rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

目の前で心臓が止まった場合以外は助からない

2011-03-08 00:45:30 | 医療

救急で心肺蘇生が行なわれる患者は、実際にはどれくらいの率で元通り元気に退院しているでしょう。一般の人で答えられる人はまずいないと思います。医療関係者でも正確なところは良く解らないというのが本当ではないでしょうか。

 

私の勤める病院では救急も扱っていますが、約1年の間に心配停止状態で救急搬送された患者さん170例のうち、急変前と同様の状態に回復して(Full recovery)退院した人は2名だけでした。そのどちらも救急隊員などの医療関係者が見ている前で心臓が止まって直ぐに蘇生術が行われた(心筋梗塞と不整脈)患者さんでした。

 

風呂場で浮いていたお年よりの方とかは100%蘇生の意味がありませんし、いつ心臓が止まったか解らない人に蘇生をしても一時的に心拍や呼吸がもどることはあるかも知れませんが、フル・リカバリーすることはまずないと言ってもよいでしょう。集中治療室などで人工呼吸器につながれて1日位は命を永らえることができるかも知れませんが、短時日の内に意識が戻る事なく死亡退院されるというのがお決まりのコースです。

 

それでも全く治療をしないのが良いと言うつもりはありません。家族の身になって考えると、例え一日であっても急変してから命を永らえさせることができることは無駄ではないと思います。ただ医学が発達した現代においても、常識として目の前で心臓が止まった場合以外はフル・リカバリーはしないのだということは知っておいて良いのではないかと思います。

 

逆に言うと、「目の前で心臓が止まった人を見たら見様見まねでも何でも良いから心臓マッサージ(と人工呼吸)はした方が良い」ということは言えます。人工呼吸をカッコにしたのはこれを行なう効用はフル・リカバリーに関しては微妙な位置づけであり、溺れた人の救助のように明らかに人工呼吸が有用な場合を除いてあまり関係ないようなのです(勿論救急における正しい蘇生術においては人工呼吸は必須事項ですがフル・リカバリーには直結しないという意味)。急変した人のそばにいる人(バイ・スタンダーそばで立つ人の意)の重要性は救急蘇生においては非常に重要で、望むべきはバイ・スタンダーによって心臓マッサージと必要に応じたAED(除細動器)が使われれば言うことはありません。後は早く救急車を呼ぶ事です。

 

現在は地下鉄の駅やデパート・商店街、学校などにもAEDが設置されるようになり、素人の人も初歩的な蘇生処置(Basic Life Support BLS)ができるよう講習を受けることが流行りです。正しい蘇生の知識を身に付けることは良い事ではあります。しかし大事なのは目の前で急変した人がいたら「脈を取ってなければ心臓マッサージをする」という行為ができることであって、心臓マッサージを5回に一回人口呼吸をしようが、15回に2回呼吸をさせてそれを4回繰り返そうがそんな細かい決まり毎はどうでも良い事だと知っておく事です。私も目の前で心臓が止まった人(喘息の重責発作など)を挿管して助けたことがありますが、素早い処置が問題であって細かい決まり事は問題ではありませんでした。

 

循環器や救急を専門にし、BLSなどの講習指導をする医師達の中には、細かい規定にこだわって教えることの馬鹿馬鹿しさに嫌気が差している人が沢山います。「教わった通りに蘇生術をしなかったために自分が蘇生術をした人が助からなかったらどうしよう」と考えて蘇生にかかわるのを躊躇してしまうこと、或いは蘇生術をしたのにその人が助からなくて責任を感じてしまいトラウマになってしまうこと、はこれら講習が盛んになることのデメリットとも言える部分です。BLSなどの講習を受けた人で蘇生術でどれくらいの人がフル・リカバリーになるか正しく教えてもらっているでしょうか。

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