくなってきたことから、車イス患者さんは1階のロビー、歩ける患者さんは2階のリハビリ用ホールに移動してもらいました。この段階でまだ停電しており、情報はこの地震が宮城が震源の大きな地震ということだけでした。病院内では患者さん、職員ともけが人はなく、皆おちついて行動できました。エレベーターへの閉じこめも無かったことがわかり安心。

 

院長、副院長、事務長を中心に災害対策本部を設置して今後の対応を検討。まず患者さんをもとの病室に戻す事、夕食の手配をすること(停電、ガス、水道止まったまま)、非常用電源の確保(自家発電用の軽油、重油が数時間分しかない)、外傷患者が殺到する可能性があるので救急対応の人員と場所の確保(取り合えず職員・医師は全員で対応)などを決めて手配しました。役場と連絡を取って毛布・電源用石油の確保、夜間避難用の天幕設置を自衛隊に要請など行いました。

 

夜には近くの駐屯地から自衛隊が到着(頼もしかった)、避難用大型天幕を二張り設置してもらい、なかなか手に入らない非常用電源の重油などの手配も頼む事になりました。結局非常用電源が燃料切れ(切れると人工呼吸器などが全て手動になってしまう)になる前に深夜に電源が回復し、事無きを得ました。

 

幸い怪我などで運ばれてくる患者さんもなく、翌日には水道も復旧し、トイレも自由に使えるようになりました。まだガスが使えず消毒やボイラーが復旧していません。翌日にはテレビなどで今回の地震が宮城・三陸を中心に強烈な被害を及ぼしていることが判明しだして、関東の我々の地区はまだ被害が少ない方であることも解ってきました。災害対策としては、病院の機能として14日の月曜以降どのように対応するか、家に被害が出ている可能性がある入院患者さんの外出や面会をどうするかが次の検討事項となりました。

 

週末の状態としては外来患者は通常通り診療できるが、薬剤の在庫を考慮して1ヶ月処方を原則にする。余震があること、機材の滅菌が十分できないことを考慮して緊急以外の予定手術は当面中止することが決まりました。また退院可能な患者さんは極力帰す。面会は家族のみ10分位までとしました。

 

13日、計画停電が実行される旨東京電力から通知がきました。停電中は非常用電源のみとなるため、CT検査や放射線治療はできません。透析もできません。手術も原則不可能です。取り合えず1週間分の予定手術は全てキャンセルになりました。癌患者さんの手術も取りやめで、その患者さんが自分で使うために予め取っておいた自己血も無駄になります。非常事態であることは解りますが、一律的な計画停電というのは本当にしかたのない選択なのか、決定に関して拙速である感を否めません。一生懸命病院の機能を復活させて、まだ機能が十分でない地域の透析患者さんや重症患者さんを受け入れる態勢を整えている所で、一方的に機能を半分に減らされるような処置が決定されたことは最善の選択でないように思われます。

 

初日の計画停電は結局行われませんでしたが、行なわなくても何も起こらないならば無理に行なわなくても良いのでは?というのが素朴な疑問。テレビを民放1チャンネルとNHKのみにして娯楽系の電気は積極的に省電力とし、社会生活に必要なライフラインや交通・医療などは停電を除外してもよいのではないだろうか。大きな電力消費源である生産業についてはどこかのブログで提案されていたように早朝から午前・午後から夜の2交代性にすれば電力を半減させることができるというのも妙案と思いました。

 

緊急事態に対応するため、11日12日と病院に泊まり、13日は家に帰って(幸い家は被害がなかったので入浴もできた)14日は早朝登院してしばらく泊まります(車通勤で片道50キロあり、通常の通勤道は高速が閉鎖された影響で超混雑で使えません。ハイブリッドで燃費が良いといってもガソリンの補給がままならない状態ですから)。それでも東北地方の方達の苦労に比べれば現状は天国のようです。我々の使命はやらねばならない仕事を粛々と行なってゆくことだと思っています。自分たちの使命を果たした上で、より被害の大きい地域の医療支援を行なってゆくことが大事だと考えています。

コメント
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