Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

モナ・リザはなぜ名画なのか?

2012-04-18 15:34:10 | Weblog
ダンカン・ワッツは物理学者としてスタートし「スモールワールド・ネットワーク」のモデルで有名になったあと社会学者に転じた。今はYahoo!研究所に属し,インターネット上の社会現象について精力的に研究している。そのなかにはマーケティングに深く関連する研究が多数ある。

そのワッツの新著は予想以上に刺激的だ。彼は先端的なビジネス界で常識とされる「インフルエンサーマーケティング」,「予測市場」,「シナリオ・プラニング」・・・といった「常識」を次々と俎上に挙げていく。彼の主張の要点を一言でいえば「予測不能性」ということばに尽きる。

彼の主張を端的に表すのは,次のように書かれた場面である:ルーブル美術館に行き,人だかりのなかで初めて「モナ・リザ」を見たとき,世界の名画を目にしたことに喜びを感じるとともに,この絵はどこが素晴らしいのだろうか,という疑問がかすかに頭をよぎりはしないか・・・。

偶然の科学
ダンカン・ワッツ
早川書房

なぜモナ・リザは名画なのか。識者たちはその絵がいかに素晴らしいかについて,多くの論拠を挙げることができる。しかし,本当のところ,皆が名画だといっているということ以外に,この名画を名画たらしめている条件などないのではないか? それがワッツの直観である。

ワッツらが行った音楽ダウンロード市場の実験は,この直観を裏づける1つの根拠になっている。お互いに隔絶された複数のダウンロードのサイトに何万人もの被験者をランダムに割り振る。そこで好きな曲をダウンロードさせると,サイトによって曲のランキングが変わる。

サイトでは過去のダウンロード数が表示されている。初期に偶然発生した人気の差が,被験者間の相互作用によってますます強化されていく。最初の人気の違いは全くの偶然によるのものなので,最終的にどの曲がヒットするかを事前に予測することはほとんど不可能である。

他人のダウンロード数が表示されない市場では,相互作用がない場合の曲に対する好みが現れる。相互作用のある各市場でのランキングは,そうした曲自体の魅力と弱い相関を持つが,とてもヒットを予測するレベルではない。つまり,本来の魅力はあまり関係ないということだ。

この実験に,ワッツの主張のほぼすべてが集約されている。社会という非常に複雑な系では,結果として観察されるパタンはかなりの程度偶然が重なって形成されたものである。後からその特徴を捉えてもっともらしく説明しても,未来を予測するのにほとんど役立ちはしない・・・。

特定の人物が果たした役割について述べる歴史書や,カリスマ経営者の決定を賞賛する経営書はまさにそうした愚を犯している。経営学が依拠する事例研究はもちろん,データを用いた計量分析でさえ,たまたま観察されたサンプルへのオーバーフィットにすぎないかもしれない。

そう考えると,ワッツの批判は社会現象を科学として分析しようとしている広範な人々に警鐘を鳴らしているといえる。ワッツは社会(科)学者に対して,物理学への憧れを戒める。社会現象は物理現象に比べはるかに複雑であり,美しい理論を夢見るのはあまりにも早計だと。

ワッツが勧めるのは,上述のようなフィールドでの大規模実験で,そこから「中範囲の理論」を構築することだ。そのために膨大なデータにアクセスできるインターネット環境は非常に便利だという。それには一理ある。ただ,そればかりではなかろう,という反論もあるだろう。

ぼくはワッツのインフルエンサー・マーケティング批判に興味があって本書を読んだ。この点に関する彼の議論(ハブを情報の起点にすることの費用効率の評価方法)に疑問があり,それは本書を読んでも変わらなかった。しかし,彼がなぜそう考えるかは前より少し理解が進んだ。

伝統的な社会科学者から社会経済物理学者まで,あるいは現場のマーケティングリサーチャーも含め,社会を科学的に理解することに関心がある人々にとって一読の価値がある本である。彼の意見に同意しないのなら,指摘する問題にどう答えるかを考えなくてはならない。