トランプの大統領選勝利は、シリアにおける米軍とロシア軍との実質的な開戦、第三次大戦の勃発を防ぎ、ひいては日本の自衛隊が米軍の援護のためにその戦争に関わる運命にあったことを避けることができたという点で、天祐とも言うべき出来事であると思います。「品のない柄の悪い大統領が当選した」などというレベルの感想しか述べられない日本人が多いことを大変残念に思います。
また、選挙前にトランプが「不正選挙が行われつつある現実」を糾弾して、このままでは選挙結果を受け入れかねると発言したことを猛烈に批判したメディアや人達が、トランプが選ばれた途端に「選挙結果を受け入れない」とデモをしている群衆に批難の声をあげない不条理をどう考えればよいのでしょう。あのNHKですらデモをする群衆に同情的とも取れる報道を繰り返すことに、「結局デモクラシーの基本も理解できていなかったのか」と暗澹たる気持ちになります。デモは「選挙が不正であった」と訴えているのではなく、「選挙結果が気に入らない」と訴えている全くデタラメな内容なのです。
日本ではトランプの勝利をネトウヨが喜んでいて、サヨクは怒っているらしいです。日本のサヨクは「クリントンが勝利して安倍首相と共にTPPを推し進め、シリアで米国とロシアで戦争が始まった方が良かった」と言っているのですから全く愚かな上に恐ろしい人達です。
ところで、トランプは無制限な自由貿易であるグローバリズムには反対であり、内向きの政治を行う事を公約としていることから、極右とかナショナリズム偏重と言われています。確かにサヨクというのは国家の枠組みをなくし、グローバリズムを推進する事を信条としていますから、安倍首相のようなTPP推進派はバリバリの左翼であると普段から私が批判している通りです。
経済の三要素は資本、労働力(ヒト)、資源(または物)と言われていますが、これら3つが国内でバランス良く成長すると健全な経済成長になります。しかし資源のない国や資源しかない国もあるからお互いの足りない所をやり取りする「貿易」を行うことでwin-winになるというのがこれまた国際貿易の健全な姿です。初期の(90年代)グローバリズムでは国家単位で資本の国(米国)、労働力の国(中国)、資源の国(中東など)と分けて国家単位で経済の要素を分担するグローバリズムでした。結果、米国はドルが国際通貨だから輪転機を回すだけ(或はコンピュータのキーをはじくだけ)でいくらでも資本を作り出すことができていくらでも儲けることができた。中国も安い労働力で世界から労働を奪って国家としては豊かになったのです。
しかし経済は「商品」を買ってもらわなければ回らないから当初豊かになった米国や中国で商品が良く売れたけれども国家内という単位で見ると豊かになったのは資本家や一部の高所得者だけで一般の労働者や物を扱う人達は安い労働力や物価であった他国の基準に引っ張られて等しく貧しくなってしまったというのが21世紀に入ってからのグローバリズムの姿です。つまり始めは国家間で貧富の差があったものが、次第に国内で貧富の差がついてそれが各国同じ状況に近づいてきたということです。
国家国益のためといって米軍が「テロとの戦争」を推し進めても結局グローバル企業が儲かるだけで国民が豊かになる訳ではないということが次第に解って来て、米軍の軍人達ももう騙されなくなってきた。トランプ氏を支持する米軍の将官が200人はいるという評判ですが、「米国の国益」という仮面をかぶったグローバリズムの「化けの皮が剥がれた」ことを米軍の当局者達が最も良くわかっている証拠でしょう。
「反グローバリズム」というのは「それぞれの国の中で経済の三要素が健全に発展するように戻しましょう」という運動であって、労働賃金に国家間で差があっても良いではないか(そのためには外国からの製品に高い関税を儲ける)という運動です。安倍首相はこの時になっても「関税をなくすTPPが日本の国益に資する」などと戯言を言ってTPPを批准する方向で動いていますが、欧州もTTIP(環大西洋貿易投資連携協定)にNoを突きつけているのに、日本だけが未だにTPPまっしぐら(国内は反対だらけなのに)というのは哀れなほどです。
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートはグローバリズムにおける権力構造を「帝国」と呼び(以文社 2003年)、新たな民衆の敵として具象化してみせました。そしてその「帝国」的権力に対するグローバル民主主義の構成に向かう多種多様な集団的主体を「マルチチュード」と任命しました。続く「マルチチュード・帝国時代の戦争と民主主義」(NHKブックス2005年)や「コモンウエルス上・下」(NHKブックス2009年)、「反逆」(NHKブックス2013)でもマルチチュードたるものの「帝国」への抵抗のありようを種々説いているのですが、どうも抽象的すぎて今ひとつ理解しにくいものでした。「反逆」においては「アラブの春」の様がマルチチュードの表現とされていて、アラブの春も旧ロシア領のカラー革命もCIAに踊らされた米資本主義帝国のための権力構造の棚卸しである事が明確であるのに何を血迷った解説をしているのだろう、という感想しか持てませんでした。ネグリ・ハートはどうしても20世紀的な左翼思想から脱皮できておらず、地球市民的な抵抗運動に郷愁を持ち続けている点で「現実には使い物にならない」思想なのだと思います。
私は英国における「ブレグジット」によるナショナリズム回帰、欧州における移民増加を拒否する「自分達の生活を守る思想」、今回のトランプを応援する「グローバリズムの否定と米国内第一主義への回帰」こそが「一般民衆が声をあげてグローバリズムにNoを突きつけた」マルチチュードの平和的革命であると思います。移民とかマイノリティーとかを阻害するという点でこれはサヨクの人達からすると「受け入れがたい考え」のように見えますが、移民やマイノリティーを重視して「奇麗事を押し付ける事」で大衆を抑圧する方策こそが「グローバリスト達の常套手段」であることにそろそろ気がつくべきなのです。
移民は移民しなくても元の場所で生活できるようにグローバリズムを潰してローカリズムを復活させれば良いのであり、マイノリティはマジョリティを支配しようとせず(これを専制政治と言います)マジョリティを尊重しつつも自分達の地位を確保できるように訴えてゆけばよいのです。だからブレグジットやトランピズムで示された大衆の意思(グローバリストはこれをポピュリズムと呼んで上から目線で批判します)こそがグローバリズムに一石を投ずるマルチチュードの反乱と呼ぶべきなのです。残念ながらこのような視点を主張しているのは私だけ(海外のブログなどもググってみましたが)のようです。それだけ「反グローバリズムが具体的な力を持つ」ことを畏れる権力者やメディアが多いということでしょう。