rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

医学教育における問題点

2012-03-14 22:24:53 | 医療

医学部卒業後教育の改革と医師偏在、教育アンケートについて

 

私は臨床医であると同時に大学教員でもあるので、医学生の教育にも携わり、勿論卒業後の研修医、若手医師の教育にもかかわる立場の人間です。先日大学を卒業して初めに受ける2年間の研修である「初期研修」を教育する現場において感じている問題点についての調査が厚労省からありました。

 

21世紀に入ってから医師の研修制度が大きく変り、今までの大学医局を中心とする人事制度から研修を受ける側が自由に研修する先を選択して2年間の研修を受け、その後後期研修として改めて大学や基幹病院において自由に選択をして専門研修を受ける制度になりました。要は研修制度を変革することで、絶対的人事権を持っていた各大学の医局という制度を解体したいという思惑が功を奏した訳です。研修を多彩な科によって受けて医師としての基本的技能を若い内に身に付けるといった現在の研修制度の基本はこの研修制度が始まる以前から徐々に行われてきていたので、各科ローテート自体が改革の本旨ではないことは明らかでした。

 

研修制度改革の結果、大学医局人事でいやいやながらにでも行かされていた田舎に医師が行かなくなり、医師の偏在が生じ、安い給料で24時間リスクの高い医療を行なう勤務医の負担が増えて若い医師達が益々「たいへんそう」な科を自分の将来の専門科として選択しなくなって「医師不足」が生じていることはいままで度々ブログでも述べてきた通りです。

 

厚労省は若手研修医を教育指導する我々指導医に「臨床研修指導医講習会」に出席して研修医を指導する上での心構えやポイントについて学ぶことを義務づけています。この講習会は「いかに研修医の気持ちを酌んで快適かつ効果的な研修を受けてもらうか」といった事を中心に学びます。今回「研修医を教育する上での不安や問題点を指摘し、より効果的に研修ができるよう今後の指導医講習会に生かす」という目的でアンケートがなされたのだろうと解釈しました。

 

教育における二つの道

 

私は教育学部などで教育を専門に学んだ人間ではありませんが、大学教員としてまた医師として後輩を20年以上教育してきたのでそれなりに「教育」についてのポリシーは持っているつもりです。教育は大きく分けて二つに別れます。一つはHow toを教える教育、言って見れば自動車学校で車の運転を教える教育です。もう一つは内田樹氏の表現が判りやすいので引用させてもらうと「子供を一人前の大人にするための教育」です。何でも我が儘が通ると思っている子供に社会の構成員であることを自覚させて社会の一員としての役割を担ってもらい、その上で次の世代の子供たちを教育し、大人に育てることができる人材になってもらう、という教育が「子供を大人にする教育」です。これは結果の判定が試験の点数や合否では表わすことができないので、簡単なようで実に難しい教育と言えますが、本当はこちらの教育が社会の成熟や発達において最も必要なものと言えます。実は現在の研修医教育ではこの子供を大人にする教育が抜けていて、子供を子供の状態でいかにHow to を学んでもらうかに重点がおかれている状態です。研修医達に何時「我々の側」に来てもらうか、どこで誰が彼らを子供から大人にチェンジさせれば良いのか、明確にされていません(お客さんとして大事に扱っているうちに自然に大人になることが期待されているようでもあります)。

 

医学は実学であり、大学で勉強したことが一生役に立つ希な学問です。論語の「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや(勉強したことを時宜に応じて実践することは大変良い事だ)」を地で行く毎日ですからこんなに楽しいことはありません。だから本人に「学ぼう」という気力さえあれば、医学を教育すること自体は難しいものではないだろうと私は思います。何しろ日本の高校生の理系志望者の上澄み1-2%を医学部が吸い上げているのですから、彼らの「じあたま」の良さを持ってすれば、「学ぶ側にやる気さえ充実していれば」教育する側がどのような教育をしようと国家試験に受かる程度の知識を身に付けることは容易なはずです。しかし日本の医学教育は容易なはずのHow to教育の方に非常に力が入れられています。それは医学の進歩が早く、限られた時間で勉強しなければならない内容がどんどん増えていることも確かに一因ですが、一部に自動車学校で免許を取るように容易に医師国家試験に通るのが良い医学部教育であると勘違いしている連中がいることが問題なのです。

 

日本とアメリカの医学生の違い

 

