田母神元空幕長の日本の戦後歴史観についての懸賞論文がメディア、ブログなどで話題になっています。私は次期アメリカ大統領の話題の方が100倍位重要、というか論文の問題などスルーが当然と思っていたのですが、メディアが見事に引っ掛かり問題化したことは日本社会のレベルの低さを見せつけられたようで改めてげんなりしました。
そうは言っても拙のような小市民ブログとしては備忘録の意味も含めて一応取り上げておこうと思います。
問題点の整理
1) 現職の空幕長が世間を騒がすような論文を敢えて発表したこと。
2) 論文の内容が日本を悪とする所謂東京裁判史観を否定した内容だったこと。
3) 史実としてあげた内容が誤り、或いは証明不十分な点があること。
メディアや諸家の批判を要約すると、上記の点に集約されるよううです。
私の意見
1) 現職の空幕長が世間を騒がすような論文を在職中に発表したことは、私は賛成できません。空幕長の職務は政府や世間の歴史観に疑問を呈することではなく、日本の空を直接・間接侵略から守ることだからです。東京裁判史観を元にした法律によって、日本の自衛隊の活動が極端に制限されていることは確かですが、それを正すのは軍人の仕事ではなく政治家の仕事です。だから退職後政治家になるなり、自由に意見を言える立場になってからでも遅くありません。今は平時なのですから、法に従って粛々と職務をこなすのが公務員の勤めです。彼の場合、職責上最高の地位に付いた上で確信犯的にいろいろ行っている節があり、言いたい事が沢山あっても自重して本来の責務をこなしている多くの自衛官達に対して失礼ではないかと思います。
2) 個人がどのような歴史観を持とうがそれは自由です。職務に忠実である限り東京裁判史観であろうが、皇国史観だろうが唯物史観だろうがかまわないと思います。批判している側の問題点としては、「東京裁判史観を否定すること=皇国史観」だと決めつけている脳タリンが多い事です。田母神氏は日本だけが悪い訳ではない、日本だけが戦争をしたかった訳ではない、という事を述べているのであってこれは小生が主張している倫理的善悪で歴史を語るなかれと言っていることに近い表現です。彼もはっきりと「倫理的善悪で歴史を語ってはいけない」と書けば誤解を防ぐ事ができたかも知れません。しかし「東京裁判史観の否定=皇国史観」と決めつける人、或いは「決めつけたい人」には何を言っても無駄かもしれませんが。
東京裁判史観は日本人を戦後、戦勝国のいいなりになる精神的奴隷として支配するために巧妙にメディア・政府・エセ左翼により徹底的に政治・教育内容にすり込まれてきました。対局に滑稽で非インテリ的印象を与える凱旋右翼を配置し、「東京裁判史観の否定=皇国史観」と規定することで一般の日本人が東京裁判史観に疑問を持ったり政治に関与したりすることを妨げてきました。これを主導してきたのは他ならぬアメリカ(のグローバリスト達)だった訳ですが、知識人を自称する人達にも東京裁判史観から外れる事をまるで自分が否定されたように怖がり、怒る人達がいることに驚きます。
歴史はその時の状況や考え方から当時の人達が最善と考えられる選択をしてきた結果なのですから、現在から見て大いに学び反省することは大事ですが、倫理的に善だ悪だと言い合いをすることには何の意味もないのです。大化の改新や関ヶ原の戦い、明治維新などを倫理的に善だ悪だと言うことが無意味である事と同じです。侵略された中国から見れば日本は倫理的に悪だというのも分りますが、国交が正常化して補償問題が解決された時点で歴史的善悪の関係は終わりにしないといけません。そもそも戦争は戦っている相方ともにとって悪であるはずなのに、「先に手を出した相手が悪」で「受けて立った我はどんなに非道なことをしても善」という倫理的免罪符の概念を作り出したのはアメリカです。アメリカは歴史的にこの免罪符を得るためにあらゆる努力(いんちき)をしてきたと言えましょう。
3) 田母神氏が史実としてあげた内容の論拠については、東京裁判史観を否定する人達が上げたものが殆どですが、批判する人達は「そのような人達が主張していることだから真実性が薄い」という言ってみれば「自分たちが信用していない人達だから信用できない」「俺様だから正しい」みたいな話しになってしまっています。歴史認識の討論になると必ずこのような展開になるのですが、著明な学者ではないからというのでなく、誰それのこのような主張は具体的にこの反例があって真実と言えないという反証ができなければ一概に嘘だときめつけることはできないはずです。南京虐殺を否定する人達の書籍を読むと丁寧に相手の主張に対して反証を示しています。同じ努力をしないで「こいつの言うことは当てにならないから。」で歴史討論はすませてしまってはいけません。
最後に自衛官たるものの心得について触れたいと思います。かなり昔ある自衛官が「社会党が政権を取ったら大変なことになる、皆しっかり投票に行くように。」と辛うじて「どこに入れろと」は言わなかったのですが訓示をしたという話しがあります。この自衛官の心得は間違っています。民主的に選ばれたのならば社会党だろうが共産党だろうがどこが政権を取ろうが政府の指示に従って職務をこなすのが自衛官たるものの勤めです。どうしてもその政権の下で働くのが否ならば職を辞すれば良いのです。公務員たるものどのような信条を持とうがそれは自由ですが、職務遂行にあたっては政府に従うのでなければそれは公務員であることを否定したことになります。その意味で日教組に属し、法律で定められたことを意識的に実行しない連中は公務員のありかたに反した人達と断定できます。
