rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評「やがて死ぬけしき」

2016-10-31 23:25:12 | 書評

書評「やがて死ぬけしき」 玄侑宗久著 サンガ新書2016年刊

 

「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」 という芭蕉の句からヒントを得て付けられた題名で、商品化される墓や葬儀、大震災と死、がん治療や新薬の登場まで、現代の死の様相を考えるとともに、いろは歌や高僧の言葉に耳を傾けながら、日本人の死生観の変遷を辿る。芥川賞作家の禅僧が語る、安心して死ぬための心構えと、さわやかに生き直す秘訣!・・というのが商品に付けられた説明でその通りなのですが、やはり死をいうものを意識して生きる大切さ、特にがんになった時に考えるべき「死」の様相を解りやすく示唆した(説明したとは言いがたいので)優れた内容の本だと思いました。

 

種々の示唆に富む話、送り経としての「いろは歌」から震災後に被災地で見られた怪談話までエッセイを集めたような形で特に形式張らずに集めた内容なのですが、医師として特に印象に残ったのは、がんの終末期と題名である「やがて死ぬけしき」の句を掛け合わせて説明した所でしょうか。「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という芭蕉の句は様々な解釈があります。蝉はもうすぐ死んでしまう短い命なのに能天気に無邪気に鳴き騒ぐものだ、という軽卒をたしなめるような解釈もあり、鈴木大拙氏のように小さく短い命であっても十の力を出し切って生きる蝉こそ偉いのである、と讃える解釈もあります。玄侑宗久氏は蝉の人生の大半は地中にある、世に出る蝉の姿は長い蝉としての人生の終末期であって人生としては変態を遂げた別のステージであり「やがて死ぬけしき」なのだ(ということを意識して蝉の声を聞いてはいないが)という感嘆であると説明しています。私もこの解釈が良いように思います。

 

今までの長い人生は別の所にあって、人生の終末期は別のステージとして「やがて死ぬけしき」として存在するという考え方は、人間で言えば「がんの末期」や「老いで寝たきり」米澤 慧氏の表現を借りると「老揺(たゆたい)期」という事になるのではないかと思います。人間の場合は蝉のように長い臥薪嘗胆の末に繁殖のために花開く時という訳ではありませんが、人生の終末期とは「やがて死ぬけしき」として死を意識しながら人生の別のステージとして過ごす大事な時ではないか、という考え方は共感できます。日本人の死生観として、死を「新たな旅立ち」「誰もが知るあの世への帰還」と捉える事が大切であり、むやみに死を「恐怖」とのみ捉えることから開放される準備をするのは意味のあることだと思います。その中で宗教の役割、今話題の臨床宗教師の意義といった事も説明されます。

 

私の病院は地域の「がん拠点病院」に指定されています。私も「がん拠点病院」の内部委員として診療内容の充実に向けて会議に出席もするのですが、現在の急性期病棟のみで緩和病棟がない状態ではどうしても「治療できるがん」をベルトコンベア式に次々と治療してゆくのみで、終末期の患者さんをじっくりと看て行くことができないジレンマがあります。患者さんの立場にしてみると、早期癌から進行癌になって末期になるまで同じ一人の人間として存在するのですから、進行癌から末期になった所で当院では診れないので別の施設に移って下さいと言われても簡単に気持ちの切り替えができるものではないと思います。結局急性期病棟の中で次々と退院してゆく患者さんの中で末期の方も診るという結果になってしまうのですが、できれば同じ施設の中で自然な感じで急性期病棟から緩和病棟に移動して、最期は畳の上(自宅で)で迎えることができれば最高なのではないかと常々思います。

 

本書の内容から印象に残る話として、死が近い人が「亡くなった近親者の迎え」を感ずるのは自宅の場合の方が多い、という話が紹介されていて、「近親者の迎え」を感ずる人の方が安らかな死を迎えることができると言われています。「近親者の迎え」は日本だけでなく、アメリカのテレビドラマでも撃たれて死ぬ間際の人が亡くなった父親が自分を迎えに来ていると横で手を握る同僚に話すシーンがあり(NCISであった)、万国共通なのだと思います。また迎えに来るのは必ず死んだ人であること(小児であっても生きている親ではなく、必ず亡くなった肉親に限られる)が科学的に確かめられていて、人間にとって死の持つ意味や死後の世界というものの共通認識につながっていると考えられているようです。

 

一生懸命早期癌、進行癌を治療してきた医師ほど、ある程度の年齢を迎えると終末期医療や看取りをしっかりやりたいと考えるようになってホスピス医療を行う場合が多いのですが、私もそのような時期に来ているのかもしれないと少し感じています。


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