最近の日本の医学教育は欧米(特にアメリカ)の医学教育の手法が大きく取り入れられていて、主にHow toをいかに効率的に学ばせるかに主眼がおかれています。実はこれ、日本とアメリカの医学教育の違いを無視したやり方であると問題になっています。アメリカでは「子供を大人にする教育」は無視されているか、というと彼らは医学部に入学してくる時点で4年制の大学をすでに卒業して社会人になっている、つまり医学部は職業訓練学校として入学してくることが前提になっていることが日本と大きく違うのです。アメリカの医学部生は文学部や経済学部、中には芸術学部出身の人や看護大学を出て看護師をしていた人もいます。MCATという医学部受験資格を得るかなり難しい試験を突破して医学部を受験して入学してきます。学生の時の試験も大変なので途中で医師への道を断念して他の職業に付く人も多くいます。そして医師になってからも研修医、専門医へ昇格するモチベーションは強烈で既に子供としての感情は遠の昔になくなり、既に大人として職業訓練を受けている状態なのです。

 

翻って日本の医学部受験は高校の受験勉強の一環として行われ、試験の偏差値によって本人の「医師になりたいという希望」とは別の所で医師になる可能性が判断されています。「医師という職業は勝ち組(医学部に入れば人生の目的達成と勘違いしている学生も多い)」といった報道もあって、受験生の医学部熱は相当高く、3浪4浪して医学部に入ってくる新入生も珍しくありません。4浪もするとアメリカで他大学を卒業してから医学部に入ってくる人達と年齢的には変らなくなるのですが、大学生として社会人になるための生活を4年間送ってきた人と大学入学のためだけに受験勉強を4年間してきた人ではやはり人生観や生活観が大きく違います。そして日本における問題は「医学部」に入ったからには一生医者をやる以外何のつぶしも効かない(芸術家や政治家になる手はありますが)一直線の人生であるということです。

 

高校生の時に勉強ができるというだけで医者以外つぶしの効かない一直線の人生を選択してきた理系の秀才1-2%が日本の医学部生であり、その人達にHow to重視の効率のみ検討された医学教育をやっていて良い訳がありません。

 

文部科学省と厚労省の違いか

 

私はアンケートの返事として、現在の研修医教育における不明な点や、指導医講習会で必修事項として研修すべき点として「いかに子供(お客さん扱い)である研修医に自分の利益にならない部分も受け入れて大人として医療を行なってゆく自覚を持たせるかの視点が明確でない」という点を指摘しました。勿論個々の研修医達は非常にまじめで一生懸命であることは確かですが、教える側が「いかに研修医を大事に扱うか」ばかりを指導要領として教示されていたのではまともな大人に「教わる側」が成長するはずがありません。

 

近年医学部入試も種々の改革がなされて、ただ受験の成績が良いだけで医学部に入学することがないように、東京大学以外の医学部では面接と小論文が必須の科目になってきています。つまり入り口において医師の資質のある人を医学部に入れようという試みで、基本的には正しい方向と思います。面接では「自分がいかに医師になりたいか」というモチベーションや「医師になってどのように社会に貢献したいか」といった心構えが聞かれるのですが、受験勉強しかしていない高校生に大人しかも医師として大成してからの心構えを問うことには自ずと限界があるようにも思います。面接に対するテクニックを教える高校も多数あり、医師としての適正を問うという本来の目的を達することは少し無理があるのではと思います。医者という職業に「かっこ良さ」の様な漠然とした夢やロマンを抱いて受験してくれるならば高校生らしくて良いのですが(私がそうだったので)、現実には昨今の医療事情を反映して「地域医療への貢献」とか「小児医療や夜間救急医療への身を挺しての献身」をまだ受験勉強しかしていない高校生に語らせるのはいかがなものかなあ、と感じます。

 

文科省管轄の大学では受験生の医師としての資質を問う方向になり、それなりに評価されるところはあるのですが、医学部在学中には社会における医療のありかたをじっくり考えるような時間はなく、国家試験を受けた後の厚労省管轄の卒後教育においては上記のように研修医をお客様扱いするので進んで激務と努力を要求される科に進む若い医師が少なくなる現状があります。厚労省には医学教育や医師のキャリアパスについて判っている官僚がおらず、アメリカの猿真似をする程度のことしかできないのですから、卒後教育も含めて医師の教育についての指揮権は本来大学に返すべきだと考えます。

 

その上で、入学の時点ではもう少し漠然とした心構えでも良いように思うのですが、大学在学中に社会における医療のありかたなどをもっとじっくり考える時間を与えて学生が大人になる機会・教育ができる体制を作り、自分が医師に向いていないと判断したら他学部にも編入できるような道を作った上で医学部後半(他大学なら卒業の年齢)から大人の医療人として社会に向き合えるような教育をしてゆくべきではないかと思います。その中で漠然と抱いていたロマンが難しい手術をマスターしたり、最新の科学を研究したり、田舎で自分の力量を発揮したりする実社会の要求にも答えて夢を実現する方向になれば良いのではないかと考えます。

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