そうは言っても拙のような小市民ブログとしては備忘録の意味も含めて一応取り上げておこうと思います。
問題点の整理
1) 現職の空幕長が世間を騒がすような論文を敢えて発表したこと。
2) 論文の内容が日本を悪とする所謂東京裁判史観を否定した内容だったこと。
3) 史実としてあげた内容が誤り、或いは証明不十分な点があること。
メディアや諸家の批判を要約すると、上記の点に集約されるよううです。
私の意見
1) 現職の空幕長が世間を騒がすような論文を在職中に発表したことは、私は賛成できません。空幕長の職務は政府や世間の歴史観に疑問を呈することではなく、日本の空を直接・間接侵略から守ることだからです。東京裁判史観を元にした法律によって、日本の自衛隊の活動が極端に制限されていることは確かですが、それを正すのは軍人の仕事ではなく政治家の仕事です。だから退職後政治家になるなり、自由に意見を言える立場になってからでも遅くありません。今は平時なのですから、法に従って粛々と職務をこなすのが公務員の勤めです。彼の場合、職責上最高の地位に付いた上で確信犯的にいろいろ行っている節があり、言いたい事が沢山あっても自重して本来の責務をこなしている多くの自衛官達に対して失礼ではないかと思います。
2) 個人がどのような歴史観を持とうがそれは自由です。職務に忠実である限り東京裁判史観であろうが、皇国史観だろうが唯物史観だろうがかまわないと思います。批判している側の問題点としては、「東京裁判史観を否定すること=皇国史観」だと決めつけている脳タリンが多い事です。田母神氏は日本だけが悪い訳ではない、日本だけが戦争をしたかった訳ではない、という事を述べているのであってこれは小生が主張している倫理的善悪で歴史を語るなかれと言っていることに近い表現です。彼もはっきりと「倫理的善悪で歴史を語ってはいけない」と書けば誤解を防ぐ事ができたかも知れません。しかし「東京裁判史観の否定=皇国史観」と決めつける人、或いは「決めつけたい人」には何を言っても無駄かもしれませんが。
東京裁判史観は日本人を戦後、戦勝国のいいなりになる精神的奴隷として支配するために巧妙にメディア・政府・エセ左翼により徹底的に政治・教育内容にすり込まれてきました。対局に滑稽で非インテリ的印象を与える凱旋右翼を配置し、「東京裁判史観の否定=皇国史観」と規定することで一般の日本人が東京裁判史観に疑問を持ったり政治に関与したりすることを妨げてきました。これを主導してきたのは他ならぬアメリカ(のグローバリスト達)だった訳ですが、知識人を自称する人達にも東京裁判史観から外れる事をまるで自分が否定されたように怖がり、怒る人達がいることに驚きます。
歴史はその時の状況や考え方から当時の人達が最善と考えられる選択をしてきた結果なのですから、現在から見て大いに学び反省することは大事ですが、倫理的に善だ悪だと言い合いをすることには何の意味もないのです。大化の改新や関ヶ原の戦い、明治維新などを倫理的に善だ悪だと言うことが無意味である事と同じです。侵略された中国から見れば日本は倫理的に悪だというのも分りますが、国交が正常化して補償問題が解決された時点で歴史的善悪の関係は終わりにしないといけません。そもそも戦争は戦っている相方ともにとって悪であるはずなのに、「先に手を出した相手が悪」で「受けて立った我はどんなに非道なことをしても善」という倫理的免罪符の概念を作り出したのはアメリカです。アメリカは歴史的にこの免罪符を得るためにあらゆる努力(いんちき)をしてきたと言えましょう。
3) 田母神氏が史実としてあげた内容の論拠については、東京裁判史観を否定する人達が上げたものが殆どですが、批判する人達は「そのような人達が主張していることだから真実性が薄い」という言ってみれば「自分たちが信用していない人達だから信用できない」「俺様だから正しい」みたいな話しになってしまっています。歴史認識の討論になると必ずこのような展開になるのですが、著明な学者ではないからというのでなく、誰それのこのような主張は具体的にこの反例があって真実と言えないという反証ができなければ一概に嘘だときめつけることはできないはずです。南京虐殺を否定する人達の書籍を読むと丁寧に相手の主張に対して反証を示しています。同じ努力をしないで「こいつの言うことは当てにならないから。」で歴史討論はすませてしまってはいけません。
最後に自衛官たるものの心得について触れたいと思います。かなり昔ある自衛官が「社会党が政権を取ったら大変なことになる、皆しっかり投票に行くように。」と辛うじて「どこに入れろと」は言わなかったのですが訓示をしたという話しがあります。この自衛官の心得は間違っています。民主的に選ばれたのならば社会党だろうが共産党だろうがどこが政権を取ろうが政府の指示に従って職務をこなすのが自衛官たるものの勤めです。どうしてもその政権の下で働くのが否ならば職を辞すれば良いのです。公務員たるものどのような信条を持とうがそれは自由ですが、職務遂行にあたっては政府に従うのでなければそれは公務員であることを否定したことになります。その意味で日教組に属し、法律で定められたことを意識的に実行しない連中は公務員のありかたに反した人達と断定できます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます